海のそばの音楽少年~あの日のキミ

夏目奈緖

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 いつの間にか、早瀬から肩を揺すられていた。大丈夫かと聞かれた。俺は頷くだけの返事をした。スマホのスピーカーからは母の声が聞こえている。

「お父さんから聞いたんだけど。お付き合いしている方と、一緒に暮らしているのよね?」
「うん、そうだよ。一ヶ月ぐらい前から」
「千尋製菓の息子さんだと聞いたわ。しっかりした方だそうで、よかった」
「え……?」

 それは、俺が好きなお菓子のメーカーの名前だった。そこの息子だと理解できたが、どうして母が知っているのだろう?心の中が揺れ動いているのに、冷静な自分がいる。両親の子供だと実感する瞬間だ。良いのか悪いのか分からない。

「黒崎家の方とも、お友達になったんですってね。その繋がりだったのよね?」
「うん……、そういうことだよ」
「今月中に食事に行きましょう。早瀬さんも一緒に」
「聞いておくよ。これから授業があるから」
「ゆっくり話しましょう」
「じゃあね……」
 
 プツ。電話を切った後も、母の声が耳に残っている。ハキハキした事務的な話し方だ。仕事相手と話している時と変わらない。それでも、こうして電話が掛かって来る分だけマシだ。多くを望んではいけない。期待するだけ、悲しい結果が待っているからだ。

「おまたせ。向こうへ短冊を書きに行こうよー」
「悠人。おいで」
「うん……」

 何でもないふりをしたつもりなのに、自分の声は震えていた。早瀬の前では、どんな虚勢も張ることができない。魔法使いのように、一瞬でバリアを解いてしまうからだ。そして、優しい力で抱き寄せられて、腕の中に包み込まれた。向こうの方には大勢の気配があるが、気にならなかった。安心できるこの場所から離れる気になれない。

「悠人、思いきり泣け」
「泣かない……」
「それなら、泣かせるよ?」
「ここなら……、泣かなくてもいいからだよ」

 無理をしていない。勝手に涙が引っ込んでしまった。自分の居場所だと分かっているからだ。でも、ずっと続くのだろうかと思ってしまった。

「変なことを考えているだろう?」
「ううん……、えーっと……。お母さんが言っていたけど、裕理さんって、千尋製菓の息子さんだったんだね。『トラのユーリ』のメーカーの……」
「そうだよ。君のお気に入りのお菓子のメーカー。黙っているつもりはなかった。まあ、わざわざ言うことでもないし」

 ここで一つの疑問が生まれた。中学高校の同級生の話だと、そういう家の子は、親の会社に入るか、取引先への就職がお決まりのコースだ。黒崎製菓は、ライバル企業だと思っていたのに。

「黒崎製菓へ就職したのが意外だよ。ライバルじゃないの?そういう家の子は、取引先へ就職するだろ?銀行とか……」
「よく知っているね」
「中高の友達の家に多いからさ……」
「そうか。悠人君は呉羽野学園だったね」
「うん」

 実家から遠い学校だった。同じ学力の学校なら、もっと近くにあるのに、親の命令で受験をした。クラス替えがある度に、どの子と同じクラスなのかと両親が関心を持っていた。それはクラスメイトの親も同じだ。子供よりも、親同士のつながりを大事にする学校だからだ。

「嫌なことがあったよ。俺の名前は久田悠人なのに『久田さんの息子』って、呼ばれていたんだ。裕理さんもそうだった?」
「そうだったよ。だから、黒崎グループを選んだ。多少は『早瀬』の名前が通用しないと思ったからだよ。圭一さんが代表取締役社長だったしね。圭一さんが黒崎製菓の子会社だった会社を独立させようとしたのは、自分の力を出したかったからだ。社員がいる以上、無責任な事はないから、それだけが理由じゃないけどね……。家を出たいと言うから、協力したんだ」

 経済の授業のレポート課題で、黒崎製菓のことを調べた。黒崎ホールディングスが、わざわざグループから外れたことに驚いた。問題は無さそうだったのに。
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