霊力ゼロの陰陽師見習い

テラトンパンチ

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修行開始

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 終点に着いた電車は、ひどく素っ気なかった。
 ホームも小さく、人影もまばらだ。

 そこから、さらに歩くこと二時間。
 舗装路はいつの間にか消え、靴の下で草が擦れる音だけが続いた。

 やがて、視界が一気に開ける。

 ――草原。

 遮るもののない、なだらかな地形。
 風に揺れる草の波が、どこまでも続いている。

 「……ここか?」

 玄弥が足を止める。

 九尾は周囲を見回し、小さく頷いた。

 「そうだ。ここが、旧友に繋がる場所」

 玄弥は眉をひそめる。

 「繋がるって……ただの原っぱじゃねぇか。
 離島って話だったろ」

 視線を巡らせても、海の気配はない。
 潮の匂いも、波音もない。

 だが――
 違和感は、確かにあった。

 空気が、妙に張り詰めている。
 一歩踏み出すたび、見えない膜を踏んでいるような感触がある。

 九尾が言う。

 「気づいているな。
 ここは、至る所に結界が張られている」

 玄弥は舌打ちする。

 「……確かに。
 何重にも、重ね貼りしてやがる」

 九尾は淡々と続けた。

 「離島というのは方便だ。
 正確には、隠れるための異界にいる」

 「異界?」

 「現界に重なり、
 それでいて完全には属さない場所。
 出入口だけを、こうして現界に残している」

 九尾は草原の奥を指差す。
 何もないはずの空間が、わずかに揺らいでいた。

 「旧友は、表に出れば必ず狙われる。
 だから世界から“消えたふり”をしている」

 玄弥は短く息を吐く。

 「……随分、用心深い」

 「生き延びた者は、本来皆そうなる」

 九尾の声には、経験が滲んでいた。

 「ここを越えれば、異界だ。
 時間の流れも、霊の濃度も違う」

 玄弥は草原を見据える。

 「……逃げ場じゃねぇな」

 「逃げ場ではない」

 九尾は否定する。

 「ここは、来るべき決戦に向けて鍛えるため用意された閉じられた場所だ」

 風が、強く吹いた。
 草が一斉に伏し、また起き上がる。

 揺らぐ空間の向こうから、
 重く、圧のある気配が滲み出していた。

 九尾が静かに告げる。

 「八岐大蛇は、ここにおる。
 お前が、どこまで落ちたか――
 そして、どこまで這い上がれるかをな」

 玄弥は一歩、前に出た。

 「……上等だ」

 草原の境界が、静かに歪み始める。
 そこから先は、もう“日常”ではなかった。

揺らいでいた空間に、玄弥は足を踏み出した。

 ――瞬間。

 足裏の感触が、消えた。

 落ちた、と思った時にはもう違った。
 上下の感覚が反転し、視界が一度裏返る。

 耳鳴り。
 鼓動だけが、やけに大きく響く。

 次の瞬間、世界が“はまる”。

 ぐ、と空気が形を持ち、身体を押し戻すような圧が全身を包んだ。
 息を吸うのに、意識的な力が必要になる。

 「……っ」

 霊力が、皮膚の内側から引きずり出される感覚。
 濃すぎる霊の流れが、無理やり体内を巡ってくる。

 「ここが……異界、かよ」

 声が、やけに遠く聞こえた。

 景色は草原の延長のようでいて、決定的に違う。
 空は近く、雲は止まり、風だけが逆らわずに流れている。

 九尾が静かに言う。

 「歓迎されているわけではない。
 試されているだけだ」

 その瞬間――

 地面が、鳴った。

 轟音というより、低く腹に響く衝撃。
 遠雷のような振動が、足元から伝わってくる。

 玄弥は反射的に身構えた。

 「……来るぞ」

 次の瞬間、草原の奥が割れた。

 盛り上がる地面。
 隆起する土。
 そして――

 頭。

 一つ、二つ、三つ。
 いや、違う。

 同時に、複数の巨大な頭が、地面を突き破って現れた。

 鱗は鈍く光り、眼は燃えるように鋭い。
 その一つ一つが、並の妖怪など比べ物にならない圧を放っている。

 空気が、重く沈んだ。

 玄弥の膝が、わずかに軋む。

 「……マジかよ」

 九尾が、はっきりと言った。

 「八岐大蛇だ」

 次の瞬間。

 笑い声。

 雷鳴のように、豪快で、遠慮の欠片もない笑いが異界に響いた。

 「ははははははッ!!
 なんだなんだ、久しぶりに面白ぇ匂い連れてきやがって!」

 複数の頭が一斉に動き、玄弥を見下ろす。

 「おいおい、九尾!
 ボロボロじゃねぇか!
 そのガキ、折れかけてんぞ!」

 九尾は肩をすくめる。

 「折れてはいない。
 ――まだな」

 八岐大蛇はさらに大きく笑った。

 「はっ! 言うじゃねぇか!」

 一つの頭が、ぐっと近づく。
 眼だけで、押し潰されそうな圧。

 「なぁ人間。
 ここに来たってことはよ――
 地獄みたいな修行、覚悟してきたってことでいいんだな?」

 玄弥は、視線を逸らさない。

 喉は乾いている。
 身体は悲鳴を上げている。

 それでも、答えは一つだ。

 「……ああ」

 一拍置いて、続ける。

 「強くなる。
 それしか、残ってねぇ」

 八岐大蛇は、満足そうに頷いた。

 「よし来たァ!!
 久々に燃えるじゃねぇか!」

 地面が、再び震える。

 「安心しろ。
 死ななきゃ上出来だ。
 死んだら? ――運がなかったってだけだ!」

 豪快な笑いが、異界を満たす。

 九尾が、ぽつりと言った。

 「……手加減は、期待するな」

 「最初からする気ねぇよ!!」

 八岐大蛇の笑い声と共に、霊の流れが一気に荒れた。

 ――修行が、始まる。

 異界に足を踏み入れてから、どれくらい経ったのか分からない。
 霊の濃度に身体を慣らすだけで、玄弥の神経は擦り切れていた。

 そんな中――

 八岐大蛇は、あっさりと言った。

 「今日は終わりだ」

 玄弥は思わず顔を上げる。

 「……は?」

 「疲れてんだろ。
 初日は休め」

 拍子抜けするほど、あまりに雑な言い方だった。

 九尾がちらりと八岐大蛇を見る。

 「……いいのか」

 「いいも悪いもねぇ」

 八岐大蛇は欠伸をしながら続ける。

 「ここは環境が最悪だ。
 今すぐ何かやらせりゃ、勝手に潰れる」

 玄弥は眉をひそめた。

 「……修行じゃなかったのか」

 「だからだ」

 八岐大蛇はニヤリと笑う。

 「修行は明日からだ」

 その言い方に、嫌な予感が走る。

 「今日は寝ろ。
 食うもんも用意してやる」

 そう言って、巨大な身体が地面に沈んでいく。

 「せいぜい――
 “生きてるうちの最後の安眠”を楽しめ」

 笑い声だけが、異界に残った。



 翌日。

 いや、正確には「翌日」なのかすら分からない。
 空は相変わらず近く、時間の流れは掴めない。

 八岐大蛇は、開口一番こう言った。

 「じゃあ始めるぞ」

 次の瞬間――
 殺気。

 霊の奔流が、刃のように玄弥へ叩きつけられた。

 「――っ!!」

 防御する暇もない。
 地面ごと吹き飛ばされ、身体が宙を舞う。

 骨が軋み、視界が白く弾けた。

 「ぐ……っ!」

 叩き落とされる前に、さらに追撃。

 理不尽。
 説明なし。
 準備も猶予もない。

 「ほらほら!
 死ぬぞ?」

 八岐大蛇は、楽しそうに笑っている。

 そして――
 玄弥の意識は、途切れた。



 次に目を開けた時。

 身体は、元に戻っていた。

 痛みも、傷もない。
 まるで時間を巻き戻したように。

 「……?」

 八岐大蛇が、平然と言う。

 「死んだな」

 「――は?」

 「さっき、ちゃんと死んだ」

 あまりに軽い言い方だった。

 「安心しろ。
 俺が蘇生した」

 九尾が静かに補足する。

 「ここでは可能だ。
 肉体も、魂も――
 壊れきる前ならな」

 玄弥は、息を呑む。

 「……何度も、やる気か」

 八岐大蛇は、即答した。

 「当然だろ」

 「むしろ――
 死ななきゃ意味ねぇ」

 豪快な笑い声。

 「勘違いすんなよ、人間。
 ここは安全な修行場じゃねぇ」

 一つの頭が、ぐっと近づく。

 「ここは――
 死に慣れる場所だ」

 背筋が、冷たくなる。

 八岐大蛇は続ける。

 「それと、もう一つ」

 地面を爪で叩く。

 「時間の流れだ」

 「ここでの一日は――
 現世じゃ、一万分の一だ」

 玄弥は目を見開いた。

 「……一万分の一?」

 「そうだ」

 「お前がここで百日死に続けても、
 向こうじゃ――ほんの数分だ」

 九尾が言葉を継ぐ。

 「だが、経験と記憶は残る。
 精神の摩耗も、な」

 八岐大蛇は満足そうに笑った。

 「つまりだ」

 「短時間で、壊れるか。
 壊れる前に、化けるか」

 どちらかしかない。

 玄弥は、拳を握る。

 逃げ場はない。
 戻る道もない。

 「……上等だ」

 八岐大蛇は、その答えを待っていたかのように吼えた。

 「よし!!
 じゃあ次は――
 三回連続で殺してやる!!」

 霊の圧が、再び異界を満たす。

 修行は、もう“始まっていた”。
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