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9_低姿勢な皇子様
しおりを挟む襦裙と呼ばれる衣に着替えた後、私は俊煕殿下とともに、内廷の門をくぐり、中に足を踏み入れていた。
内廷――――後宮は大きく、西と東に分かれている。東の区画を東六宮といって、女性の遺体が見つかったのも、この区画にある宮殿の一つだった。
噂によると、和紫皇宮には、八千以上の部屋があるらしい。
役職ごとに立ち入れる場所に制限があるから、大官でも部屋数を正確には把握していないということだった。
仲弓さんは内廷には入れないので、外廷で聞き込みをしている。後で合流する予定だ。
「また会えて、嬉しく思います」
肩を並べて歩いていると、俊煕殿下のほうから話しかけてくれた。
「え、ええ、光栄です・・・・」
俊煕殿下は気軽に接してくれるけれど、私にとっては雲の上の存在で、こうやって直接話をしていることが信じられない。
(・・・・何を話せばいいのか・・・・)
何を話題にすればいいのかわからないから、とりあえず笑っておこうと、笑顔だけは作っておいた。
殿下は今日は、金黄色の朝袍ではなく、黒地に襟と帯が赤の、ゆったりとした深衣を着ている。殿下は肌が白いので、黄色よりも黒が似合っていた。帯に吊るされた玉佩が、足の動きに合わせて揺れている。
「俊煕殿下!」
「殿下、ご挨拶申し上げます」
内廷に入るとさっそく、俊煕殿下に気づいた宮女達がわらわらと集まってきて、いっせいに跪く。
「みな、立ってほしい。今は客人を案内している最中なので、挨拶をする必要はない」
「感謝いたします」
立ち上がった宮女達の目は輝き、頬はほんのりと赤くなっていた。武芸に優れた容姿端麗な皇子となれば、宮女達の憧れの的なのだろう。
「客人が来たことを、妃嬪達に伝えてほしい」
「承りました」
宮女達は、舞うように動き出した。
彩り豊かな衣と、黒髪を彩る簪。女性達はまるで蝶のように、動き、喋っているだけで、光を放っているように見えた。
これが内廷の空気なのかと、私は今まで感じたことがない華やかさに、圧倒される。
女性達の後を追うように、蝶が飛んでいく。金細工にはめ込まれた玉のような、その羽の色に目を引き付けられた。
「綺麗な方々ですね」
「国中の良家の子女の中から、美しい少女が選ばれたと聞いております」
「この場所は、殿方の天国ですね」
頭に、仲弓さんのことが浮かぶ。
もし、仲弓さんがこの場所に足を踏み入れることを許されていたのなら、きらきら発光しているような女性達を見て、浮ついたに違いない。
その様子を思い浮かべると、おかしくなる。
「天国、ですか?」
「そうは思いませんか?」
殿下はくすりと笑う。
「内情を知れば、考えが変わると思います。存外、諍いが多い場所ですから。この場所で暮らして二月もすれば、嫌になる方も多いでしょう」
「そうなのですか?」
「父上はいつも、妃嬪達の喧嘩のとりなしに、苦労しておられます」
こんなきらびやかな場所でも、暮らしはじめれば苦労は多いようだ。
話題は、それで尽きてしまった。
(それにしても、腰が低い方よね)
皇子という身分にありながら、腰が低く、皇宮の問題解決を他人に任せずに、自ら動いている。これで武芸に秀で、戦にも強いというのだから、まさに理想の皇子様だ。
「殿下、東六宮のことを教えてもらえないでしょうか?」
他に話題が思いつかないのなら、仕事の話をしたほうがいいと頭を切り換えて、私は東六宮のことを聞くことにした。
「内廷の事情にはくわしいとは言えませんが、知っていることにはお答えできるでしょう。何が知りたいんですか?」
「宮女は、どれぐらいいるんでしょうか?」
「東六宮では、五十一人の宮女が働いていると聞いています」
「確か、今陛下の寵愛を受けているのは、曹貴妃様と趙徳妃様ですよね?」
「ええ、そうです。曹貴妃様は皇子正廷の母君、趙徳妃様は、皇子克誠の母君です。お二人とも、皇子を産んだ功績により、父上より四夫人の位を授かったそうです」
和紫皇宮の内廷では、位別に定員が決まっているそうだ。
皇后に次ぐ地位にあるのが、四夫人だと聞いていた。
「行方不明になった宮女は、何人いるんでしょう?」
「この数年内に区切るなら、六人です」
大まかな情報を、頭に入れていく。一度に多くの情報を聞いてしまうと、逆に思考力が鈍るから、他のことについては、そのつど俊煕殿下に質問するしかない。
「あの大きな建物は?」
私は一番手前に見えた、建物の屋根を指差す。
「あれは、承粋宮です。曹貴妃様が暮らしていらっしゃいます」
承粋宮の塀の近くで、私達は立ち止まる。
「それで、まず誰に話を聞きに行きましょうか?」
「ええと・・・・」
まずは何をするべきかと、私は考えた。
「壁に隠されていたという女性の遺体を、見せてもらえるでしょうか?」
俊煕殿下は目を見張った。
「まず、遺体を見に行くんですか?」
「ええ、実際に見たほうが、何か気づくことがあるかもしれませんから」
もう埋葬されている可能性もある。だけど、もしまだ埋葬前なら、自分の目で確かめてみたかった。
「遺体は、まだ養寿宮に安置されているそうです。ですが――――大丈夫ですか? 腐敗が少ないほうですが、生々しい傷跡が残っています」
「気遣いは無用です。私が住んでいる土地では、獣害の被害も珍しくないので、遺体に触れることにも、遺体の損傷を見ることにも慣れています」
「・・・・厳しい土地に住んでいるんですね」
私達が住んでいる地域は豪雪地帯で、作物が育ちにくく、牧草が生えている時期が短いから、養える家畜の数も限られている。だから、西京の温暖な気候が羨ましかった。
「医術の知識を持っているんですか?」
「知識と言えるほどのものかどうかはわかりませんが、ある方のもとで、女性特有の病気について学びました。その時の知識を、役立てることができるかもしれません」
医術について学んできた医官の知識には、遠く及ばないけれど、医者がなかなか来てくれない土地で暮らしてきて、そこで培ってきた知識はいくつかある。違う視点から、その知識を役立てることができるかもしれなかった。
「それから殿下、私にたいして、堅苦しい言葉遣いは必要ありません。臣下に接するときと同じように、平語でお話しください」
殿下は私に敬語で接してくれるけれど、臣下にたいしては皇子らしくふるまっている。身分の低い私にたいして、敬語を使う必要はないはずだった。
「臣下にたいしてはそうふるまうよう、教えられたので、そうしています。ですが、あなたは客人です。それに、年長者には敬語を使わないと」
「・・・・殿下の年齢を、教えていただけますか?」
「十七です」
確かに年下だ。殿下は背が高いから、もっと年齢は上だと思っていた。
殿下が私に敬語を使っているところを誰かに見られたら、勘繰られてしまうだろう。こういった場所でのふるまいには、細心の注意を払えと、仲弓さんにしつこいほど念を押されている。
「年齢よりも、身分が大事です。だから、敬語は必要ありません」
殿下は、にこりと笑う。
「だったら私にたいしても、敬語は必要ありません。仲弓殿に接しているように、気兼ねなくお話しください」
「えっ」
「お互いに、敬語を使うのはやめましょう」
「い、いえ、それは・・・・」
殿下と、対等に話せるわけがない。
でも、にこやかに笑っている俊煕殿下を見つめていると、断ることができなかった。
「・・・・や、やっぱり、お互いに敬意を払い、このまま敬語で話すことにしましょう」
「そうですか」
俊煕殿下は、少し残念そうな顔をしていた。
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