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53_外れない仮面
しおりを挟む「――――そなたを、俊煕の側仕えに任ずる」
陛下の言葉に、私は数秒間固まってしまった。
「あの、それは・・・・どういうことでしょうか?」
「わざわざ二度聞く必要はあるまい。そのままの意味だ。――――そなたは、俊煕の側仕えになる、これはすでに決定したことだ。私以外に、覆すことは誰にもできぬ」
「・・・・・・・・」
「落胆することはない。俸禄は弾もう。・・・・不満か?」
「い、いいえ、私のようなものが殿下の側仕えを拝命するなど、恐悦至極に存じます」
陛下の命令を、私には覆すことはできない。だとしたら、そつなく答えるしかなかった。
「・・・・ですが、できれば、私を側仕えに任ずる理由を教えていただきたいと存じます」
陛下は緩く笑う。
「そなたの目に、俊煕はどんな人間に映っている?」
「え・・・・?」
「――――どう見える?」
質問の意図がわからない。考えながら、私は口を開く。
「誰もが思い描く、理想の皇子様だと思います。驕らず、欲を出さず、慈悲深く――――下の者にも礼儀を尽くしてくれます。徳が高い方です」
「それだけか?」
「ええと・・・・その一方で、施政者になるにふさわしい、冷酷さも持ち合わせているように見受けられました」
「ふむ・・・・なるほど。そなたの前ではもう、そんな顔も見せているのか・・・・」
陛下は興味深いと言わんばかりに、目を細めた。
「・・・・陛下。この問いかけにいかような意図があるのか、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「もちろんだ。誰もが俊煕のことを、よくできた人間だという。優しいだけでなく、国を守ろうとする意志も固く、欲を見せずに清廉潔白だと」
「私には、これ以上ない褒め言葉に聞こえますが・・・・」
「褒め言葉には違いない。――――だが、それらの評価は、俊煕の一面しかとらえていないように思うのだ」
陛下の表情を、そっと窺った。陛下の表情は、なぜか少し翳っているように見える。
「あやつは常に、皇子らしくふるまおうと心がけておる。あやつの乳母が信仰深くてな、世界で起こることはすべて正しいと信じ、俊煕に良き皇子となるよう、常々言い聞かせていたそうだ。だからなのだろう、あやつは道理に背く行いを許さないし、傲慢なふるまいも嫌う」
「立派な心がけです」
「ああ、立派だが――――私は少し不満だ」
「なぜですか?」
深く考えずに、すぐに問い返してしまった。
すぐに陛下にたいして失礼だったと気づき、顔を伏せる。
「身構える必要はない。今ここにいるのは、私とそなただけ、どんな発言も許そう」
「感謝します、陛下。・・・・それでなぜ陛下は、俊煕殿下をご不満に思っていらっしゃるのですか?」
「俊煕のことを不満に思っているわけではない。不満なのは、俊煕のふるまいだ。仮面を被り、誰からも望まれる皇子を演じている。どんな時も正しく、誰よりも慈悲深い存在でいることが、自分の使命だと思い込んでおるのだ」
「お言葉ですが、陛下。それは間違ったことでしょうか? 皇子らしくありたい、そのために努力しようとする心意気は、素晴らしいと私は思います。それに、下々にたいして横暴にふるまう方も多いなか、殿下はきちんと私達の苦しみにも目を向けてくださいました」
「そうだろう。兄達は民の苦しみを軽く考えるが、あやつはそんなことはせぬ。それは正しいことだ。民の苦しみを軽んじる皇子が帝位につけば、国は荒れるだろう」
陛下は物憂げに、頬杖をついた。
「――――だが、高潔であろうとすることは、あやつの立場では命取りになるやもしれんのだ」
「それは・・・・どういう意味でしょう?」
「もう三月も前の話だが、狩りの途中、俊煕は怪我を負った。――――背後から矢で、肩を射抜かれたのだ」
驚いて、私は陛下の顔を見つめる。
「刺客の仕業かと思ったが、そうではなかった。上の兄が、狙いを外したと白状した。鹿だと思い込み、よく見ずに矢を射た、と」
陛下は苦々しく、吐き捨てる。
「そんなこと、ありえるものか。その日俊煕は明るい色の衣をまとい、弓を背負っていた。どんなに暗くとも、鹿には間違えぬ。幸い、矢は肩にあたり、命に別状はなかった。あやつは昔から頑丈なので、傷もすぐに塞がった」
「・・・・・・・・」
「皇帝が病に倒れれば、兄弟は帝位を巡って、殺しあいをはじめる。莫王朝が興る前から、それが継承権を持つ者の定めだった。独秀のように道化を演じ、女に逃げることで殺しあいから逃れる者もいるが――――たいていは継承権を持つ運命からは、逃れられぬ」
事実、陛下もご兄弟を殺め、その血の上に時代を築いた。忌まわしい競争から逃れられないのは、継承権を持つ方々の宿命だ。
「その矢の狙いが、命だったのか、それとも目障りな弟を少し痛めつけてやろうという折檻だったのか、真意はわからぬ。・・・・いくら問いつめても、あやつめ、本音を語ろうとせぬからな」
その矢に、俊煕殿下の命が奪われなくて、本当によかったと思う。
命を奪うつもりがなくとも―――――いや、痛めつけるためだとしたら、余計に悪質だ。当たり所が悪ければ、俊煕殿下は亡くなっていた。
もちろん、俊煕殿下の兄上は、そんなことはわかった上で、矢を放ったのだろう。
「後継者争いでは、母方の一族の強さも関係してくる。俊煕の母は名もなき西域の胡人、俊煕には実家の力がない。だから俊煕はそういった争いに巻き込まれないよう、兄にたいしては臣下のように、常に従順にふるまっていた」
「では、なぜお命を狙われるのでしょう?」
「・・・・慣例に従えば、私の死後、俊煕ではなく、あやつの兄が帝位につくことになるだろう」
陛下は物憂げな溜息をついた。
「――――だが私は、国を導く素質があるのは、俊煕のほうだと思っている」
私は息を呑み、見張った目で、陛下に問いかけた。
「判断力があり、行動力もあるが、己の力を過信もしない。そして評判もよい。皇子として徳が高く、聡明。次の皇帝にふさわしいという噂が流れれば、出来の悪い皇子からすると、目の上の瘤のように思えてくるのだろう」
皇子らしいふるまいに気をつけていたことが、裏目に出るなんて。私は唇を噛みしめる。
「・・・・お命を狙われたことについて、俊煕殿下はどんな風にお考えなのですか?」
俊煕殿下も、鹿と間違われた、なんていうお粗末な言い訳を、信じてはいないはずだ。
「鹿に間違われたならば、仕方ない、と言っただけだ。おっと、これは、鹿に仕方ないをかけた駄洒落ではないぞ」
「いえ、それはわかっております」
「・・・・そなた、時々冷たいな・・・・」
「それだけですか? 一歩間違えば、お命を奪われていたかもしれないのに」
「そこが俊煕の駄目なところなのだ」
陛下の声が、大きくなった。
「嘘だということは、俊煕にもわかったはず。だが俊煕には、血の繋がりがある兄を疑うことを、恥じる気持ちがある。勘繰ること、告げ口をすること、裏工作をすること――――そのすべてが、俊煕にとっては恥なのだ。兄には従わねば。そう思い込んでおる」
溜息とともに、陛下の声は小さくなってしまう。
「あれ以来、兄弟での狩りは禁じた。剣術や弓術、馬術の訓練もだ。決して、二人きりにはさせないようにした」
「・・・・ではそれ以来、殿下が狩りで怪我をすることはなくなったのですね?」
「ああ。・・・・だが私が病に伏せれば、あやつの命は風前の灯火となるだろう。実家の力も弱く、裏工作もできぬのであれば、生き延びられるはずがない。すべてを捨てて逃げだせば、まだ道はあるだろうが、あやつは逃げ出すことも恥だと考えるだろう」
「・・・・・・・・」
「活路はある。さっきそなたが申した通り、俊煕には冷酷に振舞える一面もあり、裏工作をできる腹黒さも持っているのだ。権謀術数の政治の中で、生き抜ける素質がある。そういうところは、私に似たのだろう」
陛下は、得意げに胸を張る。
「だが、観念に縛られて、俊煕はその力を発揮できない。あやつに必要なのは、なんというか――――なんて言えばよいのだろうか」
陛下はしばしの間、言葉を探しあぐね、身振りが多くなった。
「そう、殻を破らねばならぬ!」
ようやくふさわしい言葉が見つかったのか、陛下の声は大きくなっていた。
「私は、俊煕に学ばせたいのだ。――――教え込まれた観念を捨てて、時に、手段を選ばない汚い人間にならなければ、生き残ることができないのだということを」
「・・・・・・・・」
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