何もかも全て諦めてしまったラスボス予定の悪役令息は、死に場所を探していた傭兵に居場所を与えてしまった件について

桜塚あお華

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第18話 カミル視点

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「……ふぅ」
 
 昼の鐘が鳴る少し前、中庭には穏やかな陽射しが差し込んでいる時に、カミルは静かに息を吐きながら外に視線を向ける。
 視線を向けてみると、ちょうど柔らかな風が木々の葉を揺らしており、そこに白い花弁がひとつ、ゆっくりと空に舞い上がる。
 カミルは書を一冊手に持ち、石畳を静かに歩いていた。薔薇のアーチの下を抜けるたびに、花の香りが微かに衣服へと染み込んでいく。この時間の中庭は人気が少ない事もあるので、カミルにとって落ち着ける場所の一つだった。
 今日彼が手に取ったのは、王国でも古い部類に入る詩集だった。
 比喩に富んだ言葉が連なるそれは、読み解くたびに新たな意味を発見させてくれる。
 耳に心地よい響きと、ページを繰るたびに静まっていく心――本来なら、こうした穏やかな一時を何よりも好むはずだった。

 だが、その日ばかりは、詩の言葉が胸の奥まで届かなかった。

(まただ……また、【あの子リリア】のことを考えている……)

 ページの間で、意識が逸れていく。
 遠くで鳥の鳴き声が聞こえた。青空の下、どこか現実が霞んで見えた。

 リリア・セントマリア。

 王家にも連なる名家の血筋、優雅な物腰、誰の前でも揺るがない礼節。学院に入学してからというもの、周囲の生徒たちは彼女の美しさと立ち振る舞いに目を奪われ続けていた。
 カミルももちろんその一人だ。
 魅力のある彼女に惹かれていった――それと同時に最近は妙な違和感を彼女に感じるようになってきた。

(……突然、あの子はまるで全てを知っているような目をするようになったんだ)

 話をしていると、ふとした間に気づく。
 こちらの言葉を聞いてから、ほんの一拍だけ間を置くことがある。そして次に紡がれるのは、まるで最適解を選んだかのような答え。怒りを買わず、警戒もされず、相手を安心させる距離感――計算され尽くした言葉。
 普通なら、それは不自然に映るはずだった。
 ぎこちなく、どこか作り物のようなものに見えるはずなのに――

(……それでも、嫌悪感が湧かない)

 否、それどころか――惹かれている。

 リリアが話しかけてくるたび、胸がどこかざわつく。過剰な感情ではなく、けれど静かに波紋のように広がっていく、温かな感覚。笑顔を向けられると、その表情の真偽を疑うよりも先に、なぜか守ってやらなければと思ってしまう。
 彼女が心の奥に何を隠しているかは、わからない。それでも――いや、だからこそ、見守りたくなる。

(……おかしいな)

 詩集を閉じ、カミルはベンチにもたれながらそっと空を見上げた。
 木の間から漏れる光が、金色に揺れている。

「……どうかしてるな、僕も」

 吐息のようにこぼれた言葉は、誰にも届かない。
 ただ春の風だけが、それを受け取るように彼の前髪をふわりと揺らしていった。
 詩の余韻よりも、リリアの言葉の方が、胸に残っている――それが、今の彼のすべてだった。
 リリアと言う少女は何者なのか。
 彼女の笑顔の裏に、何があるのか――わからない。それでも構わない、と思ってしまう自分がいた。

(たとえ何を隠していたとしても……あの笑顔だけは、守れるなら)

 理由なんてはっきりとはわからない。リリアが本当は何を考えていて、どこまでが演技でどこからが本心なのか。彼女の中にある【何か】には、時折、正体の知れない深さを感じる。
 それでも、考えてしまう。まるでそれが【当たり前】のように。

(……あの笑顔が、嘘であったとしても)

 その表情を、自分はきっと嫌いになれない。
 誰かの顔を思い浮かべて笑っていたとしても。別の何かのために、周囲を魅了しようとしているだけだったとしても。守りたいと、そう思ってしまった。ただそれだけが、胸の奥にぽつんと灯った感情の正体だった。
 カミルは、手に持っていた詩集を静かに閉じる。わずかな風がページの端を揺らすが、それに構わず膝の上にそっと置いた。
 詩の言葉は、今の彼にはもう耳に入ってこない。リリアの声が、笑顔が、仕草の一つひとつが頭から離れなかった。
 読みかけの詩集には、古い愛の歌が綴られていた。
 けれど今のカミルにとって、それはただの文字に過ぎない。
 彼が心を向けているのはその詩の中の誰かではなく――リリアという、不可解で、魅力的で、どこか危うさを孕んだ少女だった。

(……どうすれば、あの子の本当の笑顔が見られるんだろう)

 ふと、そんな事を考えてしまった。
 中庭には、誰の声もない。ただ風だけがいつまでも彼の耳元で静かにささやいていた。
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