何もかも全て諦めてしまったラスボス予定の悪役令息は、死に場所を探していた傭兵に居場所を与えてしまった件について

桜塚あお華

文字の大きさ
47 / 51

第47話 リリア視点

しおりを挟む
 崩壊の兆しはすでに至るところに現れていた。
 魔術陣が刻まれた床にはひびが走り、空間は歪み、天井のアーチは軋む音を立ててゆっくり崩れ始めていた。
 時間そのものが震えている。世界は、巻き戻る寸前だった。
 リリアの指先がかすかに震える。光を宿した血管が皮膚の下で脈打ち、もう魔術が身体を蝕んでいることを彼女自身が理解していた。

(……それでも)
「私は……間違ってない……間違えたくない……もう、あんな思い、するくらいなら……!」

 魔術陣の中心――リリアの足元には古の闇術によって開かれた【原初】への扉が広がっていた。世界の根に繋がる時の井戸、そこに魔力を注ぎ込むことでリリアは因果を遡ろうとしていた。
 今度こそやり直せる――アレンも、ライオネルも、カミルも、ちゃんとヒロインである【自分】を愛してくれるはず。
 そして、ハイデンは――今度こそ、ただの【敵】であってくれるはずだった。

「ヒロインが、幸せにならない物語なんて……間違ってるのよ……!」

 自分の身体から吹き出すようにして魔力が流れ出ていく。
 儀式の負荷で神経が焼けつき、喉の奥から血の味が広がる。それでも、止まれない。止まりたくなかった。

「全部、戻すの……私が、最初に戻して、書き換えるの……!」

 唇を噛みしめながらそのように呟いてたその時、空間の震えの中、重なり合う幻影の向こう側、時のざわめきの奥から、一歩、音を立てて踏み込む気配があった。
 そして、光の向こうに一人の影が現れる。

「……はい、でん?」

 そこに居たのは、ハイデン・ヴァルメルシュタイン。

 焼けた空気の中、煤と灰を纏ったその姿は、それでも凛とした光を纏っていた。
 魔力の奔流に逆らうように、揺るぎない足取りでリリアに近づいてくる。
 リリアは目を見開いた。

「……なんで……あなたが、ここに……」

 その問いは、心からの叫びだった。

「あなたは……【ラスボス】のくせに……!」

 震える声で叫ぶ。

「どうして……そんな目で、私を見つめるの……っ」

 敵意も、怒りも、軽蔑もない。
 彼の瞳に宿っていたのは、ただひとつ――慈しみの光だった。

「それは簡単だ……君が、泣いているように見えたからだ」

 ハイデンは、静かに言った。
 その声が、崩壊しかけた彼女の世界に、まるで雨のしずくのように染み渡ってくる。

「僕は……君にとっては【敵】かもしれない。けど、僕は君の事は【敵】だと思っていない」

 彼は歩みを止めず、儀式の中心へと踏み込む。

「僕たちは誰かの都合で動いて、選ばれた台詞を言うような……そんな存在じゃない」
「っ……じゃあ、私は何なの?私は都合のいい主人公だったっていうの?そんなの、あんまりよ……!」

 リリアは叫ぶ。
 言葉にならない叫びだった。悔しさ、苦しさ、憎しみ、愛――そのすべてが、声にならず喉に詰まる。
 だが、ハイデンは首を振った。

「君も、そうじゃないだろう?」
「……え?」
「この世界はゲームじゃない。君は【ヒロイン】じゃない。だって君は生きているのだから、ただのリリアとして、泣いて、笑っているじゃないか」
「……っ」

 その一言が、魔術の回路に揺らぎをもたらした。
 リリアの中で、何かが崩れかけていく。

「でも、私は……私は……幸せになりたかったのよ!ただ、それだけだったのに……!」
「わかってる……僕も、同じだった」

 ハイデンは一歩、また一歩、近づいてくる。

「僕も、消される運命の中で、君が現れた死ぬつもりだった。だけど今はただ生きたいって願ってしまった。誰かの望む破滅じゃなくて、自分のために生きたかった」

 魔術陣の光が激しく揺れる。
 リリアの体から供給される魔力が、感情の動揺と共に制御を失っていた。
「ねぇ、リリア」
「なによ……」
「別にやり直ししなくても、いいじゃないか」
「え……?」
「考えたんだけど、未来は【今】から作っていける。君が壊したいと思ったこの世界でも、まだ――君は笑える場所を見つけられると思うんだけど、どうかな?」

 その声は優しく、けれど確かな意志を宿していた。
 ハイデンが、手を伸ばす。

「リリア……帰ろう。君が、君として生きられる場所へ。僕がその手を取るから」

 リリアは、震える指先で、そっとその手に触れ、手のひらから伝わる体温が、現実をつなぎ止めてくる。
 まるで、長い夢の終わりに差し込む朝の光のようだった。

「……そんな手、差し出さないで。そんなの……反則よ……」

 涙が、ぼた、と落ちた。

「どうして……私、あなたを……敵として、憎むはずだったのに……」
「君がヒロインじゃないとしたら、僕だって敵じゃないよ」

 それは、幻想を壊す一撃、そして同時に――救いの言葉だった。
 リリアの身体から魔術が抜け落ちていき、彼女の魔術刻印が、儀式陣の光とともに崩れていった。
 まるで、二度とその手を放すつもりはないかのように、ハイデンは、彼女の手を離さなかった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

冤罪で追放された王子は最果ての地で美貌の公爵に愛し尽くされる 凍てついた薔薇は恋に溶かされる

尾高志咲/しさ
BL
旧題:凍てついた薔薇は恋に溶かされる 🌟2025年11月アンダルシュノベルズより刊行🌟 ロサーナ王国の病弱な第二王子アルベルトは、突然、無実の罪状を突きつけられて北の果ての離宮に追放された。王子を裏切ったのは幼い頃から大切に想う宮中伯筆頭ヴァンテル公爵だった。兄の王太子が亡くなり、世継ぎの身となってからは日々努力を重ねてきたのに。信頼していたものを全て失くし向かった先で待っていたのは……。 ――どうしてそんなに優しく名を呼ぶのだろう。 お前に裏切られ廃嫡されて最北の離宮に閉じ込められた。 目に映るものは雪と氷と絶望だけ。もう二度と、誰も信じないと誓ったのに。 ただ一人、お前だけが私の心を凍らせ溶かしていく。 執着攻め×不憫受け 美形公爵×病弱王子 不憫展開からの溺愛ハピエン物語。 ◎書籍掲載は、本編と本編後の四季の番外編:春『春の来訪者』です。 四季の番外編:夏以降及び小話は本サイトでお読みいただけます。 なお、※表示のある回はR18描写を含みます。 🌟第10回BL小説大賞にて奨励賞を頂戴しました。応援ありがとうございました。 🌟本作は旧Twitterの「フォロワーをイメージして同人誌のタイトルつける」タグで貴宮あすかさんがくださったタイトル『凍てついた薔薇は恋に溶かされる』から思いついて書いた物語です。ありがとうございました。

【完結】伯爵家当主になりますので、お飾りの婚約者の僕は早く捨てて下さいね?

MEIKO
BL
 【完結】伯爵家次男のマリンは、公爵家嫡男のミシェルの婚約者として一緒に過ごしているが実際はお飾りの存在だ。そんなマリンは池に落ちたショックで前世は日本人の男子で今この世界が小説の中なんだと気付いた。マズい!このままだとミシェルから婚約破棄されて路頭に迷う未来しか見えない!  僕はそこから前世の特技を活かしてお金を貯め、ミシェルに愛する人が現れるその日に備えだす。2年後、万全の備えと新たな朗報を得た僕は、もう婚約破棄してもらっていいんですけど?ってミシェルに告げる。なのに対象外のはずの僕に未練たらたらなのどうして? ※R対象話には『*』マーク付けます。

攻略対象の婚約者でなくても悪役令息であるというのは有効ですか

中屋沙鳥
BL
幼馴染のエリオットと結婚の約束をしていたオメガのアラステアは一抹の不安を感じながらも王都にある王立学院に入学した。そこでエリオットに冷たく突き放されたアラステアは、彼とは関わらず学院生活を送ろうと決意する。入学式で仲良くなった公爵家のローランドやその婚約者のアルフレッド第一王子、その弟のクリスティアン第三王子から自分が悪役令息だと聞かされて……?/見切り発車なのでゆっくり投稿です/オメガバースには独自解釈の視点が入ります/魔力は道具を使うのに必要な程度の設定なので物語には出てきません/設定のゆるさにはお目こぼしをお願いします/2024.11/17完結しました。この後は番外編を投稿したいと考えています。

お前らの目は節穴か?BLゲーム主人公の従者になりました!

MEIKO
BL
 本編完結しています。お直し中。第12回BL大賞奨励賞いただきました。  僕、エリオット・アノーは伯爵家嫡男の身分を隠して公爵家令息のジュリアス・エドモアの従者をしている。事の発端は十歳の時…家族から虐げられていた僕は、我慢の限界で田舎の領地から家を出て来た。もう二度と戻る事はないと己の身分を捨て、心機一転王都へやって来たものの、現実は厳しく死にかける僕。薄汚い格好でフラフラと彷徨っている所を救ってくれたのが完璧貴公子ジュリアスだ。だけど初めて会った時、不思議な感覚を覚える。えっ、このジュリアスって人…会ったことなかったっけ?その瞬間突然閃く!  「ここって…もしかして、BLゲームの世界じゃない?おまけに僕の最愛の推し〜ジュリアス様!」  知らぬ間にBLゲームの中の名も無き登場人物に転生してしまっていた僕は、命の恩人である坊ちゃまを幸せにしようと奔走する。そして大好きなゲームのイベントも近くで楽しんじゃうもんね〜ワックワク!  だけど何で…全然シナリオ通りじゃないんですけど。坊ちゃまってば、僕のこと大好き過ぎない?  ※貴族的表現を使っていますが、別の世界です。ですのでそれにのっとっていない事がありますがご了承下さい。

不遇の第七王子は愛され不慣れで困惑気味です

新川はじめ
BL
 国王とシスターの間に生まれたフィル・ディーンテ。五歳で母を亡くし第七王子として王宮へ迎え入れられたのだが、そこは針の筵だった。唯一優しくしてくれたのは王太子である兄セガールとその友人オーティスで、二人の存在が幼いフィルにとって心の支えだった。  フィルが十八歳になった頃、王宮内で生霊事件が発生。セガールの寝所に夜な夜な現れる生霊を退治するため、彼と容姿のよく似たフィルが囮になることに。指揮を取るのは大魔法師になったオーティスで「生霊が現れたら直ちに捉えます」と言ってたはずなのに何やら様子がおかしい。  生霊はベッドに潜り込んでお触りを始めるし。想い人のオーティスはなぜか黙ってガン見してるし。どうしちゃったの、話が違うじゃん!頼むからしっかりしてくれよぉー!

無能扱いの聖職者は聖女代理に選ばれました

芳一
BL
無能扱いを受けていた聖職者が、聖女代理として瘴気に塗れた地に赴き諦めたものを色々と取り戻していく話。(あらすじ修正あり)***4話に描写のミスがあったので修正させて頂きました(10月11日)

白い結婚を夢見る伯爵令息の、眠れない初夜

西沢きさと
BL
天使と謳われるほど美しく可憐な伯爵令息モーリスは、見た目の印象を裏切らないよう中身のがさつさを隠して生きていた。 だが、その美貌のせいで身の安全が脅かされることも多く、いつしか自分に執着や欲を持たない相手との政略結婚を望むようになっていく。 そんなとき、騎士の仕事一筋と名高い王弟殿下から求婚され──。 ◆ 白い結婚を手に入れたと喜んでいた伯爵令息が、初夜、結婚相手にぺろりと食べられてしまう話です。 氷の騎士と呼ばれている王弟×可憐な容姿に反した性格の伯爵令息。 サブCPの軽い匂わせがあります。 ゆるゆるなーろっぱ設定ですので、細かいところにはあまりつっこまず、気軽に読んでもらえると助かります。 ◆ 2025.9.13 別のところでおまけとして書いていた掌編を追加しました。モーリスの兄視点の短い話です。

義理の家族に虐げられている伯爵令息ですが、気にしてないので平気です。王子にも興味はありません。

竜鳴躍
BL
性格の悪い傲慢な王太子のどこが素敵なのか分かりません。王妃なんて一番めんどくさいポジションだと思います。僕は一応伯爵令息ですが、子どもの頃に両親が亡くなって叔父家族が伯爵家を相続したので、居候のようなものです。 あれこれめんどくさいです。 学校も身づくろいも適当でいいんです。僕は、僕の才能を使いたい人のために使います。 冴えない取り柄もないと思っていた主人公が、実は…。 主人公は虐げる人の知らないところで輝いています。 全てを知って後悔するのは…。 ☆2022年6月29日 BL 1位ありがとうございます!一瞬でも嬉しいです! ☆2,022年7月7日 実は子どもが主人公の話を始めてます。 囚われの親指王子が瀕死の騎士を助けたら、王子さまでした。https://www.alphapolis.co.jp/novel/355043923/237646317

処理中です...