ハーンのミサイル

有嶺哲史

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第一章  十数年前

鯛子

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 高校三年次、三人とも再び同じ組になった。
その組に内海鯛子うつみたいこという大柄な女子がいた。
成績は学年のトップグループ、そして県代表レベルの運動選手だった。
しかも北欧出身の有名女優に似て図抜けた美人だった。
凡庸な男子学生にとって手の出ない存在だろうが、おれは七緒先生のおかげで鯛子程度の美貌には免疫が出来ていた。
鯛子はいつも背筋が伸びて剽悍な野性児のように瞬発力を溜めている感じがあった。
性格は全然しとやかではなくアマゾネスだった。
二人姉妹の長女の鯛子は文武両道に秀でた、誰が見ても文句なしの美人だ。
すると妹にも期待がかかるだろう。
名を鮃子ひょうこという。
おれとも面識があった。
姉に似ず思いっきり平凡なイモネエチャンだ。
いつも不機嫌そうにするのが趣味らしい。
ヒラメのように下から睨み上げながら文句を言う時姉の鯛子でも逃げ出すほど口が立ったらしい。
あるとき鯛子がおれに言った。

「鮃子をあんたにあげるから持って帰って食べちまいなよ」

「食あたりするのはいやだ」

 第三学年が始まってすぐの連休の少し前、後に病院の小説の元型になった話を書いていたころだった。
現実にあんな光景を見るとは、おれもよほど不運な星の下に生まれたのだろう。
学校の中に竹の密生する谷間があって、まず人が来ないであろう藪があった。
最も爽やかで気持ちのいい季節、若草の青い匂いに惹かれて通り抜けようとしたらそこに孫悟空のように長い棒を持って一人立っている鯛子の後ろ姿が見えた。
辺りには早い筍がいくつも出て、かなり伸びていた。
おれはかわいい筍たちを見て心がほっこりとなって通り過ぎかけた。
そのとき彼女が筍に対して衝撃的な行為をするのを見て固まった。
見てしまったおれの頭に何の言葉も浮かばなかった。
気付かれないようそっと離れた。
そのすぐあと、おれに無関心なはずの彼女が話しかけてきた。
堯助を好きになり気になって仕方が無いという。
何の恥じらいも無くしゃべり、言い終えるとすぐ去っていった。
彼女は何をしたかったのか分からずポカンとするしかなかった。
この一連の変事は遥か後まで誰にも言わなかった。

 すぐ後の五月一日。
連休の谷間で空は雲一つなく晴れて青空のパステルカラーが美しかった。
昼休みに図書館に行った。
入り口に大きな鏡があった。
いつもは素通りするのにたまたま執筆していた病院の小説の中で自分を美青年として登場させたので気になって立ち止まり覗いてみた。
髭剃り以外で鏡を見るのは数年に一度くらいだ。
残念、やっぱりどうしようもないと思った時だった。
後ろを鯛子が通り過ぎざまに、鏡に見入っているおれを見て一瞬立ち止まり怪訝な顔をして首をひねった。
その顔が鏡の中に見えたとき驚いた。
いつも長いまっすぐの髪だった鯛子が幼稚園の少女のように年甲斐も無くおさげ三つ編みにしていた。
アマゾネスなのにこれは滅茶苦茶似合わない。
サッと振り返ると鯛子はまだおれを見ていた。
そのまま何のはずみか西部劇の決闘のように少しの間二人は無言で睨み合った。
すぐ鯛子は眼をそらせ歪んだ笑いを浮かべて去っていった。
おれの心臓にはまだ恐怖と興奮が残っていた。

 おれの書いた病院の小説の中では、彼女はしとやかで優しくて控えめで……現実の鯛子はおれを下等人種くらいに思っている。
おれの顔をうっかり凝視してしまった不覚は彼女にとってまことに悔やまれる、年に一度くらいの珍事なのだ。
おぞましさはこちらも同じだ。
見下される感じに反発して彼女に全く色気を感じなかった。
女の皮を被った男、ひょっとすると去勢男の変装じゃないかと思うこともよくあった。
だからなのであろう。
その晩次のような夢を見た。

 夢の中にアマゾネス鯛子が出てきた。
時は夕方、場面は赤い欄干が見える中国清朝の宮殿だ。
繊細な欄干模様の軽やかなリズムは何かを期待させるように心地よい。
伽羅きゃらの甘く神秘的な香りに若い女のほのかな香りが溶け込んでいる、と思ったら急に香りがきつくなった。
そこに鯛子がいて物憂げな様子で欄干に寄り掛かっていた。
学校で見る彼女と全く違い、むやみにたおやかで色っぽい。
どこまでも柔らかそうな風情は信じがたいくらいだ。
別人のように美しく見えたが昼間学校で見たのと同じおさげ三つ編みだ。
着ているのは、と見ると目の覚めるような藍色に金糸で花の刺繍を盛り上げたシルクのチャイナドレスだった。
なんか小さいと思ったら丈は太ももの真ん中まででスリットは異常に深く、腋の下まで裂けていた。
毎年美女たちがこの時期周辺国から献上される。
彼女もその一人のようだ。
おれは東夷の国に留学していたとき彼女と同じクラスにいた。
ここではおれは皇族だった。
しかし彼女の顔をみると意識はいつもの劣等感だらけの高校生に戻った。
彼女に訊いた。

「その年で、なんでオサゲにしたんだ?」

「長い髪で転げまわると顔に巻き付いて集中できないからよ」

「なんで転げまわるの? そのとき何をしているの?」

「!」

鯛子はドキッとした。
彼女の顔が赤くなって答えなかった。

 高校の時、鯛子は成績のいい男や可愛い男には自ら進んで話をしにいったがおれには来なかった。
当時の高校はまことに露骨で、毎回テストの点数が成績順に名前とともに壁新聞のように廊下に張り出された。
だからおれの頭が悪いことは知られていた。
高校で鯛子に無視されていたおれは、だから顔も悪かったことになる。
鯛子は女生徒たちが勝手に作ったふざけたリストを見せた。

「これが学年男子の美貌順リストよ。あんたは欄外、いやこの隅っこにあるわね。鏡を見て割らないでね」

正論だがムカッときて仕返しのつもりで藪の中で彼女がやっていた衝撃の行動を見たことをしゃべってしまった。
すると

「!!!」

世界が割れたように彼女は驚いて、ひん剥いた眼球がポロッと落ちそうになった。
急に態度が変わった。
彼女は顔を赤らめながらたおやかに、にこやかに接近してきて体を擦り寄せてきた。
彼女は貢物だからおれが何をやってもいい。
ならば……そうだ、あれを確かめよう。

「日いずる国からの貢物である君はひょっとすると帝の目に留まり貴妃になるかもしれない。だから調べたいことがある。いいだろう?」

「あは~ん、いいわよ~ん」

この返事を聞いたおれの知能はだだっと下がった。
気を取り直し姿勢を整え彼女のドレスを捲った。
おっ、ドレスの下は全裸! かぶりつきたくなる麗しい女体は……あれ? 運動選手とは知っていたけど、東大寺の金剛力士のように筋肉隆々の体……また気を取り直して彼女を赤ちゃんのおしめ交換の格好にしておれはそこに顔を近づけた……何だこりゃ。
女でも男でもない。
切り株のようなものがある。
何かを切り取った跡みたい。
結論は一つ、宦官かんがん(=去勢男)が女子高生の鯛子に化けていたのだ。

「鯛子、お前は宦官だな」

宦官のおぞましい股間を見てしまった自分が気持ち悪い……あっ! 顔に小便が飛んできた。
反射的に突き飛ばすと鯛子の中から宦官が飛び出した。

「ケケケ」

あざ笑いながら左右に体を揺する宦官特有の歩き方で逃げて行った。
ぺちゃんこになった鯛子の皮が残された。
それをゴミ箱に捨てながらおれもひょっとしたらと思い、恐る恐る自分の頭を触ると紛れもなく辮髪べんぱつだった。
男だから禿げ頭にオサゲがぶら下がっているのだ。
愕然としたとき、どっと喚声が聞こえた。
街中に出てみると、おれは怒り狂う義和団の大群衆の前に一人で立っていた。
スローガンは扶清滅洋、味方だと思ったら彼等から恐ろしい眼で睨みつけられた。
そのとき外国軍の砲弾が飛び、どっと逃げ始めた辮髪の大群に押し倒され頭を踏みつぶされておれは死んだ、と思ったら目が醒めた。
おれは昔から木の芽時に戦争の夢をよく見る。
横で寝ている親戚の小さな子がおれの頭を蹴っていたらしい。
それから恐る恐る自分の頭を触ってみた。
普通に髪があると判ったときは本当にほっとしてしばらく喜びに浸っていた。

 登校して鯛子を見たときおさげ髪が豚の尻尾(=辮髪)にしか見えなくなった。
必死で口を押え笑いをこらえているおれを鯛子がじろっと見た。
怒るかと思いきや意外なことに彼女はショボンとした。
自分ではいいと思ったおさげ髪なのに皆から悪評ばかり言われたと見える。
連休明けに彼女は髪を切ってショートウェーブに変えていた。
すると一転、北欧の美人女優そっくりの華やかな美貌が現れて皆息をのんだ。
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