【完結】東京・金沢 恋慕情 ~サレ妻は御曹司に愛されて~

安里海

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スイミング・プールにて

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 レアンドロ作のスイミングプールは、総合案内から入って直ぐの光庭にあった。美術館の中に突然現れたスイミングプールはそれだけで不思議な感じがする。

 ゆらゆらと揺れる水面を覗いて見ると、プールの底を普通に歩いている人が見え、手を振ると振り返してくれる事もある。
 他の来館者のマネをして、沙羅も大きく手を振る。
 プールの底に居合わせた小学生ぐらいの女の子が、手を振り返してくれた。
 その女の子は両親の元へ戻り、ふたりにも手を振るように言っているようだ。やがて、3人そろって大きく手を振ってくれた。

 幸せそうな親子連れの様子に、少し前にあった幸せを思い出してしまった。沙羅の胸はツキッと痛み、楽しい気持ちが急激にしぼみ始め、表情を曇らせる。

 プールの水面が揺れていて、相手の表情がわからない作りで良かったと思いながら沙羅は手を振り続けた。
 
 大きく息を吐き出し、気持ちを整えてから慶太へ顔を向ける。
 
「いつまでも、ごめんね。プールの中にも行かないと」

「まだ、時間あるから、ゆっくりでいいよ」

「ううん、上から見ていたら中に入りたくなったの。あのプールの中に入ったの学生の頃だったでしょう。あの時は、水族館の魚になったような気がしていたけれど、大人になった今なら違う事を思うかも知れないでしょう。楽しみなの」

 沙羅は無理に笑顔を作り、大げさな手ぶりで明るく振舞った。
 それをなだめるように、慶太は沙羅の頭を優しくポンポンと撫でる。

「そうだな。じゃあ、行こうか」


 地上からプールの中へ向かうには、階段を下り、長く曲がりくねった通路を進んで行く。通路は薄暗く余計な装飾が無い。
 これは、水中に潜る疑似体験を意味しているらしい。
 薄暗い通路の先に、小さめの入り口があり、そこをくぐれば、青いプールの底だ。
   遠近法を使った作りで、実際の面積よりも広く感じる。その証拠に奥に行く程、上り坂になっているのだ。

 頭上からは、ゆらゆら揺れる水面を模したガラスから柔らかな光が差し込む。本当の水中に居るような錯覚に陥り、不思議な感覚だ。

「大人になった沙羅が、プールの底に着いた感想は?」

「胎内回帰かな」

「胎内回帰?」

「薄暗い通路が産道で、そこを進んでお腹に帰って行くの。プールの底は子宮で、水は羊水」

「女性ならではの解釈だね」

   沙羅は少し恥ずかしそうに、ふふっと微笑み話しを続けた。

「母親のお腹の中で、羊水に温かく包まれて過ごした事は、幸せな記憶として心の奥底に刻まれている。母親のお腹の中で安心して過ごして居た頃に帰りたいと願う気持ちは、誰もが持ち合わせているらしいの」

「DNAに刻まれているんだ」

「そう、それでね。似たような環境に来ると、お腹に居た頃の安心感を思い出して、辛い記憶がリセットされるらしいの。すると、心が新しく生まれ変わって、また歩き出す事が出来るんですって」

「沙羅の辛い記憶もリセット出来た?」

   慶太の問い掛けに沙羅はうつむき瞼を閉じた。そして、大きく息を吸い込み顔を上げる。

「リセットしたから、慶太と一緒に新たな幸せの記憶を心に刻みたい……」

 輝く水の光がさざめく青く深い世界は、現実感を失わせるのかも知れない。
 夫の不倫。しかも、相手が妊娠していると言う問題は現在も継続している。
 離婚届を出しても、子供のために半年は一緒に家族ごっこを続けなければいけない。
 重たすぎる現実を沙羅は簡単にリセット出来るはずもなかった。

 でも、僅かな期間だけでも慶太だけを想い、恋人として過ごせれば、この先に辛い現実が待ち構えていたとしても、幸せな記憶を胸に生きて行く事が出来るような気がした。

 沙羅に向けられた真っ直ぐな瞳。
 その瞳を慶太は見つめ返した。 

「沙羅の心が、幸せで埋め尽くされるように一緒にいるよ」

「我が儘言って、ごめんね」

「これは、我が儘の内に入らないよ。望みを聞いただけ」

 慶太の柔らな声のトーンは、沙羅の弱った胸に沁みる。

「慶太、ありがとう。優しいのね」

「優しくするのは沙羅限定だから」

 自分を見つめる慶太から、沙羅は視線を泳がせ、小さくつぶやく。

「ちょっと、恥ずかしい」

    火照った顔を隠すように頬を抑えた。
    その様子を見て、慶太はクスリと笑う。

    不意に「こんにちは」と声が響く。他の観覧者が見学に来たのだ。「こんにちは」と挨拶を返すと、さっそく写真撮影を頼まれる。

    スイミングプールは、撮影OKの映えポイントなのだ。

    快く応じて、シャッターを切ると、かわりに撮影してくれるという。
  スマホの画面には、慶太と沙羅のふたりが仲良く寄り添う姿が残った。


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