後宮の死体は語りかける

炭田おと

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30_危険な狩場_前編

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 歩きやすかった青洲せいしゅうの森の草地とは違い、その場所には落ち葉が重なっていて、蹄の跡もたどりにくくなっていた。

 でも蹄の跡の代わりに、腐敗臭が進むべき場所を教えてくれる。


「・・・・!」


 しばらく進んだところで、唐突に、仲弓ちゅうきゅうさんが立ち止まる。緊張で張りつめた背中から、何かを見つけたことが伝わってきた。


 仲弓ちゅうきゅうさんの隣に並んで、私は息を呑む。


 群生している藪の間に、男性が俯せに倒れていた。


「・・・・近づいてはなりません」

 前に出ようとした殿下を、仲弓ちゅうきゅうさんが制する。

 その声は、やっと聞き取れるほど小さかった。


「――――狼がいます」


 ――――倒れた男性のまわりを、狼が数匹、うろついていた。体毛は灰褐色で、金色の双眸が、光の加減でぎらついて見える。


「・・・・腐敗臭がする。あの人物はもう、生きていないはずだ」


 倒れた人の手足に、狼の噛み痕が見えた。


 だけど噛まれた箇所の出血量が少ないので、おそらく死後の傷だろう。

 そもそも噛まれても、もう悲鳴すら上げることはないから、彼は確実に亡くなっている。


 狼達は死肉を貪るために、ここに集まってきたのだ。


「・・・・だけど、奇妙ですね。独秀どくしゅう殿下が出立しゅったつなされたのは、昨日です。あの方が殿下の随行だとすると、亡くなられたのも昨日のはず。温かくなってきたとはいえ、まだまだ夜は肌寒い。たった一日で、腐敗するはずがありません」

嶺依りょうい殿の言う通り、かなり奇妙な状況だ。近づいて、死体を見てみなくては。・・・・だが、これでは近づけん」

 浩成こうせい様は、苦々しく呟いた。

 狼達が黄金色の目を光らせているから、死体に近づくことができない。


「狼を追い払います」

 私は弓を構え、狼の足元を狙い、弓弦を引き絞る。矢を放つと冷えきった大気が震えた。


 狙い通り、矢は狼の首に突き刺さり、狼は呆気なく倒れる。


 驚いた他の狼達は、逃げていった。

「さすがです」

 殿下が弓の腕前を褒めてくれる。

「・・・・無闇な殺生はしたくありませんが、味を覚えた狼が、付近の住民を襲うこともありえます。・・・・こうなった以上、殺すしかありません」

「・・・・ええ、そうですね」

「故郷では火矢を使うこともあるのですが、ここでは使えませんから、地道に一頭ずつ狙うしかありませんね」

 草木が多い茂この場所で火を使えば、たちまち木々は火の勢いに飲み込まれてしまうだろう。

 今度は仲弓ちゅうきゅうさんが矢を放ち、狼を一体仕留める。

 倒れた狼は草地に倒れ、二度と動かなかった。

 すべての狼を仕留めることはできなかった。何匹か仕留めると、残りの狼が逃げていってしまったからだ。

 ここが危険だと覚えて、戻ってこないように願う。


 障害を排除できたので、私達は遺体に近づいた。


 遺体の損傷はひどかったけれど、衣の柄や玉佩ぎょくはいなど、身元に繋がるものはいくつも残っていた。


「・・・・独秀どくしゅう殿下に随行していた使用人で、間違いないでしょう」

 しばらく遺体を調べて、浩成こうせい様はそう断定した。


「狼の歯型でわかりにくくなっていますが、わずかに剣傷が残っていました。――――何者かに襲撃されたのは、間違いないようです」


 浩成こうせい様のその言葉に、空気も凍り付いた。

「臭いのもとは、おそらくこれだろう」

 俊煕しゅんき殿下が、遺体の傍らを指差す。

 遺体のまわりには、腐敗した細切れ肉が巻かれていた。


 ――――獣達は、その強い腐敗臭に引き寄せられて、この場所に集まってきたようだ。


「・・・・そのようですね。腐肉は、強烈な臭いを発します。獣を引き寄せるために、置いたのでしょう。獣達に死体を食わせれば、死体を処理できるし、万が一発見されたとしても、剣傷や矢傷は歯型にまぎれ、死因の特定は困難でしょう。誰も刺客に襲われたとは思わず、獣に襲われ、亡くなったということで、処理されるはずです」

「惨いやり方だが、手慣れているな。暗殺を生業とする者達の仕業だろう」

 俊煕しゅんき殿下は、そう断定した。


 遺体の付近の落ち葉を払い、蹄の足跡を探す。


 ――――だけど、ここまで点々と続いていた蹄の跡は、そこで途絶えてしまっていた。


「・・・・足跡は途絶えていますね」

 耳が、藪を掻きわける音をとらえて、思わず身構える。

 だけど藪の中から現れたのは、一頭の馬だった。警戒する私達を呑気に見つめ、尻尾を揺らしている。

「この馬は・・・・」

「鞍が付いています。それに、人に慣れているようです」

 浩成こうせい様が近づいても、馬は無警戒で逃げようとせず、むしろ距離を詰めてきた。野生の馬じゃないことは、明らかだ。

独秀どくしゅう殿下の一行が乗っていた馬か、あるいは刺客の馬ではないでしょうか?」

「どちらにしろ、一行はここで馬を下りたようだ」

 ここに至るまで人の足跡はなく、導いてくれたのは蹄の跡だった。

 独秀どくしゅう殿下の一行も、刺客も、どちらも馬に乗っていたということだろう。

「ここから先は、馬では進みにくい。馬を下りるしかなかったのだろう」

 目の前には木々が馬防柵のように立ち塞がっているし、地面は平坦ではなく、波打っているように起伏がある。馬で進むには、厳しい道だ。

「・・・・落ち葉のせいで、足跡も見つかりません」

 浩成こうせい様が落ち葉を払いながら、足跡を探していたけれど、見つけられなかったようだ。整地されていないこの場所では、落ち葉や低木に邪魔されて、足跡をたどるのは難しい。



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