後宮の死体は語りかける

炭田おと

文字の大きさ
11 / 56

10_冷たい肌

しおりを挟む


 その建物は一目で、長い間放置されていたのだとわかるほど、荒れ果てていた。


 養寿宮ようじゅきゅうと書かれた扁額へんがくにも、扉にも、蜘蛛の巣が張っている。屋根の瓦は一部砕け、入口の階段は誰かが踏み抜いたのか、大きな穴が開いていた。


「足元に気をつけてください」

 俊煕しゅんき殿下は、手を差し伸べてくれる。

 断るのも逆に悪い気がして、私は少し緊張しながら、殿下の手に自分の手を重ねた。


 内部は暗く、台の他には何もなかった。黴の匂いと埃が漂い――――それに腐敗臭に満ちていて、呼吸をするのも苦しい。


 その台の上に、大きな布に包まれた何かが置かれている。


「殿下、このような場所に、なにゆえいらしたのですか?」

 遺体を見張っていた宦官かんがんの一人が、近づいてきた。

「父上から、調査を任された。女人の遺体を見せてほしい。それから、遺体の解剖に関わった医官いかんを呼んできてくれ」

「承りました」

 二人の宦官かんがんが忙しく動き出し、一人は外へ飛び出して、もう一人が遺体の側面にまわった。そして、布が開かれる。


 横たわる遺体は半裸で、顔には小さな布が被せられていた。


 蝋のような真っ白な肌が、暗闇の中、浮かび上がるように光っている。いくつかの痣が残り、わずかに腐敗臭がするものの、それ以外は生きている時と変わらないのではと思えるほど、彼女は綺麗だった。

 ただ長い黒髪は艶やかさを失い、台から零れ落ちている。


「遺体はこのままの姿で、壁の中に?」

「いいえ、死因を調べるために、衣は脱がせました。衣はそちらに」

 私は遺体に近づいて、顔の布を持ち上げようとした。

「おやめください」

 だけど、宦官かんがんに止められた。

「顔を見るのは、やめたほうがいいかと。・・・・損傷が、あまりにもひどいので。どのみち、元の顔は定かではありません」

 忠告に従って、布は取らないことにした。


 顔は布で隠されているけれど、耳の形は見えた。

 女性の耳は特徴的で、耳たぶが厚く、耳介じかいの上の部分が皮膚の中に埋まっている。厚い耳たぶは福相ふくそうとされるけれど、残念ながら、彼女はその幸運に授かれなかったようだ。


「どれぐらいの間、壁の中に埋まっていたんでしょうか?」

識者しきしゃによると、埋められた場所の土の具合によって、経過が異なるそうで、正確に時間を割り出すのは不可能だそうです。状況によっては、数か月前の遺体が、数日前の遺体に見えることもあるそうで、もちろんその逆もありえるでしょう」

養寿宮ようじゅきゅうが放棄されたのは、いつなんですか?」

「十年前です」

「そんな昔から・・・・それでは、いつ頃遺体がここに隠されたのか、特定は難しいですね」


「失礼します」

 その時、宦官かんがん医官いかん大官たいかんを連れて、戻ってきた。二人は殿下の前にひざまずいて、拝礼する。


とう大医たいい。遺体を調べて分かったことを、教えてほしい」

「はい。偶然なのか、良好な保存状態だったようで、あまり腐敗が進んでいません。肌や髪質から考えて、二十代の若い女性でしょう。身につけていた衣類から、おそらく宮女きゅうじょの一人で間違いないと思われます」

 遺体の傍らに置かれていた布を開くと、女性が死後も身に付けていた、汚れた衣類が出てきた。

「壁の煉瓦が一部取り外され、そこに土とともに詰め込まれていました。死後に、身元をわからなくするために、顔を潰されたのでしょう。幸い、胃の内容物が残っていました」

 とう大医たいいは、遺体の傍らに置かれていた皿を持ち上げる。そこには、赤く汚れた何かが乗っていた。

「それは何だ?」

「――――おそらく西域せいいきから取り寄せた、果実の種だろうと存じます。西域せいいきの葡萄ではないでしょうか?」

西域せいいきから取り寄せた特別な果物は、内廷ないていと言えども、一部の方々しか口にできません。手に入れられるのはおそらく皇后様と、九嬪よりも上の位の方々だけでしょう」

 とう大医たいいの話を、宦官かんがんが補足してくれた。

 これは重要な情報だと思い、殿下を見た。

「殿下。九嬪よりも上の位の方々に仕えていた宮女きゅうじょの中で、行方不明になった方は何人いますか」

「三人です。うち一人は曹貴妃そうきひ様の下で働いていた翠蘭すいらん、もう一人は趙徳妃ちょうとくひ様の下で働いていた、小鈴しょうりんです。翠蘭すいらんは半年前、小鈴しょうりんは一か月前、行方をくらませています」

「半年も前の遺体なら、もっと腐敗が進んでいるはずです。翠蘭すいらんは排除していいのでは?」

「今年は異常な冷夏でしたし、かなり乾燥していました。それに遺体は、偶然にも石柱せきちゅうに接する形で遺棄されていたんです。冷やされた石柱せきちゅうの影響で、腐敗が遅れた可能性もあります」


 私はもっとよく見ようと、遺体の頭側にまわる。


 すると、腐敗臭に混じって、かすかに香の匂いがした。


「・・・・かすかに、香りがしますね。この方は生前、髪に、髪油かみあぶらを塗っていたのかもしれません」

 私がそう言うと、殿下は目を見張る。

嶺依りょうい殿は、かなり鼻がいいようですね」

「ええ、故郷の仲間にはよく、性格だけじゃなく、嗅覚まで獣のようだと揶揄されます」

「獣?」

 殿下は小首を傾げる。

「それはまた・・・・たいそうな褒め言葉ですね」

「褒め言葉ではないのですが・・・・」

 殿下はどうして、褒め言葉だと思ったのだろう。

 殿下は本当にそう思っているような顔をしていて、冗談なのか本気なのか、私には判別できなかったから、流すことにした。


「よければ、妃嬪ひひんの方々が使っていた髪油かみあぶらの匂いを、かがせてもらえないでしょうか?」

「同じものを特定できると言うのか?」

 とう大医たいい達には、疑いの目を向けられた。

「あまり自信はありませんが、試しにやってみたいのです」

「では、すぐに用意させます」

 殿下に目で指示を出され、宦官かんがんは急いで、養寿宮ようじゅきゅうを飛び出していった。


髪油かみあぶらを持ってまいりました!」

 戻ってきた宦官かんがんの手には、何種類もの小瓶が握られていた。彼はそれを、台の端に並べていく。


 私は一つ一つ手に取り、匂いを嗅いでみた。


「これです。この髪油かみあぶらです」


 すぐに、同じ匂いの髪油かみあぶらを見つけることができた。


「ま、まことか? 適当なことを申しておるのではあるまいな!」

「間違いありません」

 とう大医たいい達は、私が匂いだけで、同じ髪油かみあぶらを見つけられるとは、信じていなかったのだろう。目を白黒させている。

「この髪油かみあぶらには香りづけに、何が入っているんですか?」

「こ、これには、竜脳りゅうのう白檀びゃくだんが入っています」

 髪油かみあぶらを持ってきた宦官かんがんが、教えてくれた。

「この髪油かみあぶらを使っているのは、どなたでしょうか?」

「・・・・曹貴妃そうきひ様と、趙徳妃ちょうとくひ様です」

 これは大きな手がかりだ。殿下の表情も、明るくなった。

「し、しかし、使っているのは曹貴妃そうきひ様と趙徳妃ちょうとくひ様だろう?」

「お二人が時々、髪油かみあぶら宮女きゅうじょに使わせているところを、見た者がいます」

 ある程度、遺体の身元を絞ることができた。――――問題は、この女性がどちらに仕えていた宮女きゅうじょなのか、それを特定する方法だ。

「お二方に話を聞かれてはどうでしょう?」

「この女性が顔を潰されたのは、身元をわからなくするためだ。曹貴妃そうきひ様や趙徳妃ちょうとくひ様に話を聞いたとしても、素直に答えてもらえるとは思えない。お二方に仕えている宮女きゅうじょ達も、口を閉ざすはず」


 顔を潰したのは、身元をわからなくするためだ。言い逃れできないような証拠がなければ、真実は聞きだせないだろう。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

幼馴染に10年片想いしてたら、冷酷御曹司にプロポーズされました

ほーみ
恋愛
 春の匂いが、駅前の並木道をくすぐる。満開の桜の下、私はひとり歩いていた。駅までの道は、高校時代、彼とよく歩いた道だ。  制服姿の学生が笑いながらすれ違っていくのを横目に、私はスマホを見下ろした。  「今日、伝えるって決めたんじゃなかったの?」  送信したきり返信のないメッセージ。画面には「既読」の文字があるだけだった。  ――渡瀬 湊。私が10年間片想いをしている、幼馴染。

【完結】育てた後輩を送り出したらハイスペになって戻ってきました

藤浪保
恋愛
大手IT会社に勤める早苗は会社の歓迎会でかつての後輩の桜木と再会した。酔っ払った桜木を家に送った早苗は押し倒され、キスに翻弄されてそのまま関係を持ってしまう。 次の朝目覚めた早苗は前夜の記憶をなくし、関係を持った事しか覚えていなかった。

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

仕事で疲れて会えないと、恋人に距離を置かれましたが、彼の上司に溺愛されているので幸せです!

ぽんちゃん
恋愛
 ――仕事で疲れて会えない。  十年付き合ってきた恋人を支えてきたけど、いつも後回しにされる日々。  記念日すら仕事を優先する彼に、十分だけでいいから会いたいとお願いすると、『距離を置こう』と言われてしまう。  そして、思い出の高級レストランで、予約した席に座る恋人が、他の女性と食事をしているところを目撃してしまい――!?

君に恋していいですか?

櫻井音衣
恋愛
卯月 薫、30歳。 仕事の出来すぎる女。 大食いで大酒飲みでヘビースモーカー。 女としての自信、全くなし。 過去の社内恋愛の苦い経験から、 もう二度と恋愛はしないと決めている。 そんな薫に近付く、同期の笠松 志信。 志信に惹かれて行く気持ちを否定して 『同期以上の事は期待しないで』と 志信を突き放す薫の前に、 かつての恋人・浩樹が現れて……。 こんな社内恋愛は、アリですか?

モテ男とデキ女の奥手な恋

松丹子
恋愛
 来るもの拒まず去るもの追わずなモテ男、神崎政人。  学歴、仕事共に、エリート過ぎることに悩む同期、橘彩乃。  ただの同期として接していた二人は、ある日を境に接近していくが、互いに近づく勇気がないまま、関係をこじらせていく。  そんなじれじれな話です。 *学歴についての偏った見解が出てきますので、ご了承の上ご覧ください。(1/23追記) *エセ関西弁とエセ博多弁が出てきます。 *拙著『神崎くんは残念なイケメン』の登場人物が出てきますが、単体で読めます。  ただし、こちらの方が後の話になるため、前著のネタバレを含みます。 *作品に出てくる団体は実在の団体と関係ありません。 関連作品(どれも政人が出ます。時系列順。カッコ内主役) 『期待外れな吉田さん、自由人な前田くん』(隼人友人、サリー) 『初恋旅行に出かけます』(山口ヒカル) 『物狂ほしや色と情』(名取葉子) 『さくやこの』(江原あきら) 『爆走織姫はやさぐれ彦星と結ばれたい!』(阿久津)

処理中です...