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第49話 アゼル視点
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「……酷い、ものだな」
嘗て王都と呼ばれた街の中心には、いまだ立ち入り禁止の区画が多く、崩れた建物と魔力障壁の残滓がそのまま放置されている。
アゼル・ヴァルメルシュタインは、焼け残った王立魔術院の門前に立ち尽くしていた。この数週間――否、数年の重みを全身で受け止めるように、静かに目を閉じる。
王都は半壊した。だが、最悪の世界崩壊だけは阻止された。
――その代償として、弟はすべてを失った。
王城内では、ハイデンの処遇を巡って議論が続いた。
本来であれば、呪詛と暴走魔力の使用は重罪。処分は――処刑、あるいは永久封印。
だが、ノアが王家内の古い記録を持ち出し、「彼の存在が国の崩壊を防いだ」と説明をつけた。アゼルもまた、正式な報告書に「ハイデンは王都救済に貢献した」と記すことで、処分は撤回された。
(皮肉だな……)
かつて、忌むべき存在として彼を切り離した自分が。今になって、彼の【命綱】を作る側に回るとは。
▼ ▼ ▼
その日、アゼルは実家の離れ――リリアが静養する屋敷の庭で、ハイデンと再会した。
風の通る縁側、日陰の石畳に腰を下ろし、二人の間に長い沈黙が流れる。
庭先には白い花が咲いているのを見つけたハイデンは、静かに笑う。何の手入れもされていないはずなのに、どこかしら律儀に季節を守って咲いている。
「……それでも、生き残ったな」
静寂を割ったのは、アゼルの低い声だ――それは感嘆でも、安堵でもない。事実を述べるための言葉。あるいは、責任から逃れられなかった自分への皮肉だったのかもしれない。
ハイデンは庭の方を見たまま、無表情に答えた。
「ええ。生き残ってしまいました」
その声音には、もはや憎しみも皮肉もなかった。ただ、疲れと静かな諦めの色だけが滲んでいた。
「奇跡だと誰もが言っている。お前が生きて、王都を救った、と」
「奇跡なんて、大げさですね……ただ、運が良かっただけです。運と、傍にいた誰かのおかげで」
小さく笑ったその横顔に、アゼルは微かな違和感を覚える。
かつて自分を睨み、声を荒げた少年の姿でもなく、今の彼には怒りも絶望も、憎しみもなかった。ただ、穏やかな断絶がある。
「ノアが随分と無理を通した。処分は……撤回された」
「聞いてます。ありがたい話ですね。ノアは変わらず、そして相変わらず優しい人だ」
「……それでも、家に戻る気はないのか」
アゼルが問いかけると、ハイデンは今度ははっきりとこちらを見た。
その瞳には、揺るぎのない決意が宿っていた。
「戻りませんよ……僕はもう――【ハイデン】として、生きていくつもりです」
「爆弾が取り除かれた今でもか?」
「ええ。魔力があってもなくても、僕の中にあった傷は……この家の中にありますから」
しんとした空気が流れた。
アゼルは言葉を飲み込む。言い返すべき正論は浮かぶのに、喉から先に出てこない。
ハイデンは続けた。
「兄上。あなたは……僕を恐れていた。
僕が暴走するかもしれないからじゃない。
“自分と同じ血を持つものが、制御できない力を持った”ことが、怖かったんだ」
アゼルの指が膝の上でわずかに動いた。だが否定はしない。できなかった。
「僕は、あなたたちにとって排除すべき存在だった。でも、僕にとっては家族だったんです……長いこと、ずっと。だからずっと待ってた。いつかあなたが、僕を【弟】として呼んでくれる日を」
その言葉のあと、一瞬だけ、ハイデンは言葉を切る。
だが視線をアゼルに向けたまま、続けた。
「……でも、わかってます。結局――母さまたちを殺したのは僕です。言い訳もしないし、事故でも、暴走でも、どれだけ取り繕っても……この手で命を奪ったことに変わりはない。だからこそ、たとえ魔力がなくなっても……僕は、あなたたちにとって【怪物】でしかないんですよ」
アゼルの喉が僅かに動いたが、やはり何も言葉は出てこなかった。
空気が張り詰めたように重くなる。
それでも、ハイデンは微笑んだ。それは悲しみでも怒りでもない、乾いた、終わりの笑みだった。
「だからもう、待ちません――あなたたちが僕を【捨てた】んじゃない。僕が、あなたたちを【捨てる】んですよ、兄さま」
ハイデンは笑いながらそのように答える事に対し、アゼルは、答えられなかった。
どんな言葉を紡いでも、たぶんこの断絶は埋まらない。
「――さようなら、アゼル兄さま」
ハイデンは静かに笑った後、背を向けて別の場所を歩き始める。
アゼルはそんなハイデンの後姿を見つめながら、手を伸ばす事すら出来なかった。
▼ ▼ ▼
その夜、屋敷の奥――離れの部屋では、リリアが静かに眠っていた。
力の代償として、左半身はもう動かない。医者の話では、魔力の通路が完全に塞がり、回復の見込みは限りなく低いという。
だが、不思議と彼女は笑っていた。毎朝、誰とも話さずとも、窓の外の空を見て――何かを、確かめるように。
アゼルは廊下越しにその姿を一度だけ見て、足を止めた。
(彼女もまた、物語を捨てたのだろうか)
それとも――いまなお、どこかで夢を見ているのだろうか。
そんな事を考えながら、アゼルは静かにリリアを見つめる事しか出来なかった。
嘗て王都と呼ばれた街の中心には、いまだ立ち入り禁止の区画が多く、崩れた建物と魔力障壁の残滓がそのまま放置されている。
アゼル・ヴァルメルシュタインは、焼け残った王立魔術院の門前に立ち尽くしていた。この数週間――否、数年の重みを全身で受け止めるように、静かに目を閉じる。
王都は半壊した。だが、最悪の世界崩壊だけは阻止された。
――その代償として、弟はすべてを失った。
王城内では、ハイデンの処遇を巡って議論が続いた。
本来であれば、呪詛と暴走魔力の使用は重罪。処分は――処刑、あるいは永久封印。
だが、ノアが王家内の古い記録を持ち出し、「彼の存在が国の崩壊を防いだ」と説明をつけた。アゼルもまた、正式な報告書に「ハイデンは王都救済に貢献した」と記すことで、処分は撤回された。
(皮肉だな……)
かつて、忌むべき存在として彼を切り離した自分が。今になって、彼の【命綱】を作る側に回るとは。
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その日、アゼルは実家の離れ――リリアが静養する屋敷の庭で、ハイデンと再会した。
風の通る縁側、日陰の石畳に腰を下ろし、二人の間に長い沈黙が流れる。
庭先には白い花が咲いているのを見つけたハイデンは、静かに笑う。何の手入れもされていないはずなのに、どこかしら律儀に季節を守って咲いている。
「……それでも、生き残ったな」
静寂を割ったのは、アゼルの低い声だ――それは感嘆でも、安堵でもない。事実を述べるための言葉。あるいは、責任から逃れられなかった自分への皮肉だったのかもしれない。
ハイデンは庭の方を見たまま、無表情に答えた。
「ええ。生き残ってしまいました」
その声音には、もはや憎しみも皮肉もなかった。ただ、疲れと静かな諦めの色だけが滲んでいた。
「奇跡だと誰もが言っている。お前が生きて、王都を救った、と」
「奇跡なんて、大げさですね……ただ、運が良かっただけです。運と、傍にいた誰かのおかげで」
小さく笑ったその横顔に、アゼルは微かな違和感を覚える。
かつて自分を睨み、声を荒げた少年の姿でもなく、今の彼には怒りも絶望も、憎しみもなかった。ただ、穏やかな断絶がある。
「ノアが随分と無理を通した。処分は……撤回された」
「聞いてます。ありがたい話ですね。ノアは変わらず、そして相変わらず優しい人だ」
「……それでも、家に戻る気はないのか」
アゼルが問いかけると、ハイデンは今度ははっきりとこちらを見た。
その瞳には、揺るぎのない決意が宿っていた。
「戻りませんよ……僕はもう――【ハイデン】として、生きていくつもりです」
「爆弾が取り除かれた今でもか?」
「ええ。魔力があってもなくても、僕の中にあった傷は……この家の中にありますから」
しんとした空気が流れた。
アゼルは言葉を飲み込む。言い返すべき正論は浮かぶのに、喉から先に出てこない。
ハイデンは続けた。
「兄上。あなたは……僕を恐れていた。
僕が暴走するかもしれないからじゃない。
“自分と同じ血を持つものが、制御できない力を持った”ことが、怖かったんだ」
アゼルの指が膝の上でわずかに動いた。だが否定はしない。できなかった。
「僕は、あなたたちにとって排除すべき存在だった。でも、僕にとっては家族だったんです……長いこと、ずっと。だからずっと待ってた。いつかあなたが、僕を【弟】として呼んでくれる日を」
その言葉のあと、一瞬だけ、ハイデンは言葉を切る。
だが視線をアゼルに向けたまま、続けた。
「……でも、わかってます。結局――母さまたちを殺したのは僕です。言い訳もしないし、事故でも、暴走でも、どれだけ取り繕っても……この手で命を奪ったことに変わりはない。だからこそ、たとえ魔力がなくなっても……僕は、あなたたちにとって【怪物】でしかないんですよ」
アゼルの喉が僅かに動いたが、やはり何も言葉は出てこなかった。
空気が張り詰めたように重くなる。
それでも、ハイデンは微笑んだ。それは悲しみでも怒りでもない、乾いた、終わりの笑みだった。
「だからもう、待ちません――あなたたちが僕を【捨てた】んじゃない。僕が、あなたたちを【捨てる】んですよ、兄さま」
ハイデンは笑いながらそのように答える事に対し、アゼルは、答えられなかった。
どんな言葉を紡いでも、たぶんこの断絶は埋まらない。
「――さようなら、アゼル兄さま」
ハイデンは静かに笑った後、背を向けて別の場所を歩き始める。
アゼルはそんなハイデンの後姿を見つめながら、手を伸ばす事すら出来なかった。
▼ ▼ ▼
その夜、屋敷の奥――離れの部屋では、リリアが静かに眠っていた。
力の代償として、左半身はもう動かない。医者の話では、魔力の通路が完全に塞がり、回復の見込みは限りなく低いという。
だが、不思議と彼女は笑っていた。毎朝、誰とも話さずとも、窓の外の空を見て――何かを、確かめるように。
アゼルは廊下越しにその姿を一度だけ見て、足を止めた。
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それとも――いまなお、どこかで夢を見ているのだろうか。
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