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冷徹公爵の素顔
しおりを挟むヴィンセント・クラウス――冷徹公爵と呼ばれる彼の本当の姿を知る者は、王都にはほとんどいなかった。常に冷静沈着で、感情を表に出さず、利害関係に基づいて行動する男。それが彼の評判だった。しかし、リリアが少しずつ彼の生活に入り込む中で、彼の隠された一面が少しずつ姿を現そうとしていた。
公爵としての日常
ヴィンセントは、早朝から深夜まで仕事に追われる生活を送っていた。公爵家の領地は広大で、そこには何千もの人々が暮らしている。その統治は一筋縄ではいかず、彼の一日はほとんど執務室での仕事に費やされていた。
「次の件はこれです、公爵様」
秘書のエレオノーラが資料を持ち込むと、ヴィンセントは目を通しながら的確な指示を出す。
「領地北部の灌漑工事について、現場監督を一度ここに呼び寄せて詳しい報告を受けるべきだ。それから、この新しい貿易契約に関しては税率の調整が必要だな……」
淡々と仕事をこなす彼の姿に、エレオノーラは密かに感嘆していた。ヴィンセントの冷徹な判断力と行動力は、領民たちの生活を豊かにしてきた。だが、その一方で彼は人間らしい感情を押し殺し、ただ効率的な統治者として生きているように見える。
「公爵様、少しお休みになられたほうが……」
そう進言するエレオノーラに対し、ヴィンセントは首を横に振るだけだった。
「無駄な時間を使うつもりはない。必要なことが山積みだ」
そう答える彼の声には、どこか寂しさを感じさせるものがあった。エレオノーラはそれ以上何も言わず、部屋を後にした。
リリアの存在
そんなヴィンセントの生活に、小さな変化をもたらしたのがリリアだった。彼女は結婚後も、彼に過剰な干渉をすることなく、自分の役割を全うしようと努めていた。しかし、庭の手入れを始めたことで、彼女の姿が彼の目に入るようになったのは事実だった。
ある日、仕事の合間にヴィンセントは書類を手にしたまま窓辺に立った。ふと庭を見下ろすと、そこにはリリアの姿があった。花に水をやりながら、使用人たちに指示を出している彼女の顔は、汗に濡れていたが、どこか楽しそうに見えた。
「……公爵夫人がここまで動くとは、意外だな」
彼は無意識にそう呟いた。そして、次の瞬間、自分が彼女を見つめていたことに気づき、眉をひそめた。
「くだらないことに気を取られている暇はない」
そう自分に言い聞かせ、再び執務室に戻った。
公爵のもう一つの顔
リリアが庭を整える日々を送る中、ヴィンセントの知られざる一面が徐々に浮かび上がり始めた。
その日、リリアは花の手入れを終えた後、使用人からヴィンセントの書斎へ届け物を頼まれた。貴重な書類が入った箱を持ち、緊張しながら彼の執務室の扉を叩いた。
「入れ」
短い返事が返ってきた。
リリアが部屋に入ると、ヴィンセントは書類に目を通しながら座っていた。
「お届け物です、公爵様」
リリアが箱を机の上に置くと、ヴィンセントは手を止めて顔を上げた。
「わざわざ君が届ける必要はなかったのでは?」
冷たい言葉だったが、その声には疲労の色が滲んでいた。
「いえ、たまたま私が手が空いていましたので。それよりも、公爵様は少しお休みになられたほうがよろしいのではありませんか?」
リリアが恐る恐る言うと、ヴィンセントは眉をひそめた。
「君もエレオノーラのようなことを言うのか」
しかし、その言葉の裏に隠された微かな苦笑を、リリアは見逃さなかった。
「少しだけでも外の空気を吸われるのは、悪くないと思います。実は庭に新しい花が咲いたんです。見にいらっしゃいませんか?」
リリアの提案に、ヴィンセントは一瞬考えるような素振りを見せたが、やがて書類を脇に置き、椅子から立ち上がった。
「そこまで言うなら、少しだけ見に行ってやる」
初めての穏やかな時間
ヴィンセントが庭を訪れたのは、久しぶりのことだった。リリアが案内した花壇には、色とりどりの花が咲き誇り、穏やかな香りが漂っていた。
「この庭が、ここまで変わるとは思わなかった」
ヴィンセントは低い声でそう言いながら、手を伸ばして一輪の花に触れた。
「ありがとうございます。公爵様にそう言っていただけるなんて嬉しいです」
リリアが微笑むと、ヴィンセントは彼女の顔を一瞥した。その笑顔に、彼は一瞬心が揺れるのを感じたが、すぐに目をそらした。
「……この程度で満足するな。庭の管理はこれからが本番だ」
そう告げる彼の声には、少しだけ柔らかさがあった。
その後、ヴィンセントは庭を一周し、短いながらもリリアと会話を交わした。彼にとっては些細な時間だったが、リリアにとっては大きな一歩だった。
変わり始めた二人の関係
それ以来、ヴィンセントはリリアのことを意識するようになった。彼女の存在が、彼の冷徹な日常に小さな暖かさをもたらしつつあった。しかし、彼はそれを認めることを拒み続けていた。
一方でリリアも、彼の言葉の端々に垣間見える優しさに気づき始めていた。冷徹な仮面の奥に隠された彼の素顔――それを知りたいという思いが、リリアの胸に芽生え始めていた。
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