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第27話 将軍の帰還
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春の風が王都を包み、街は久しぶりに平穏の音を取り戻していた。
遠くで子どもたちが笑い、市場には行商人の声が響く。
まるで、長い夢の中にあった争いがようやく終わったかのようだった。
だが、王宮のバルコニーに立つリリアーナの瞳にはまだ光と影が交錯している。
風が吹くたびに、彼女の髪が揺れ、胸元の翡翠の指輪がわずかに光を放った。
あれから三ヶ月。
封印を閉じた夜の後、彼女は奇跡的に意識を取り戻したが、ライナーの姿はどこにもなかった。
瓦礫の残骸すら残さず、彼が存在した痕跡はすべて光に呑まれた。
まるで最初から彼などいなかったかのように。
しかし、リリアーナの掌だけがそれを否定していた。
あの日、彼の血と共に渡された指輪。
二人のイニシャルが刻まれたそれは、今も温かく、確かに息づいている。
「将軍……あなたは、どこにいるのですか」
小さな呟きは風に溶けた。
いくら祈っても、返事はない。
それでも、彼女は諦めなかった。
彼が残した言葉がある。
“お前が生きる限り、戦いは終わらない。”
それは決して“悲しみを続けよ”という意味ではない。
――生きることで未来を紡げ、という約束の声。
だからこそ、彼女は王国とヴァルシアの合同会談の場に立ち続けた。
この三ヶ月で、両国は正式に和平を結んだ。
アルベルト王太子は王として即位し、王妃エリザベートの遺志を継いで、民に解放令を布告した。
戦災で苦しんだ人々が再び畑を耕し、商店の灯りが戻り始めている。
「リリアーナ陛下」
背後から声がした。
アルベルト――今は王としての装束をまといながらも、どこか素顔の彼の面影を残していた。
「王と呼ぶのは慣れませんね」
「俺としても、貴女を“外交官閣下”と呼ぶのはまだ不自然です」
二人は苦笑する。
「和平協定の文書ですが、ヴァルシア議会の承認が取れたとの情報が入りました」
「そう……よかったわ」
リリアーナの瞳に安堵の光が宿る。
「貴方のおかげよ、アルベルト。王として責任を果たそうとする強さが、皆を支えている」
「……そう言ってくれるのは貴女だけです」
彼は少し寂しげに笑い、視線を空へ向けた。
「俺は今でも夢に見る。あの封印の夜を。リリアーナ、君が倒れて、あの男が消えた瞬間を」
リリアーナの胸がずきりと痛んだ。
「将軍はきっと、どこかで生きています。そうでなければ、この指輪が――」
翡翠の輝きが風に揺れ、淡く光る。
その時、王城の警鐘が一度鳴った。
通常の報告ではない。使者の訪れを知らせる合図だ。
「ヴァルシアからの外交使節が到着したとのことです」
「ええ、聞いていました。……それも、特別な人物が」
リリアーナが静かに答えた。
王玉座へ続く広間の扉が開き、護衛兵と共に黒い軍服の男がゆっくりと歩みを進める。
その姿は、風のように静かで、山のように揺るがなかった。
陽の光が差した瞬間、軍服の肩章が光を反射し、銀の髪がきらめく。
息を呑む音が広間に響いた。
「まさか……」
リリアーナは立ち尽くした。
黒い外套を摘まみ上げ、男は片膝をついた。
「ヴァルシア王直属、特使として参上致しました。――ライナー・クレメンスと申します」
嘘のような現実だった。
涙が瞬時に滲み、彼女は両手で口を覆う。
「……生きて……いたのね」
ライナーはゆっくりと顔を上げた。
瞳の奥には、確かに生の光が宿っていた。
「お互い死なない約束をしただろう」
「あの約束は……夢の中のようだったわ」
「夢でも構わない。俺にとっては現実だった」
近づく二人を、王はそっと見守っていた。
アルベルトの唇が僅かに緩み、静かに告げる。
「王国とヴァルシアを結ぶ新しい条約には、“国境を越えた守護の誓い”が含まれている。君たちがその生きた証だ」
ライナーは王に礼をし、リリアーナの方へ向き直った。
「陛下の命により、ヴァルシア本国からの友好条約を運んできた。これで両国の戦争は、正式に終わる」
手渡された封書に、王国とヴァルシア双方の王印が押されている。
リリアーナはその文書を受け取り、胸に手を当てた。
「ライナー……ありがとう。貴方が戦い続けたおかげよ」
「違う。お前がいたからこそ、俺は剣を下ろすことができた」
二人は見つめ合う。
長い間、離れ離れだった時間が、今静かに溶けていく。
だが、リリアーナはふと躊躇うように手を握りしめた。
「ヴァルシアへ戻るのですか?」
「……まだわからない。本国の王は俺に“外交顧問”として留まる権を与えた。好きに選べと言われた」
「では……」
「もし許されるなら、この国で生きてみたい」
彼の瞳が真っ直ぐにリリアーナを見つめる。
一瞬、どんな返事もできなかった。
ただ胸の奥が熱くて、何も言えなかった。
沈黙の後、リリアーナは静かに微笑んだ。
「では、共に歩きましょう。あなたが教えてくれた“信じる道”を、今度はふたりで」
ライナーの唇がわずかに歪み、優しく笑う。
「命令ではなく、願いとして受け取ろう」
アルベルトが玉座から立ち上がり、広間の人々に声を放った。
「この瞬間をもって、王国とヴァルシアは永遠の友誼を結ぶ!」
拍手と歓声が湧き上がり、天井の装飾が反射する光の雨が舞った。
その騒ぎの中で、リリアーナとライナーは再び目を合わせた。
指に嵌めた翡翠の指輪が光を放ち、まるで二人を繋ぐ絆を誇示するように輝く。
彼はそっとその指先を取り、低く囁いた。
「お前がいたから、俺は帰ってこられた」
「帰る場所は、私が守っておきました」
外では春の雨が上がり、空に虹がかかっていた。
長い争いの跡を癒すように、陽光が街を包み、人々の笑顔が溶け合っていく。
リリアーナはふと、風に乗る声を聞いた気がした。
――もう泣くな。お前が笑えば、誰もが救われる。
その声を胸に刻み、彼女は一歩前へ進んだ。
隣には、黒い外套の将軍がいる。
途方もなく遠い旅の果て、ようやく辿り着いたのは、二人で見たかった“新しい朝”だった。
「おかえりなさい、将軍」
「ただいま、リリアーナ」
微笑み合う二人の瞳に、もう哀しみの影はなかった。
物語は終わった。
だが、この世界の未来は、ここから始まる。
(完)
遠くで子どもたちが笑い、市場には行商人の声が響く。
まるで、長い夢の中にあった争いがようやく終わったかのようだった。
だが、王宮のバルコニーに立つリリアーナの瞳にはまだ光と影が交錯している。
風が吹くたびに、彼女の髪が揺れ、胸元の翡翠の指輪がわずかに光を放った。
あれから三ヶ月。
封印を閉じた夜の後、彼女は奇跡的に意識を取り戻したが、ライナーの姿はどこにもなかった。
瓦礫の残骸すら残さず、彼が存在した痕跡はすべて光に呑まれた。
まるで最初から彼などいなかったかのように。
しかし、リリアーナの掌だけがそれを否定していた。
あの日、彼の血と共に渡された指輪。
二人のイニシャルが刻まれたそれは、今も温かく、確かに息づいている。
「将軍……あなたは、どこにいるのですか」
小さな呟きは風に溶けた。
いくら祈っても、返事はない。
それでも、彼女は諦めなかった。
彼が残した言葉がある。
“お前が生きる限り、戦いは終わらない。”
それは決して“悲しみを続けよ”という意味ではない。
――生きることで未来を紡げ、という約束の声。
だからこそ、彼女は王国とヴァルシアの合同会談の場に立ち続けた。
この三ヶ月で、両国は正式に和平を結んだ。
アルベルト王太子は王として即位し、王妃エリザベートの遺志を継いで、民に解放令を布告した。
戦災で苦しんだ人々が再び畑を耕し、商店の灯りが戻り始めている。
「リリアーナ陛下」
背後から声がした。
アルベルト――今は王としての装束をまといながらも、どこか素顔の彼の面影を残していた。
「王と呼ぶのは慣れませんね」
「俺としても、貴女を“外交官閣下”と呼ぶのはまだ不自然です」
二人は苦笑する。
「和平協定の文書ですが、ヴァルシア議会の承認が取れたとの情報が入りました」
「そう……よかったわ」
リリアーナの瞳に安堵の光が宿る。
「貴方のおかげよ、アルベルト。王として責任を果たそうとする強さが、皆を支えている」
「……そう言ってくれるのは貴女だけです」
彼は少し寂しげに笑い、視線を空へ向けた。
「俺は今でも夢に見る。あの封印の夜を。リリアーナ、君が倒れて、あの男が消えた瞬間を」
リリアーナの胸がずきりと痛んだ。
「将軍はきっと、どこかで生きています。そうでなければ、この指輪が――」
翡翠の輝きが風に揺れ、淡く光る。
その時、王城の警鐘が一度鳴った。
通常の報告ではない。使者の訪れを知らせる合図だ。
「ヴァルシアからの外交使節が到着したとのことです」
「ええ、聞いていました。……それも、特別な人物が」
リリアーナが静かに答えた。
王玉座へ続く広間の扉が開き、護衛兵と共に黒い軍服の男がゆっくりと歩みを進める。
その姿は、風のように静かで、山のように揺るがなかった。
陽の光が差した瞬間、軍服の肩章が光を反射し、銀の髪がきらめく。
息を呑む音が広間に響いた。
「まさか……」
リリアーナは立ち尽くした。
黒い外套を摘まみ上げ、男は片膝をついた。
「ヴァルシア王直属、特使として参上致しました。――ライナー・クレメンスと申します」
嘘のような現実だった。
涙が瞬時に滲み、彼女は両手で口を覆う。
「……生きて……いたのね」
ライナーはゆっくりと顔を上げた。
瞳の奥には、確かに生の光が宿っていた。
「お互い死なない約束をしただろう」
「あの約束は……夢の中のようだったわ」
「夢でも構わない。俺にとっては現実だった」
近づく二人を、王はそっと見守っていた。
アルベルトの唇が僅かに緩み、静かに告げる。
「王国とヴァルシアを結ぶ新しい条約には、“国境を越えた守護の誓い”が含まれている。君たちがその生きた証だ」
ライナーは王に礼をし、リリアーナの方へ向き直った。
「陛下の命により、ヴァルシア本国からの友好条約を運んできた。これで両国の戦争は、正式に終わる」
手渡された封書に、王国とヴァルシア双方の王印が押されている。
リリアーナはその文書を受け取り、胸に手を当てた。
「ライナー……ありがとう。貴方が戦い続けたおかげよ」
「違う。お前がいたからこそ、俺は剣を下ろすことができた」
二人は見つめ合う。
長い間、離れ離れだった時間が、今静かに溶けていく。
だが、リリアーナはふと躊躇うように手を握りしめた。
「ヴァルシアへ戻るのですか?」
「……まだわからない。本国の王は俺に“外交顧問”として留まる権を与えた。好きに選べと言われた」
「では……」
「もし許されるなら、この国で生きてみたい」
彼の瞳が真っ直ぐにリリアーナを見つめる。
一瞬、どんな返事もできなかった。
ただ胸の奥が熱くて、何も言えなかった。
沈黙の後、リリアーナは静かに微笑んだ。
「では、共に歩きましょう。あなたが教えてくれた“信じる道”を、今度はふたりで」
ライナーの唇がわずかに歪み、優しく笑う。
「命令ではなく、願いとして受け取ろう」
アルベルトが玉座から立ち上がり、広間の人々に声を放った。
「この瞬間をもって、王国とヴァルシアは永遠の友誼を結ぶ!」
拍手と歓声が湧き上がり、天井の装飾が反射する光の雨が舞った。
その騒ぎの中で、リリアーナとライナーは再び目を合わせた。
指に嵌めた翡翠の指輪が光を放ち、まるで二人を繋ぐ絆を誇示するように輝く。
彼はそっとその指先を取り、低く囁いた。
「お前がいたから、俺は帰ってこられた」
「帰る場所は、私が守っておきました」
外では春の雨が上がり、空に虹がかかっていた。
長い争いの跡を癒すように、陽光が街を包み、人々の笑顔が溶け合っていく。
リリアーナはふと、風に乗る声を聞いた気がした。
――もう泣くな。お前が笑えば、誰もが救われる。
その声を胸に刻み、彼女は一歩前へ進んだ。
隣には、黒い外套の将軍がいる。
途方もなく遠い旅の果て、ようやく辿り着いたのは、二人で見たかった“新しい朝”だった。
「おかえりなさい、将軍」
「ただいま、リリアーナ」
微笑み合う二人の瞳に、もう哀しみの影はなかった。
物語は終わった。
だが、この世界の未来は、ここから始まる。
(完)
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