【完結】恋を失くした伯爵令息に、赤い糸を結んで

白雨 音

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◇◇ オベール ◇◇


「アドリーヌへの援助をお願いします」

息子リアムの虚ろな目、生気の無い顔を見て、オベールは《それ》を悟った。

漸く、決まったか。
しかも、どうやら、アドリーヌに押し切られたらしい。
我が息子ながら、情けない…

未だにリアムはアドリーヌの手の平にいる。
それがオベールには腹立たしく、もっと女の事を教えてやるのだったと自身を呪った。

「条件は分かっているんだろうな?私を裏切るなよ、リアム」

オベールのオリーブ色の目が鋭く光る。
リアムは動じず、だが、視線を合わせる事無く、頷いた。

「アドリーヌとは、二度と会いません。
この後は、ルメール伯爵令嬢、シュゼットと結婚します」

感情の籠らない声だ。
リアムの恋は終わり…いや、強制的に終わらされ、絶望と悲嘆の真っ只中だろう。
そんな中にあっても、アドリーヌの事を優先出来るのだから、
ある意味、リアムは信頼出来る男だ。

「分かった、私がアドリーヌに会い、話を付けよう。おまえはもう関わるな。
それから、援助をするのは、おまえが結婚するのを見届けた後だぞ」

「承知しております」

リアムは亡霊の様に静かに部屋を出て行った。

「あれは思ったよりも、重症だな…」

オベールは頭を振った。


◇◇


オベールは護衛を二人連れ、アドリーヌの住む館を訪れた。

オベールの知るアドリーヌは、派手好きで、豪華に着飾る事を好み、
自分こそが世界の中心だと、自信に満ち溢れている女だった。
その実、彼女は自分以外の者に興味が無く、自分よりも優れた者を嫌った。

リアムに目を付けたのは、伯爵家の後継ぎで、見目が良く、人が好かったからだろう。
令嬢たちから人気のある男を婚約者に持てば、周囲の令嬢たちには羨ましがられる。
『私はあなたたちとは違うのよ!』と、一段高い立ち位置にいられたのだ。

だが、アドリーヌは計算違いをした。
アドリーヌが求める夫というのは、自分の為ならば金を湯水の様に出す、
魔法の袋を持った者。そして、自分の思いのままに動く、操り人形の様な者だろう。

リアムは確かに人が好い。
善良で同情心にも厚く、自分が一度信じた者は、余程の事が無い限り疑う事が無い。

だが、自由に使える金は、あまり持っていなかった。
それに加え、小さい頃からの教育の賜物で、優れた倹約家だった。
アドリーヌがどれだけ強請ろうと、リアムは自分が必要無い、
道理に反すると判断すれば、金は出さないだろう。
本人に悪気は無いが、相手の言動で引っ掛かる事があれば、
真面目に論理的に詰めるので、大抵の者は辟易する。
要するに、見た目に反して、使い難い駒なのだ。

それでも、アドリーヌの事だ、あの手この手で、リアムから金を引き出そうとしただろう。
自分ならば出来ると踏んでいたに違い無い。
だが、結局、アドリーヌは諦めた。

リアムを捨て、援助を受ける事にしたのは、そういう事だ。

オベールはリアムの性格を知っている、こうなる様に仕組んだのだ。
その事に、アドリーヌも気付いただろう。

目の前のアドリーヌは、みすぼらしい衣装を纏い、薄い化粧の顔で、
憐れっぽく泣いて見せた。

「ああ!伯爵!憐れな私達を援助して下さると聞き、母娘共々、
伯爵に感謝しております…!
連日の様に、輩が石を投げるのです…怖くて怖くて、眠る事も出来ません!
こうなれば、一刻も早く異国へ参りたいと…どうか、伯爵お願いです!」

弱者の体を取り、早く金を出せという催促の泣き落としに、
オベールはびくともしなかった。

「金を払うのは、リアムが結婚した後だ、それは譲れん。
私の目を盗み、おまえたちが会っていた事を、私は良く思っておらん、
その罰と思いなさい」

「愛し合った者同士、仕方の無い事ではありませんか?
愛する者の支えが無ければ、耐えられませんもの…」

「その《愛する者》を、おまえはあっさり捨てたらしいな?」

「母の為ですわ、生きていくには、こうするより他無かったのです…」

「そんな事は無いだろう、リアムは一緒に異国へ行くと言った筈だ」

オベールはリアムの性格を良く分かっている。

「ええ、ですが、愛する者から全てを奪うのも、これまた辛い事ですわ。
私はリアム様の為に身を引いたのです、それをお忘れなく、伯爵」

恩着せがましいと、オベールは鼻で笑った。

「私達が簡単に別れられたとお思いですか?リアム様がどの様に嘆かれ、
私に縋ったか…お聞きにならなければ信じられませんの?」

怒ったのか、本性を見せてきた様だ。
下品な女だ…と、オベールは目を眇めた。

「いいのか?私が怒れば、援助の話はけし飛ぶぞ」
「伯爵は約束を守られる方でしょう?」
「そう買い被るな、私も人間だという事の証明だ」

アドリーヌは顔を顰めたが、思い直し、また憐れな女を演じ始めた。

「伯爵、異国へ行くまでの間、少しで良いので援助して頂けませんか?」
「この暮らしぶりを見て、それは必要無いと判断した」
「どうしてですか!?良く知りもしないで!勝手に判断なさらないで!」

アドリーヌは声を荒げたが、オベールは悠々とし、周囲を眺めた。

「立派な館だ、それに、メイドも居たな」

「全て、この館の者のものですわ、私達は肩身の狭い居候ですわ」

「肩身の狭い居候というのは、館のパーラーなど使わせて貰えないものだ。
おまえがメイドをしているなら、分からんでもないが、その手を見る限り、
水仕事の一つもさせて貰っていないらしいな。
メイドはおまえを『アドリーヌ様』と呼んでおった。十分な待遇じゃないか?
それに、少しは痩せたかと思っていたが、逆に太ったのではないか?
眠れない者はやつれていくものだがな、おまえは健康で良いな、アドリーヌ」

アドリーヌは唖然とし、息を飲んだ。

「元気そうで安心したぞ、リアムが結婚するまで、どの位掛かるか分からんが、
気長に待っていろ、約束通り、援助はしてやる。
但し、それに値しない様な事をした場合には、援助の話は無しだ。
援助を必要とする者は多いからな、隠れて悪さや贅沢をする様なヤツに
金をやる気は無い、それを心得ておけ」

オベールは厳しく言いつけ、ソファを立った。
目の前のアドリーヌは、ぶるぶると怒りに震え、膝の上で拳を握っている。
今や、その美しい顔は、怒りで歪んでいた。
オベールの目は冷たくそれを見降ろした。

「言っておくが、私を殺しても無駄だぞ?
その時は、爵位はリアムではなく、別の者にいく。
リアムは失敗した、今後、何かの形で挽回せねば、爵位など渡さん___」

オベールは厳しい口調で言い放ち、悠然と部屋を出た。


◇◇◇◇


フォーレの館での一月は、瞬く間に過ぎて行った。
夢のような日々だった。

オベールを始め、ベアトリス、シュシュ、使用人たち…皆良い人たちだった。
それに、なんといっても…

リアムが居た___

最初はそれを知らずに過ごしていたが、リアムの生れ育った館だと思うと、
何もかもが輝きを増した。

小さい頃、彼はどんな風に過ごしていただろう?

オベールたちに話を聞いてみたかったが、自分から持ち出すのは憚られた。
気持ちに気付かれてはいけない。
恥ずかしいというのもあるが、下心を持つ者を館に泊めるのは良くないと思われ、
追い出されるのではないかと懸念した。
肖像画の事もあるし、館の人たちを気に入っていた。
少しでも長く居たいと思ったのは、自分の方だった。

館で働く者たちを描いた素描は、良くしてくれたメイドに渡し、
オベールとベアトリス、シュシュ、館や景色を描いた素描等は、
ほとんどをオベールに渡し、帰って来た。

記念として、幾つかは自分で持ち帰り、
ドミニク、フィリップ、ソフィに見せ、館での事を話した。

だが、リアムを描いたものは誰にも見せずに、秘密にしている。

わたしは箱からそれを取り出し、眺めた。
淡い水彩で色付けている。
そっと、手で触れる…

「わたしに、微笑んでくれた…」

ルメールの館に戻って一週間が経った今も、リアムを思い出すと胸はときめいた。

「シュゼット様、旦那様がお呼びです」

メイドが呼びに来て、わたしは慌ててそれを箱に隠し、ベッドの下に押しやった。


「お呼びでしょうか、お父様」

ドミニクから書斎に呼ばれる事は少ない。
何かあったのだろうかと不安に思い駆け付けたわたしに、ドミニクはそれを告げた。

「シュゼット、おまえに結婚の打診が来たよ」

結婚!?
考えても無い事に、わたしは驚き、そして、目の前が暗くなった。

十九歳は結婚適齢期といえる。
だが、自分にはまだ早いと、何処かで思っていた。
それを急に突き付けられ、わたしには戸惑いと不安、そして…拒否感に襲われた。

恋愛結婚が許されない訳では無い。
だが、その相手がいなければ、思わぬ者に結婚を申し込まれても断り様が無い。

「シュゼット、そう不安そうな顔をせず、前向きに考えてみなさい。
私は直接本人とは会った事が無いが、良い者だと話に聞いているよ」

ドミニクの声は明るく、乗り気の様だ。
喜んでいるドミニクを前に、わたしは何とか笑みを作った。

「はい…」
「それとも、誰か想っている者がいるのかね?」
「い、いえ!その様な方は…決して…」

『想っている方がいる』と言えば良かった。
だが、わたしにはとても言え無かった。
相手は、手の届かない人だもの…
「おまえには無理だ」「諦めなさい」と言われると思ったのだ。

「ならば、話を進めてもいいね?シュゼット」

これは、ドミニクがくれた最後のチャンスだった。
だけど、わたしにはどうしても言えず、唇を噛み、俯いた。

「はい…」

「シュゼット、相手が誰なのか、気にならないのかい?」

わたしが知っている者など限られている。
名を聞いても分からないだろうし、誰でも同じに思えた。

「相手のご両親は、おまえを大層気に入ってくれた様だよ。
是非、息子の妻にしたいと申し込んで来た」

誰だろう?親族の誰かだろうか?
心当たりがあるとすれば、フィリップとソフィの結婚式だった。
頭を巡らせるわたしに、ドミニクは目尻を下げ、笑った。

「フォーレ伯爵だよ、御子息のリアムとの結婚を申し込まれた、
良かったね、シュゼット___」

ドミニクの言葉が信じられず、わたしは茫然としていた。


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