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「あいつは、俺を愛するあまり、病になった。
あいつは、周囲の女たちに嫉妬し、俺に抱かれていなければ不安になった。
だが、あいつをあんな風にしてしまったのは、俺だ」
アラード卿は淡々と話すが、そこには後悔が滲んでみえた。
「俺は、あいつが望むようにしてやれなかった、無骨な平民上がりの騎士だ、
貴族の令嬢の扱いなど知らん。それを、あいつは悪く取り、不安になり、
俺の気を惹こうと、ありとあらゆる事をした…正気とは思えない様な、恐ろしい事もだ」
「医師が病を良くするには、心を落ち着かせ、眠るのが良いというので…
あいつを、この塔に閉じ込めた」
「!?」
わたしは息を飲んだ。
「酷いだろう?俺はデルフィネを愛していたが、同時にうんざりもしていたんだ。
一時は良くなったかに見えた…あいつは二人だけの世界だと喜んだ。
だが、俺が塔を出て行くのを嫌がる様になり…
ある夜、行為の後、『行かないで』と、俺の胸に短剣を突き立てた」
「!?」
「女の力だ、それにあいつは碌に急所も知らん、短剣でただ刺した位では
死にはしない、だが、あいつは俺が死ぬと思った。
自分が死ねば、二人だけの世界に行けるわねと笑い…塔を駆け上がって…
笑いながら飛び降りた」
わたしはぞっとし、体を擦った。
「あいつは俺が一緒に逝くのを望んでいた。だが、俺には出来無かった。
愛してはいたが、俺は騎士だ、そんな死に方など出来ない___
いや、ただ、俺は死ぬのが怖かったんだ…生きたい理由は山程あった。
だが、どうだ?デルフィネが死に、俺は騎士団を辞め、今はただ遊び暮らしている。
つまらない生き方をし、ただ生きながらえているだけだ…
それなら、何故、さっさと騎士団を辞め、一緒に居てやらなかったんだ?
俺は馬鹿だ___!」
アラード卿は後悔から、自分を責めているのだ。
恐らく、妻が死んでから、ずっと…
「この事を俺は誰にも話していなかった。
だが、デルフィネが死んで以降、息子の目は俺を責めていた。
何故、一緒に逝ってやらなかったのだ、何故、おまえだけが生きているのかと」
それで、ランメルトの顔を真っ直ぐ見る事が出来無いのね…
だけど、それは違う…
「ランメルトは、そんな風には思っていませんわ…」
アラード卿の所為だとは言っていたが、死など望んでいる様には見えなかった。
「彼があなたに何かを願うとしたら、それは…
母親を忘れないで欲しい、という事ではないでしょうか…
母親にとって、一番はあなたで、あなたに忘れられる事が一番辛いだろうと言っていました」
「忘れられる筈が無い!」と、アラード卿は吐き捨てる。
「ええ…ですが、辛い記憶ばかりでは、デルフィネ様は喜ばないでしょう…」
死んだ後、一番辛い記憶ばかりを蘇らせ、後悔し苦しんでいる。
そんな夫の姿を、彼女は喜ぶだろうか?
愛する人を苦しめたくて、死んだ訳では無い筈だ…
忘れて欲しく無い事は、『それ』では無い筈だ。
「あなたが後悔しているのと同じに、
デルフィネ様も、後悔されている事があるのではないですか?」
ランメルトも、母親にも問題があったという様な事を言っていた。
「でも、それは、病の所為ですわ…
出会った頃の二人や、幸せだった頃の姿こそ、デルフィネ様の本当の姿で、
あなたに思い出して欲しい姿なのではありませんか?」
アラード卿は俯き黙り込んでいたが、
顔を上げた時にはもう、いつもの調子を取り戻していた。
「フン、元気になった様だな、口煩くなりおって。
…だが、礼を言おう、少しだが…気が楽になった」
アラード卿が目を細め、微笑む。
それは、ランメルトとよく似ていた。
「流石、デシャン伯爵が自慢していた娘だな、クリスティナ」
わたしは息を飲む。
アラード卿は気付かず、立ち上がった。
「おまえならば、父親が金を返す気になる手紙も書ける筈だ、
そう長くは引き止めん、だが、努力は見せろ。
その間、不便があればなんなりと言うがいい、自由にしても良いと言いたいが、
不埒な輩がおらんとは言い切れん、十分気を付けろ、先にも言ったが、
俺は責任を取ってやれんからな、内側から鍵を掛けられる様にしてやろう」
アラード卿が出て行き、わたしは「ほう…」と息を吐いた。
ボヌールがわたしを慰めるように、顔を舐める。
「大丈夫よ、ボヌール、アラード卿は良い人だわ…」
あれ程、前妻を愛し、後悔の念を抱いているとは思ってもみなかった。
知っていれば、自分を妻にしてくれなど、とても言えなかっただろう。
わたしの、アラード卿への気持ちなど、足元にも及ばない。
わたしはアラード卿を愛してはいない、ただ、誰かに愛され、安心したかったのだ。
居場所を求めていた___
そんなわたしに、アラード卿は真摯に向き合ってくれた。
わたしを無視せず、誠実に応えてくれた。
叶いはしなかったが…
それで十分だ…
『父親が金を返す気になる手紙も書ける筈だ』
父が金を返す気になれば、わたしはデシャン家に戻される。
デシャン家に戻れば、どうなる事か…
あの、狭く冷たい部屋で、一生小間使いとして生きるのだろうか?
それとも、別の家に行かされるのだろうか…
「デシャン家には、あなたは連れて行けないわ…」
ボヌールに居て欲しいが、自分の食事さえも満足に貰えない様な場所だ。
「ランメルトなら、きっとあなたを可愛がってくれるわ、
あなたを引き取れる様になったら、必ず迎えに来るから、許してね、ボヌール」
わたしは「クゥーン」と切なく鳴くボヌールを撫でてやり、二階へ向かった。
アラード卿の為に、父に手紙を書こう。
アラード卿の想いを知り、わたしもいつまでも甘えていられないと気付いたのだ。
アラード卿は、わたしを塔に入れ、守ってくれていた。
父が金を返すと信じ、我慢強く、わたしの面倒まで見てくれている。
『努力は見せろ』
そうだ、わたしは努力しなければいけない。
アラード卿やランメルトから受けた恩に応えたい。
その先に、どんな未来が待っていたとしても…
◇
アラード卿は、約束通り、その日の内に、大工を来させ、
内側から鍵を掛けられる様にしてくれた。
同時に、外の鍵は外され、来訪を知らせる為のベルが取り付けられた。
これにより、メイドも勝手に入る事は出来なくなり、
食事は扉の前にワゴンごと置き、帰って行く様になった。
夜、わたしは何かの気配を感じ、目が覚めた。
薄暗い中、瞬きをすると、すぐ傍で何かが動いた気がした。
ギクリとし、寝具を掴み、恐る恐る振り向いてみると、白いワンピースを着た
髪の長い女性の姿が、ぼんやりと見えた。
ゆらゆらと揺れ、半透明のそれは、実体とはとても思えなかった。
幽霊!?
わたしは恐怖で息を飲んだ。
だが、それに思い当たった。
「デルフィネ様ですか?」
わたしが恐る恐る、小声で尋ねると、それはゆらゆらと揺れ、消えた。
幽霊が出るという噂は、本当だったのだ!
だが、それがデルフィネであれば、恐怖がありつつも、気になった。
彼女が、何故、幽霊となり、彷徨っているのか…
彼女はわたしを襲って来なかった。
恨みではないという事なのか?
もしかすると、何かを伝えようとしているのだろうか…
起き上がり、部屋を見回したが、彼女の残像は無かった。
籠の中では、ボヌールが呑気に寝ている。
「幾らボヌールでも、幽霊には気付かないわよね」
わたしは小さく笑い、ベッドに体を戻した。
数日は、幽霊の事を気にし、夜中に目が覚めたが、
その後は見る事は無く、夢だったのかもと思えてきたのだった。
◇
わたしは、毎日、父へ手紙を書くようになった。
勿論、返事が来る事は無かった。
だが、わたしは手紙を書き続けた。それしか、わたしには出来無い。
父が早く、アラード卿に金と短剣を返す様に祈った。
自由にさせて貰える様になり、わたしは昼間、ボヌールと散歩に行くのが日課になった。
ランメルトに教えて貰った抜け道を通り、泉へ行く。
ボヌールは喜び、駆け回った。
楽しかったが、それでも、ここに、ランメルトがいたら…と、思わずにはいられなかった。
週末になり、ランメルトが塔を訪ねてくれた。
ベルが鳴り、ボヌールが「キャンキャン」と元気良く出迎えに駆けて行く。
わたしは、ささっと、手でワンピースの皺を伸ばすと、鍵を開けた。
そこに、思い描いた通りの姿があり、わたしは自然と微笑んでいた。
「ランメルト!」
「元気にされていましたか、お義母さん」
ランメルトと挨拶の軽い抱擁を交わす。
彼は「どうぞ」と、リボンの無い花束を取り出した。
彼が摘んで来てくれたのだと分かり、うれしさが溢れた。
「まぁ!ありがとうございます…ああ、いい匂い!」
わたしは花に顔を埋め、匂いを楽しんだ。
「すっかり、お元気になられましたね…それに、幸せそうです…」
「ランメルトのお陰ですわ、どうぞ、お入りになって下さい」
わたしは彼を促した。
「鍵を変えられたんですね?ベルも…」
「はい、アラード卿が変えて下さいました」
「父が…」
ランメルトは意外そうな顔をしていた。
だが、気付いていた筈だ。
アラード卿かランメルト、どちらかの許しなく、この館で勝手な事は出来無いだろう。
わたしは紅茶を淹れ、スコーンを出した。
「この間は、炭にしてしまったので…」
「ありがとうございます…とっても、美味しい…」
ランメルトが美味しそうに食べるのを、わたしは微笑みを持ち、眺めていた。
「父が、こちらに来られましたか?」
不意に聞かれ、わたしはそれを思い出した。
「はい、パーティでの事を謝って下さり、首飾りも贈って下さいました。
ランメルトが言って下さったのでしょう?ありがとうございます」
「それで、あなたは、幸せそうなのですね…」
「はい、お互いに誤解していたと知りました。
アラード卿は、素晴らしい方でした…」
わたしは何処かで、アラード卿とランメルトの橋渡しになれたら…と思っていた。
アラード卿は息子を溺愛しているのだから。
だが、ランメルトは紅茶のカップを置くと、急に席を立った。
「すみません、今日はこれから約束があるので、帰らせて頂きます」
約束…恋人と会うのだろうか?
さっきまで、わたしの胸にあった楽しい気持ちは、萎んでいた。
「ランメルト…その、お気をつけて」
わたしは、ランメルトを呼び止めたものの、言葉が浮かんで来ず、
ありきたりな挨拶をしていた。
ランメルトは、「ありがとうございます」とだけ言い、塔を出て行った。
「明日、来るとは言ってくれなかったわ…」
来るとも来ないとも言わなかったが、
わたしには、『ランメルトは、明日は来ないだろう』という予感があった。
「折角の週末ですもの…義母と過ごすよりも、恋人と過ごしたいわよね…」
ランメルトは若いし、素敵な方だ。
きっと、恋人も素敵な令嬢だろう。
一緒に過ごしたいと思うのは当然だと、自分とボヌールに言い聞かせる。
だが、気持ちが沈むのは、止められなかった。
あいつは、周囲の女たちに嫉妬し、俺に抱かれていなければ不安になった。
だが、あいつをあんな風にしてしまったのは、俺だ」
アラード卿は淡々と話すが、そこには後悔が滲んでみえた。
「俺は、あいつが望むようにしてやれなかった、無骨な平民上がりの騎士だ、
貴族の令嬢の扱いなど知らん。それを、あいつは悪く取り、不安になり、
俺の気を惹こうと、ありとあらゆる事をした…正気とは思えない様な、恐ろしい事もだ」
「医師が病を良くするには、心を落ち着かせ、眠るのが良いというので…
あいつを、この塔に閉じ込めた」
「!?」
わたしは息を飲んだ。
「酷いだろう?俺はデルフィネを愛していたが、同時にうんざりもしていたんだ。
一時は良くなったかに見えた…あいつは二人だけの世界だと喜んだ。
だが、俺が塔を出て行くのを嫌がる様になり…
ある夜、行為の後、『行かないで』と、俺の胸に短剣を突き立てた」
「!?」
「女の力だ、それにあいつは碌に急所も知らん、短剣でただ刺した位では
死にはしない、だが、あいつは俺が死ぬと思った。
自分が死ねば、二人だけの世界に行けるわねと笑い…塔を駆け上がって…
笑いながら飛び降りた」
わたしはぞっとし、体を擦った。
「あいつは俺が一緒に逝くのを望んでいた。だが、俺には出来無かった。
愛してはいたが、俺は騎士だ、そんな死に方など出来ない___
いや、ただ、俺は死ぬのが怖かったんだ…生きたい理由は山程あった。
だが、どうだ?デルフィネが死に、俺は騎士団を辞め、今はただ遊び暮らしている。
つまらない生き方をし、ただ生きながらえているだけだ…
それなら、何故、さっさと騎士団を辞め、一緒に居てやらなかったんだ?
俺は馬鹿だ___!」
アラード卿は後悔から、自分を責めているのだ。
恐らく、妻が死んでから、ずっと…
「この事を俺は誰にも話していなかった。
だが、デルフィネが死んで以降、息子の目は俺を責めていた。
何故、一緒に逝ってやらなかったのだ、何故、おまえだけが生きているのかと」
それで、ランメルトの顔を真っ直ぐ見る事が出来無いのね…
だけど、それは違う…
「ランメルトは、そんな風には思っていませんわ…」
アラード卿の所為だとは言っていたが、死など望んでいる様には見えなかった。
「彼があなたに何かを願うとしたら、それは…
母親を忘れないで欲しい、という事ではないでしょうか…
母親にとって、一番はあなたで、あなたに忘れられる事が一番辛いだろうと言っていました」
「忘れられる筈が無い!」と、アラード卿は吐き捨てる。
「ええ…ですが、辛い記憶ばかりでは、デルフィネ様は喜ばないでしょう…」
死んだ後、一番辛い記憶ばかりを蘇らせ、後悔し苦しんでいる。
そんな夫の姿を、彼女は喜ぶだろうか?
愛する人を苦しめたくて、死んだ訳では無い筈だ…
忘れて欲しく無い事は、『それ』では無い筈だ。
「あなたが後悔しているのと同じに、
デルフィネ様も、後悔されている事があるのではないですか?」
ランメルトも、母親にも問題があったという様な事を言っていた。
「でも、それは、病の所為ですわ…
出会った頃の二人や、幸せだった頃の姿こそ、デルフィネ様の本当の姿で、
あなたに思い出して欲しい姿なのではありませんか?」
アラード卿は俯き黙り込んでいたが、
顔を上げた時にはもう、いつもの調子を取り戻していた。
「フン、元気になった様だな、口煩くなりおって。
…だが、礼を言おう、少しだが…気が楽になった」
アラード卿が目を細め、微笑む。
それは、ランメルトとよく似ていた。
「流石、デシャン伯爵が自慢していた娘だな、クリスティナ」
わたしは息を飲む。
アラード卿は気付かず、立ち上がった。
「おまえならば、父親が金を返す気になる手紙も書ける筈だ、
そう長くは引き止めん、だが、努力は見せろ。
その間、不便があればなんなりと言うがいい、自由にしても良いと言いたいが、
不埒な輩がおらんとは言い切れん、十分気を付けろ、先にも言ったが、
俺は責任を取ってやれんからな、内側から鍵を掛けられる様にしてやろう」
アラード卿が出て行き、わたしは「ほう…」と息を吐いた。
ボヌールがわたしを慰めるように、顔を舐める。
「大丈夫よ、ボヌール、アラード卿は良い人だわ…」
あれ程、前妻を愛し、後悔の念を抱いているとは思ってもみなかった。
知っていれば、自分を妻にしてくれなど、とても言えなかっただろう。
わたしの、アラード卿への気持ちなど、足元にも及ばない。
わたしはアラード卿を愛してはいない、ただ、誰かに愛され、安心したかったのだ。
居場所を求めていた___
そんなわたしに、アラード卿は真摯に向き合ってくれた。
わたしを無視せず、誠実に応えてくれた。
叶いはしなかったが…
それで十分だ…
『父親が金を返す気になる手紙も書ける筈だ』
父が金を返す気になれば、わたしはデシャン家に戻される。
デシャン家に戻れば、どうなる事か…
あの、狭く冷たい部屋で、一生小間使いとして生きるのだろうか?
それとも、別の家に行かされるのだろうか…
「デシャン家には、あなたは連れて行けないわ…」
ボヌールに居て欲しいが、自分の食事さえも満足に貰えない様な場所だ。
「ランメルトなら、きっとあなたを可愛がってくれるわ、
あなたを引き取れる様になったら、必ず迎えに来るから、許してね、ボヌール」
わたしは「クゥーン」と切なく鳴くボヌールを撫でてやり、二階へ向かった。
アラード卿の為に、父に手紙を書こう。
アラード卿の想いを知り、わたしもいつまでも甘えていられないと気付いたのだ。
アラード卿は、わたしを塔に入れ、守ってくれていた。
父が金を返すと信じ、我慢強く、わたしの面倒まで見てくれている。
『努力は見せろ』
そうだ、わたしは努力しなければいけない。
アラード卿やランメルトから受けた恩に応えたい。
その先に、どんな未来が待っていたとしても…
◇
アラード卿は、約束通り、その日の内に、大工を来させ、
内側から鍵を掛けられる様にしてくれた。
同時に、外の鍵は外され、来訪を知らせる為のベルが取り付けられた。
これにより、メイドも勝手に入る事は出来なくなり、
食事は扉の前にワゴンごと置き、帰って行く様になった。
夜、わたしは何かの気配を感じ、目が覚めた。
薄暗い中、瞬きをすると、すぐ傍で何かが動いた気がした。
ギクリとし、寝具を掴み、恐る恐る振り向いてみると、白いワンピースを着た
髪の長い女性の姿が、ぼんやりと見えた。
ゆらゆらと揺れ、半透明のそれは、実体とはとても思えなかった。
幽霊!?
わたしは恐怖で息を飲んだ。
だが、それに思い当たった。
「デルフィネ様ですか?」
わたしが恐る恐る、小声で尋ねると、それはゆらゆらと揺れ、消えた。
幽霊が出るという噂は、本当だったのだ!
だが、それがデルフィネであれば、恐怖がありつつも、気になった。
彼女が、何故、幽霊となり、彷徨っているのか…
彼女はわたしを襲って来なかった。
恨みではないという事なのか?
もしかすると、何かを伝えようとしているのだろうか…
起き上がり、部屋を見回したが、彼女の残像は無かった。
籠の中では、ボヌールが呑気に寝ている。
「幾らボヌールでも、幽霊には気付かないわよね」
わたしは小さく笑い、ベッドに体を戻した。
数日は、幽霊の事を気にし、夜中に目が覚めたが、
その後は見る事は無く、夢だったのかもと思えてきたのだった。
◇
わたしは、毎日、父へ手紙を書くようになった。
勿論、返事が来る事は無かった。
だが、わたしは手紙を書き続けた。それしか、わたしには出来無い。
父が早く、アラード卿に金と短剣を返す様に祈った。
自由にさせて貰える様になり、わたしは昼間、ボヌールと散歩に行くのが日課になった。
ランメルトに教えて貰った抜け道を通り、泉へ行く。
ボヌールは喜び、駆け回った。
楽しかったが、それでも、ここに、ランメルトがいたら…と、思わずにはいられなかった。
週末になり、ランメルトが塔を訪ねてくれた。
ベルが鳴り、ボヌールが「キャンキャン」と元気良く出迎えに駆けて行く。
わたしは、ささっと、手でワンピースの皺を伸ばすと、鍵を開けた。
そこに、思い描いた通りの姿があり、わたしは自然と微笑んでいた。
「ランメルト!」
「元気にされていましたか、お義母さん」
ランメルトと挨拶の軽い抱擁を交わす。
彼は「どうぞ」と、リボンの無い花束を取り出した。
彼が摘んで来てくれたのだと分かり、うれしさが溢れた。
「まぁ!ありがとうございます…ああ、いい匂い!」
わたしは花に顔を埋め、匂いを楽しんだ。
「すっかり、お元気になられましたね…それに、幸せそうです…」
「ランメルトのお陰ですわ、どうぞ、お入りになって下さい」
わたしは彼を促した。
「鍵を変えられたんですね?ベルも…」
「はい、アラード卿が変えて下さいました」
「父が…」
ランメルトは意外そうな顔をしていた。
だが、気付いていた筈だ。
アラード卿かランメルト、どちらかの許しなく、この館で勝手な事は出来無いだろう。
わたしは紅茶を淹れ、スコーンを出した。
「この間は、炭にしてしまったので…」
「ありがとうございます…とっても、美味しい…」
ランメルトが美味しそうに食べるのを、わたしは微笑みを持ち、眺めていた。
「父が、こちらに来られましたか?」
不意に聞かれ、わたしはそれを思い出した。
「はい、パーティでの事を謝って下さり、首飾りも贈って下さいました。
ランメルトが言って下さったのでしょう?ありがとうございます」
「それで、あなたは、幸せそうなのですね…」
「はい、お互いに誤解していたと知りました。
アラード卿は、素晴らしい方でした…」
わたしは何処かで、アラード卿とランメルトの橋渡しになれたら…と思っていた。
アラード卿は息子を溺愛しているのだから。
だが、ランメルトは紅茶のカップを置くと、急に席を立った。
「すみません、今日はこれから約束があるので、帰らせて頂きます」
約束…恋人と会うのだろうか?
さっきまで、わたしの胸にあった楽しい気持ちは、萎んでいた。
「ランメルト…その、お気をつけて」
わたしは、ランメルトを呼び止めたものの、言葉が浮かんで来ず、
ありきたりな挨拶をしていた。
ランメルトは、「ありがとうございます」とだけ言い、塔を出て行った。
「明日、来るとは言ってくれなかったわ…」
来るとも来ないとも言わなかったが、
わたしには、『ランメルトは、明日は来ないだろう』という予感があった。
「折角の週末ですもの…義母と過ごすよりも、恋人と過ごしたいわよね…」
ランメルトは若いし、素敵な方だ。
きっと、恋人も素敵な令嬢だろう。
一緒に過ごしたいと思うのは当然だと、自分とボヌールに言い聞かせる。
だが、気持ちが沈むのは、止められなかった。
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