見ているだけで満足な姫と死んでも触りませんと誓った剣士の両片思いの恋物語

まつめ

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23.狼の目を持つ男

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 真夜中から、夜明け前にゆっくりと時は動いて、闇のなかに、うっすらと青みが混ざった。
 アツリュウは固い寝台に体を横たえたまま、眠りと覚醒の間を漂っいながら、ぼんやりと青い闇を見ていた。

 闘技場の半地下にある石壁の部屋。がらんとした、机と椅子と寝台だけが置かれた何もない部屋。
 闇がどんどん薄れて、青い透明な空気に満たされる。
 もうすぐ、夜が明ける。
 夜が明ければ、恩赦の戦。
 
 眠れるはずもない、けれど、心は乱れずに、まるで死にゆく誰かをを見送るような心地。
 確かに悲しい。けれど、それはどこか遠い出来事のように感じられた。

 思えば、自分はずっと、どこか他人の人生を生きているような心地がしていた。
 
 
『お前がアツリュウだね』
 琥珀の瞳、狼の目を持つ男が、満面の笑みで己の名を呼んだ。
 父上に良く似ている。
 狼の目を持つ父と同じ目を持つ男、そして自分と同じ目。

 彼が、ミタツルギ家嫡男のシュスリュウだと。
 少年アツリュウにはすぐに分かった。

 とめどない歓喜が男の笑みから溢れ出ていた。もう諦めていた、愛しい人に再会したように。
 舞台で役者が演じるように、大きく腕を広げて、ああアツリュウと呼びながら……

 少年は抱きしめられた。
 初対面の、父によく似た、兄であろう男に。

 全身を虫が這ったような怖気。
 引きずり出されるように意識がはっきりとして寝台から跳ね起きた。
 あの時の映像が、感覚が、あまりにも生生しく蘇った。

 体を拳でごしごしと拭いた。
 払い落したかった。
 あの男に抱きしめられた感触を、こすって、こすって、削ぎ落したかった。

『ねえ、アツリュウ、本当のことを教えてあげる。でもね、いいかい、私が教えたことは誰にも言ってはいけないよ。これは私とお前だけの秘密』

 大人の男の強い力で抱きしめられて、身動きができない。
『本当はね、おまえは私の息子なんだ』

 うふふ、うふふと笑った。
 男がそんな声で笑うのを生まれて初めて聞いた。芝居に出てくる道化師のような、気味の悪い笑い。
 男の息が耳元に近づく。

 蛇がぐるりと体に巻き付いたような悪寒。気味が悪くて振り払いたいのに、体が硬直して逃げられない。聞きたくない、聞きたくない。
『ねえ、教えておくれアツリュウ。おまえの母さんはどこにいるの?』

 殺してやりたい。
 湧き上がる怒り、あの男を思い出すたびに、必ずその怒りは激しく燃え上がって全身を焼く。
 怒りに体は燃えて。
 そして、体を焼き尽くして、あっけなく灰になってしまう。
 怒りを燃やし続けることができない。
 
 殺してやりたい男はここにいるじゃないか。
 己の体は、あの男でできているんだから。


 すみれ色の瞳が、恥ずかしそうに揺れて。
 歌声は青空に溶けていく。
 どこまでも、どこまでも、澄んだ音が響いて。
 
 歌声を聞いていた、あの時。
 間違いなく、幸せだった。
 歌い終わって、恥ずかしそうに、笑った。
 それだけを見て、それだけが体を満たして、心地よくて。
 もう一度、見たいと思った。
 そのためなら、生きていたいと思った。

 なんで自分は生まれてきてしまったのだろう。
 消えてしまえばいいのにと思う。
 でも、
 あなたを見ている時だけは、忘れられる。
 あなたのことだけ、それだけで心が満たされて。

 胸元から、細い縄で首にかけていた、茶色い毛の束を引っ張り出した。
 『お嬢さん』のたてがみに、綺麗きれいな色のリボンが編み込まれている。
 戦地や危険な仕事に就く男に、妻や恋人が己の髪を編み込んでお守りを送る習慣がある。
 そのお守りを、姫様が『お嬢さん』のたてがみで作ってくれた。

 最後に彼女を見ることを、セウヤは許さなかった。
 姫付きの侍女が届けてくれたお守り。
 彼女はほとんど物も食べず、あなたを心配して泣いていると。侍女が教えてくれた。

 不思議なことであるけれど、彼女が自分を慕ってくれていることを、自分は初めから知っている。
 うぬぼれているのだろう。
 そう妄想したいのだろう。
 俺はどうかしていると、何度己に言い聞かせてみても、
 彼女と視線が交わった刹那に、彼女の気持ちが伝わってくる。

 ああ、そうだった。
 彼女が俺を好むのは当たり前なのかもしれない。
 彼女は花の妖精で、俺の魂を吸い取ったのだから。
 あの時から、俺は彼女の物なのだ。

 『お嬢さん』のたてがみを唇に押し当てる。それは硬く、日向に干した草の匂いがした。
 あなたの為に死ねるのならば、幸せだと思う。
 もしも、戦に勝つことができて、そうしたら……
 深く息を吐く。
 彼女のことを想うと、気持ちが安らかになっていく。

 そうしたら、また、あなたを見ることができる。
 戦の褒美として、姫を妻にすることがたとえ叶っても、それは名目だけのことだとセウヤは言った。
 そのことに、安堵《あんど》している。

 お守りを額に付ける。
 これが、彼女の髪の毛で作られていたら自分は触れることができずに、置いてきただろう。
 セウヤに約束などさせられなくても、自分はけして姫に触れたりしない。

 こんな体で。
 あの男に造られた汚い体で、あの人に触れられるはずもない。
 あの人の夫になど、なれるはずもない。
 
 暗い穴に落ちていく感覚。
 俺は何のために、命を懸けるのだろう?
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