高遠の翁の物語

本広 昌

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第三幕

(二十六)敵と味方の狭間

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 四月十一日、甲府の敵は五千の兵を率いて出陣した。上原では三千の兵がこれを待ってる。合計八千。予想どおりだ。
 箕輪城の大改修は、木下惣蔵の許可を得られなかった。諏方信仰にある〝大地の形状を変えるための大祝の許し〟がないためだ。諏方頼継は、惣蔵の気持ちは分かるも、主家再興のためだ。必死に説得した。頭も下げた。床に額を叩きながら懇願した。

「頼む、木下殿っ。もし諏方大明神がお怒りになられたら、ワシのせいにしてくれ。丸投げで構わない。責任は全てワシがとるから。覚悟はある。だから頼む!」

 木下惣蔵は頼継の説得に押されて悩むも、

「ま、まあ、高遠様がそこまで言ってくれるのなら……」

 と、小声で許可してくれた。頼継は大いに感謝した。

「ありがとう木下殿。本当にありがとう! 悩ませて本当にすまないが、決して損はさせない。だから今は耐えてくれ……」

「ぐぬぬぬぬ……」

「どうか!」

 惣蔵は悩みに悩む。諏方大明神には絶対に逆らえないけど、頼継の頼みにも逆らいたくない。心の中の秤にかけたら、神のほうが遥かに重たい。
 でも……。

「……こ、今回だけですぞ。高遠殿……」

 頼継が箕輪城を出ると。秋津と船乗り衆が待ち構えていた。頼継は秋津に、説得成功を伝える。

「許してくれたぞ」

 秋津は頼継に深く一礼してから、言う。

「また増えてますよ。白髪」

「そ、そうか?」

「身代り地蔵ならぬ、身代りじ様。そこまでやります?」

「裏切り者の血筋だからな。天罰など何度受けても同じだよ……」

 もう慣れた、みたいに言うも、表情はどこか心細い。秋津は想う。

ーー天罰を与える神様なら、信仰やめちゃえばいいのに。なんで続けるのだろう……?

 馬鹿だとは思う。でも、そこまで頑なに必死になる頼継は、やっぱり大好きだと再確認できた。諏方大明神にぞっこんな分、秋津を見てくれない嫉妬もあるけど、一心不乱ゆえの不器用は許せる。
 まったく、年甲斐もなく可愛いんだから。

「そうやって高遠さまは、オラが村の御柱を無理やり中止させて、伊那中から援軍を取ったのですね。だったら、諏方大明神のお怒りなんて、とっくの昔に許されてますよ」

 頼継は秋津の言葉にハッとした。春のそよ風を真正面から受けた心地よさを感じた。諏方信仰者ではない秋津に言われても、どこまで信じたらいいのか分からない。だけど、励まされて喜ばないわけにもいかない。とはいえ秋津相手だと、何故か素直に感謝することができない。
 頼継は、そんなの出来て当たり前だという不敵の笑みをだし、秋津の頭を撫でた。飼い犬を撫でるかのようにワシャワシャと強く撫でて、秋津の髪型を乱した。
 秋津は「な、何するんですか?」と言い返すも、頼継はただ笑って、去った。
 そんな頼継と入れ替わりに、秋津と船乗り衆は箕輪城に入った。秋津は厳命する。

「堀は、でっかい熊や猪の侵入を防ぐために広げる。深くもする。これなら大祝の事後申告でも諏方大明神もは認めてくれる。土塁は壊すな。付け足せ。これなら壊したことにはならないから、神様も怒らないはずよ。あとは小さくてもいいから、城内に畑を作れ。そうすれば神様にもここは城ではなく、畑と言える。分かった? いいね!」

「おう!」

 惣蔵は唖然とした。秋津は得意げで惣蔵に言う。

「これならいいでしょ」

 惣蔵は頷かなかったが、妙なほど納得した。





 次の日、空堀の拡張工事が始まる。木下惣蔵の命で地元民衆の協力も貰った。段丘の隅に位置する箕輪城の三方を深い薬研堀で囲み、掘り出した土はそのまま大規模な土塁とした。これを僅か二日でやり遂げた。
 次に、堀を挟んで南北に新たな郭を築くべく、さらに薬研堀を掘り進める。

 この夜、小雨の中、諏方頼継の一行が八洲香姫を連れて箕輪城に来た。無論、神林丁字もいる。頼継は工事の速さに驚いた。

「す、凄い。よくここまで作ったな。深い堀ならよく見るが、こんなに高い土塁は見たことがない」

 秋津は得意げだ。

「甲斐の守護館と全く同じ土塁を再現しました。これも挑発です。敵に天竜川を渡らせるためには、このくらいやらなきゃです」

「まったく、どこまで人を怒らせることが上手いのやら。嫁に行く気、ないだろ」

「ないでえええぇっす!」

 秋津はのん気に笑った。
 しかし、ここで大問題がふたつ、起こる。
 ひとつめは、この城は小さいが故に、屋敷が狭くて安普請だったことだ。姫は屋敷に入るや、足下を警戒した。

「ゆ、床がきしむ……」

 穴が開いて落ちないかと、足を進れられない。丁字が姫の前に出て、先に部屋まで歩いて安全を確認してから、姫は慎重に歩いて部屋に入る。姫の自室に選ばれたこの部屋は四畳半。これでもここでは一番綺麗な部屋だという。高遠館ではこの倍の部屋を貰っていた。いや、あの広い奥屋敷全てが自室みたいなものだった。
 その上、妙な気配も感じる。

「壁から声……。襖、誰か覗いてる……」

 姫は怖くなって、思わず部屋から出た。
 秋津は姫に謝った。

「申し訳ございません。屋敷を立て替える暇までなかったので耐えてください。私もいくさが終わるまでは基本、ここにいますから」

 頼継も理解してほしかった。

「今、高遠は最も危険です。藤沢の姫様も後日、ここへ避難に参ります。そうなれば女同士、賑やかになり、不安も消えましょう。これでお許し下さい」

 姫は拒んだ。

「おきなと一緒に帰りたい……」

 頼継と秋津は、困った。
 ここで襖が、いきなり倒れた。頼継も姫もみんな驚いた。木下惣蔵の息子と娘が覗いて、勢い余って襖と一緒に倒れたのだ。
 子供たちは立ち上がり、姫を見るや気味悪がった。

「わー、真っ白こわい」「子供を産んでも真っ白だろうな」「えー、やだ気持ち悪ーい」

 これがもうひとつの大問題、偏見だ。頼継と秋津は青ざめ、怒り、同時に思った。

ーーまったく、あのバカ正直めが!

 姫はショックだった。

「帰る! おきな、帰して!」

 と、泣いて騒いだ。
 神林丁字は怒る。子供たちの袖を掴んで無理やり部屋から連れ離し、皆の視界の外へ消える。そして丁字は子供たちを説教し、子供たちが泣き喚く声が丸聞こえだ。惣蔵と妻まで謝ってる。
 この件は即刻、深夜にも関わらず、惣蔵の妻子は箕輪城を離れ、南にある飛び地領へ避難させることにした。
 姫は、住人を追いやったようで申し訳なく感じ、瞳を震わせた。

ーー押しかけてごめんなさい……。

 言いたくても言えない葛藤に、姫は胸を痛める。姫にとって高遠がどれだけ居心地が良かったか? 頼継がどれだけ姫に気を遣っていたかが改めて痛感させられることとなる。逆を言うなら、高遠以外が悪い意味で〝正常〟なのだ。
 頼継はとりあえずホッとした。だがすぐに真剣な表情に変える。

「秋津、ひと月で良いのだな?」

「はい。縄張改修が出来ても出来なくても、それで構いません。なんとかしますから」

「分かった。それまでワシと槍弾保科正俊で、しっかり敵をくい止めてやろう」

 頼継は十五日の日の出前、雨は止んでないが、馬に乗って箕輪城を出て高遠を目指す。

ーーワシの領地も、あとひと月か……。

 先祖代々から故郷にしてきた、守屋の南を守護する高遠の地を守れるのはそれだけしかないのかと思うと、激しい葛藤に襲われる。それでも、

「勝つためだ。仕方なかろう!」

 頼継は涙を堪えながら、渡河場の船橋を渡った。





 頼継の高遠衆の陣取りは、居館のすぐ北の段丘上に諏方頼継の五百と、対岸の山城、まと城に保科正俊の三百と、町の出入口となる街道上の関所に二百である。町衆は全員、街中と周辺村落の寺社へ避難させた。敵にとって高遠衆の居場所は、谷の出口に当たる。頼継にとっては少数で敵の進軍を止め、優位に立つにためには、このうえない場所だった。

 十四日、甲州勢は上原に着いていた。十五日、敵将が上社本宮で戦勝祈願していた。

 十六日、晴れたら暑さを感じた。敵は二手に分かれて侵略する。敵総大将率いる本隊四千が杖突峠を上って高遠を目指し、板垣信方の別働隊四千は昨年と同じく、荒神山の守備隊と対峙した。今回の味方は、小野おの塩尻しおじり周辺の小笠原衆が初めから増援に来ていたので、敵板垣衆も簡単には突破できないだろう。
 十七日夕刻、頼継は敵本隊を視認した。

「やはり軍勢は縦二列で来るしかない。さあ来い蛮族共。大軍勢が谷街道を歩いたら隙だらけ。戦術の基本じゃぞ。これなら弟の仇が取れるぞ!」

 案の定、敵は止まった。

「これ以上進めば、正面と左右から叩く!」

 頼継は、敵を蹴散らす自信を膨らませた。



 十八日、日が昇ると異変がおきていた。
 頼継は眠気眼を疑った。

「ま、的場城に何故、敵の旗印があるのだ? 槍弾はどうした? まさか夜討ちか?」

 敵襲を疑ったが城は焼けておらず、騒音もない。むしろ敵家紋の花菱と保科家家紋の並び九曜、双方の旗が仲良くなびいていた。
 頼継は直感し、身震いすると、大声で全軍に命令した。

「今より福与城へ後退する! 陣幕と差し旗は置いていけ。関所と館の衆にも持ち場を捨てて福与へ走るよう伝えよ。急げ!」

 頼継の高遠衆は大慌て退却した。頼継は、正俊が敵に寝返ったと判断した。蛮族と小笠原を天秤にかけたら甲州側に傾く。正俊はそれだけ小笠原が大嫌いなのだ。
 大慌てで逃げる高遠衆は、追撃されなかった。敵本隊に、先祖代々拠点としていた高遠館が奪い取られてしまった。



 的場城の本郭。状況を眺める保科正俊のもとに、鎌田長門守が怒り心頭に現れた。

「おい保科、どうして追撃しない? これほどの好機を見逃すテメェでもなかろう」

 正俊は、長門守を睨んで返答した。

「甲斐に従えば本領安堵は保証する。だから従った。それ以上の注文は受けてない」

「ふざけるなキタリモンよそもの。ワシの命をおとなしく聞いて、槍弾正らしく名をあげてみせろよ。褒美はやるって言ってんだからやれ!」

 鎌田長門守の言動を間に受けてはいけない。諏方頼重の死でこれを学んだ者は多い。
 正俊は無骨に見えても、賢い男だ。

「誰がキタリモンだ? ここは高遠だぞ。それは貴様だ! そうまでして喧嘩を売りたいのなら、買ってやろうじゃないか!」

 正俊は鎌田長門守に向け槍を持ち、殺気をむき出しにする。鎌田長門守は寒気を感じるも、まだ強がりだけは見せた。

「ふ、ふ、ふざけるな。へ、口先ばかり強がりおって、実は弱かったりしないか? 槍弾正も地に落ちたな」

 と、ここに鎌田の護衛で鎌田隊一番の巨漢であり豪傑の槍使いが現れた。豪傑は鎌田の前へ、守るようにして立ち、鬼の形相で槍を前に構えた。豪傑は名乗りをあげようと口を開ける。

「我が名は加……」

 正俊は、豪傑が名乗る前に素早い一撃で豪傑を瞬殺した。豪傑はドスンと後ろへ倒れた。鎌田隊一番の強者は、まったく相手にならなかった。
 正俊は、人を見下した目つきで鎌田に言い放った。

「まだ〝蚊〟を飛ばす季節じゃねぇだろ。お前の知行地、どんだけ不衛生きたないんだ?」

 鎌田長門守は蒼白になって腰を抜かし、震える足で転びながらも退散した。

「い、板垣殿に言いつけて処罰させてやるから、お、覚えておけよ!」

 正俊の足軽衆は、長門守を嘲笑った。
 正俊は眼下の伊那平を見て、思う。

ーー許してくだされ高遠様。ワシが出来るのはこれくらいしかないのだ……。

 正俊は主君を裏切った罪悪感に襲われた。だから追撃はしない。そんな激しい葛藤に苦しむ正俊は、この判断しか出来なかった。
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