何もかも全て諦めてしまったラスボス予定の悪役令息は、死に場所を探していた傭兵に居場所を与えてしまった件について

桜塚あお華

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第16話

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 赤黒い空が、低く唸りをあげていた。
 王都は――燃えている。否、喰われている。
 光ではない。炎でもなく、これは魔力そのものだ。狂気のような奔流が空を裂き、地を割き、人の形を次々と呑み込んでいく。
 瓦礫が崩れる音。叫び声。血のにおい。遠くの塔が爆ぜ、石の破片が空を舞う。熱風に吹かれ、誰かの腕が宙を切る――その一つひとつが残酷なまでに鮮明だった。
 目の前には、折れた剣。自分の手から滑り落ちたものだ。それを拾うこともできないし、脚が動かない。身体が重いのではない、魂が、沈んでいくのだ。

(また、これか……)

 夢だと、わかっているはずなのに。
 何度も見た【結末】だと理解しているはずなのに。
 それでも、この破滅の光景は、いつも新しい絶望として胸を抉ってくる。
 焼け爛れた大地。崩れ落ちる人々、王族の紋章を纏った騎士たちが、自分に剣を向けている。
 彼らの目に宿るものは恐怖と、そして、哀れみ――それが、なによりも堪えた。

「――怪物め……」

 誰かが呟いた。
 吐き捨てるように、裁くように。それは王子か、それとも兄か、それとも――かつて愛した誰かだったか。
 だがもう、顔も声も思い出せない。残っているのはただ焼け焦げた空気と、孤独の焼き印だけ。
 自分の背に、何かが突き刺さる感覚。
 鋭い光――魔力の刃だ。
 その瞬間、視界が反転し、地面に倒れ込む。
 血が喉に逆流する。だが、痛みは感じなかった。

 ――むしろ、ほっとしていた。

(……ようやく、終わる)

 何も残さず、何も守れず、ただ壊しただけの人生。自分は、やはり破滅のために存在していた。
 それならこの【終わり】は正しい――そう思った、はずだった。

 ――その時、声が聞こえた。

「……ハイデン」
「……クリス?」

 違う――これは夢の中の声じゃない。焼け爛れた世界の残響じゃない。
 あまりにも近く、あまりにも温かい声に震える指先に触れる、熱の感触。
 視界がぼやける。
 喉が、空気を求めて震えた。
 あの、誰もいなかった世界に――誰かがいる。

(……ここは、どこだ……?)

 ハイデンは、はっとして目を開けた。

 見上げた天井は見慣れた木の梁。己の背を支えていたのは、冷たい地面ではなく、布団の柔らかさ。頬を撫でていたのは火の熱でも、血でもない。誰かの手――温もりのある【人】の体温だった。
 まだ夜が明けきっていない。窓の外に見える空は、淡い灰色に染まりはじめており、そしてその横顔を、すぐそばに見る。

 ――クリスだった。

 椅子に座ったまま、半ば寄りかかるようにして、こちらを見ていた。眠っていたわけではない。目は冴えていて、どこか緊張感すら帯びている。

「……また、魘されていたぞハイデン」

 低く、けれど静かな声だった。責めるでも、呆れるでもない。ただ事実として口にしている。
 ハイデンは返事をしなかった、いや、できなかった。ただ喉が痛み、目の奥がじんと熱く感じる。
 何も言わない彼に、クリスはゆっくりと腰を上げ、ベッドのそばに膝をつく。その動作に、敵意も、警戒も、同情すらもない。
 ただ――そこにいる事を、示すためだけに。
 その姿が、ひどく不思議だった。嘗ての自分には、決して与えられなかった光景。

「……俺は」

 クリスがぽつりと口を開いた。

「ずっと自分のせいで、誰かが死んだと思ってた。兄貴を戦場で失ってから……【守れなかった】って事が、ずっと喉に刺さってた」

 ハイデンは目を見開いた。
 初めて聞く、彼の過去。クリスが、誰かを守ろうとして、傷ついたことがあったと――そんなこと、想像もしていなかった。
 だが、今のその声には重みがある。その痛みを、過去の時間ごと引きずって生きてきたのだとわかる声だった。

「……だから、お前がまだ【生きたい】って思ってるなら」

 ゆっくりと、けれど確実に向けられる言葉。
 その瞳は、まっすぐだった。

「俺が、何度でも守ってやる」

 クリスの言葉を聞いた瞬間、ハイデンの心臓が――動いた。

 何かが、崩れた。
 何かが、音を立てて胸の奥で砕けた。
 誰かが、こんなふうに自分を必要とする日が来るなんて。
 誰かが、自分の存在を【守る】に値するモノだと見てくれるなんて。

(……それは、嘘みたいに温かい)

 込み上げてきた感情を抑えることは、できなかった。
 声は出ず、ただ熱い雫が静かに頬を伝った。
 ひとつ、またひとつと、涙が枕に落ちていく。
 どこかで「みっともない」と思う心が叫んでいたが、止まらなかった。

「……ごめん、なさい」

 そう言ったのは、ハイデンだった。
 声は震えており、でもその震えは、心がやっと動き始めた証でもあった。

「……ごめん、僕……っ、ずっと……誰も、信じられなかったんだ」
「信じなくていい」

 クリスはそう言って、静かに手を伸ばした。
 ハイデンの髪に触れ、そのままそっと額に手を当てる。その手のひらの熱が、冷え切っていた心を確かに温めていった。

「信じなくてもいい。でも、お前が【生きたい】って思ったなら、それで十分だ」

 静かに、でも確かな力で、そう告げられると同時に、ハイデンの視界が涙に滲んでにじんでいく。
 世界はこんなにも残酷だったのに、それでもまだ、自分を肯定してくれる声があった。

 その朝、ハイデンはもう一度、眠りについた。クリスの見守るそばで。

 この世界に、生きる価値があるかはまだわからない。けれど――守ってくれる誰かがいるならもう少しだけ、生きてみたいと思った。
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