15 / 38
15. あの日 ※お父様視点※
しおりを挟む
あの、全てが終わった日のことを、私は生涯忘れないだろう。
私の母は、私が物心ついた時からとても厳しい人だった。
他国の王族であった祖母の影響で、我が国では美徳とされていた男に盲従な貴族女性とは違い、自分の意見をしっかりと持っていた。他人にも、それ以上に自分自身に厳しく、常に気を抜かず、真っ直ぐに前を向いてピンと背筋を伸ばしているような人だった。
私は彼女の、『王妃』としての姿以外を見たことがない。母親としての愛情をかけられたことはないし、父王の愛人達に対して嫉妬に狂うような、『女』の一面を見せることなど皆無だった。
死ぬその瞬間まで、母は孤高の気高い王妃だった。
政略結婚の末、憎いといっても過言ではない男との間に、義務で産ませられた子供が私だ。母とってはさぞかし疎ましい存在だったことだろう。息子の私を愛せないのは、彼女の所為ではない。せめて愚かな父親に似て無能な後継ぎにならないように、手元に置いて厳格な躾をしようとしたのも肯ける。
「国は、国民なくして成り立ちません。王族も、彼らの信頼なくして生きてはいけないのです」
それが母の口癖だった。
いつ母がそれを決断したのかは分からない。ただある日、父の異母弟である叔父と母が話し込んでいる場面を見たことがある。
幼い私と歳の近い従兄弟ーーアーノルドを遊ばせる名目で、叔父は度々、王宮の片隅にある離宮の、母と私の生活空間に姿を見せた。
その日もアーノルドを伴って現れた叔父に、母は珍しく午後のお茶を申し出たのだ。
その頃には既に、現国王である第一王子派と、叔父である第二王子派での対立が激化していたから、いわば二人の『密会』は邪推を招く恐れがあったが、幼い子を持つ親同士という建前に誤魔化されて、大袈裟に考える者はいなかったように思う。
そしてあの日ーー
私と二人だけの朝食を取った後、母は父に遣いの者を送った。
「久しぶりに家族水入らずで、お茶を頂きたいですわ。ハワードが貴方に会いたがっていますの」
……もちろん嘘だ。生まれてこの方、ろくに言葉も交わしたこともない父に、私は会いたいなどと思ったことはない。どう言いくるめたのかは知らないが、その日の午後、父は渋々、私の顔を見にやってきた。
母は早々にメイドを下がらせると、手ずから紅茶を振る舞った。「貴方に紅茶はまだ早いから」と言って、私には果実水を。
とても穏やかな、気持ちのいい昼下がりだった。
春の訪れを喜ぶ鳥のさえずりが、遠くから聞こえて来る。一匹のリスが机の上によじ登ってきて、皿から木の実入りの焼き菓子を口を一杯にして失敬していった。
ーーどれぐらいの時が過ぎたのか。
目の前で悶え苦しむ両親を、私は身動ぎ一つせず静かに見つめていた。
ひゅーひゅーと呼吸困難に喘ぐ父が、まるで助けを求めるように震える手を伸ばしてくるが、その指先が私に届く前に力をなくしてガクンと下に落ちた。
母も苦しそうに喉を押さえているが、父みたいに不様に喚いてはいなかった。覚悟を決めた者の強さか、グッと眉間に皺を寄せて耐えている。
目の前の惨劇が、まるで他人事のようだった。人の命がーー両親の命が消えゆくというのに、何の感情も湧いてこない。
さらりと心地良い風が、私の頬を戯れに撫でていく。
思えばその日は朝から穏やかな日だった。嵐の前の静けさというか、日頃の喧騒さが耳に届かない。
母は朝食の席で、私に立派な大人になりなさいと言った。
「王族に生まれたからには、望む望まざるに拘わらず、それだけの責任がついて回ります。貴方には、ラッセル王国の民に対して多大なる責務があるのです。彼らが貴方の地位を支えてくれるように、貴方は彼らの命と生活を何としても守らなければなりません」
だから状況をよく見て、決して感情的にならず、何が最善かを考えられる人間になりなさい、と。
いつも言われていることなので、私はただ素直に「はい、お母様」とだけ返した。
今、自分に求められていることーー
二人の死が、確実になるまで。
最初で、そして最後の一家団欒の場に静けさが戻った頃。
私はようやく、誰かを呼ぶために席を立った。
「……愛してるわ、ハワード。私の可愛い子……」
母の間際の言葉に、自分が涙していることも知らずに。
私の母は、私が物心ついた時からとても厳しい人だった。
他国の王族であった祖母の影響で、我が国では美徳とされていた男に盲従な貴族女性とは違い、自分の意見をしっかりと持っていた。他人にも、それ以上に自分自身に厳しく、常に気を抜かず、真っ直ぐに前を向いてピンと背筋を伸ばしているような人だった。
私は彼女の、『王妃』としての姿以外を見たことがない。母親としての愛情をかけられたことはないし、父王の愛人達に対して嫉妬に狂うような、『女』の一面を見せることなど皆無だった。
死ぬその瞬間まで、母は孤高の気高い王妃だった。
政略結婚の末、憎いといっても過言ではない男との間に、義務で産ませられた子供が私だ。母とってはさぞかし疎ましい存在だったことだろう。息子の私を愛せないのは、彼女の所為ではない。せめて愚かな父親に似て無能な後継ぎにならないように、手元に置いて厳格な躾をしようとしたのも肯ける。
「国は、国民なくして成り立ちません。王族も、彼らの信頼なくして生きてはいけないのです」
それが母の口癖だった。
いつ母がそれを決断したのかは分からない。ただある日、父の異母弟である叔父と母が話し込んでいる場面を見たことがある。
幼い私と歳の近い従兄弟ーーアーノルドを遊ばせる名目で、叔父は度々、王宮の片隅にある離宮の、母と私の生活空間に姿を見せた。
その日もアーノルドを伴って現れた叔父に、母は珍しく午後のお茶を申し出たのだ。
その頃には既に、現国王である第一王子派と、叔父である第二王子派での対立が激化していたから、いわば二人の『密会』は邪推を招く恐れがあったが、幼い子を持つ親同士という建前に誤魔化されて、大袈裟に考える者はいなかったように思う。
そしてあの日ーー
私と二人だけの朝食を取った後、母は父に遣いの者を送った。
「久しぶりに家族水入らずで、お茶を頂きたいですわ。ハワードが貴方に会いたがっていますの」
……もちろん嘘だ。生まれてこの方、ろくに言葉も交わしたこともない父に、私は会いたいなどと思ったことはない。どう言いくるめたのかは知らないが、その日の午後、父は渋々、私の顔を見にやってきた。
母は早々にメイドを下がらせると、手ずから紅茶を振る舞った。「貴方に紅茶はまだ早いから」と言って、私には果実水を。
とても穏やかな、気持ちのいい昼下がりだった。
春の訪れを喜ぶ鳥のさえずりが、遠くから聞こえて来る。一匹のリスが机の上によじ登ってきて、皿から木の実入りの焼き菓子を口を一杯にして失敬していった。
ーーどれぐらいの時が過ぎたのか。
目の前で悶え苦しむ両親を、私は身動ぎ一つせず静かに見つめていた。
ひゅーひゅーと呼吸困難に喘ぐ父が、まるで助けを求めるように震える手を伸ばしてくるが、その指先が私に届く前に力をなくしてガクンと下に落ちた。
母も苦しそうに喉を押さえているが、父みたいに不様に喚いてはいなかった。覚悟を決めた者の強さか、グッと眉間に皺を寄せて耐えている。
目の前の惨劇が、まるで他人事のようだった。人の命がーー両親の命が消えゆくというのに、何の感情も湧いてこない。
さらりと心地良い風が、私の頬を戯れに撫でていく。
思えばその日は朝から穏やかな日だった。嵐の前の静けさというか、日頃の喧騒さが耳に届かない。
母は朝食の席で、私に立派な大人になりなさいと言った。
「王族に生まれたからには、望む望まざるに拘わらず、それだけの責任がついて回ります。貴方には、ラッセル王国の民に対して多大なる責務があるのです。彼らが貴方の地位を支えてくれるように、貴方は彼らの命と生活を何としても守らなければなりません」
だから状況をよく見て、決して感情的にならず、何が最善かを考えられる人間になりなさい、と。
いつも言われていることなので、私はただ素直に「はい、お母様」とだけ返した。
今、自分に求められていることーー
二人の死が、確実になるまで。
最初で、そして最後の一家団欒の場に静けさが戻った頃。
私はようやく、誰かを呼ぶために席を立った。
「……愛してるわ、ハワード。私の可愛い子……」
母の間際の言葉に、自分が涙していることも知らずに。
2
あなたにおすすめの小説
処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜
放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!?
「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」
不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。
【完結】お父様(悪人顔・強面)似のウブな辺境伯令嬢は白い?結婚を望みます。
カヨワイさつき
恋愛
魔物討伐で功績を上げた男勝りの辺境伯の5女は、"子だねがない"とウワサがある王子と政略結婚結婚する事になってしまった。"3年間子ども出来なければ離縁出来る・白い結婚・夜の夫婦生活はダメ"と悪人顔で強面の父(愛妻家で子煩悩)と約束した。だが婚姻後、初夜で……。
売られた先は潔癖侯爵とその弟でした
しゃーりん
恋愛
貧乏伯爵令嬢ルビーナの元に縁談が来た。
潔癖で有名な25歳の侯爵である。
多額の援助と引き換えに嫁ぐことになった。
お飾りの嫁になる覚悟のもと、嫁いだ先でのありえない生活に流されて順応するお話です。
勘違い妻は騎士隊長に愛される。
更紗
恋愛
政略結婚後、退屈な毎日を送っていたレオノーラの前に現れた、旦那様の元カノ。
ああ なるほど、身分違いの恋で引き裂かれたから別れてくれと。よっしゃそんなら離婚して人生軌道修正いたしましょう!とばかりに勢い込んで旦那様に離縁を勧めてみたところ――
あれ?何か怒ってる?
私が一体何をした…っ!?なお話。
有り難い事に書籍化の運びとなりました。これもひとえに読んで下さった方々のお蔭です。本当に有難うございます。
※本編完結後、脇役キャラの外伝を連載しています。本編自体は終わっているので、その都度完結表示になっております。ご了承下さい。
第3皇子は妃よりも騎士団長の妹の私を溺愛している 【完結】
日下奈緒
恋愛
王家に仕える騎士の妹・リリアーナは、冷徹と噂される第3皇子アシュレイに密かに想いを寄せていた。戦の前夜、命を懸けた一戦を前に、彼のもとを訪ね純潔を捧げる。勝利の凱旋後も、皇子は毎夜彼女を呼び続け、やがてリリアーナは身籠る。正妃に拒まれていた皇子は離縁を決意し、すべてを捨ててリリアーナを正式な妃として迎える——これは、禁じられた愛が真実の絆へと変わる、激甘ロマンス。
贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる
マチバリ
恋愛
貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。
数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。
書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。
男として王宮に仕えていた私、正体がバレた瞬間、冷酷宰相が豹変して溺愛してきました
春夜夢
恋愛
貧乏伯爵家の令嬢である私は、家を救うために男装して王宮に潜り込んだ。
名を「レオン」と偽り、文官見習いとして働く毎日。
誰よりも厳しく私を鍛えたのは、氷の宰相と呼ばれる男――ジークフリード。
ある日、ひょんなことから女であることがバレてしまった瞬間、
あの冷酷な宰相が……私を押し倒して言った。
「ずっと我慢していた。君が女じゃないと、自分に言い聞かせてきた」
「……もう限界だ」
私は知らなかった。
宰相は、私の正体を“最初から”見抜いていて――
ずっと、ずっと、私を手に入れる機会を待っていたことを。
独身皇帝は秘書を独占して溺愛したい
狭山雪菜
恋愛
ナンシー・ヤンは、ヤン侯爵家の令嬢で、行き遅れとして皇帝の専属秘書官として働いていた。
ある時、秘書長に独身の皇帝の花嫁候補を作るようにと言われ、直接令嬢と話すために舞踏会へと出ると、何故か皇帝の怒りを買ってしまい…?
この作品は、「小説家になろう」にも掲載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる