18 / 28
18
しおりを挟む
「公爵様、おはようございます。本日の『デート作戦計画(DOP)』の最終稿です。ご確認ください」
休日の朝。公爵邸のエントランスに現れたイザベルは、優雅なドレス姿でありながら、その手には分厚いバインダーを握りしめていた。
彼女はアリストテレスの顔を見るなり、迷いのない動作で一枚の工程表を差し出す。
「……イザベル。今日は『公務を忘れて楽しむ日』だと約束したはずだが……。この表にある『〇九一五:最大幸福地点への移動(移動効率三〇%アップ)』とは何だ?」
「お言葉ですが公爵様。楽しみ(エンターテインメント)を最大化するためには、移動という非生産的な時間を最小化する必要があります。これはデートにおけるKPI(重要業績評価指標)の設定ですわ」
アリストテレスは苦笑しながら、工程表に目を落とした。
そこには、王都の主要観光地を回るルートが、渋滞予測や太陽の角度まで計算された上で網羅されていた。
「滞在時間十五分、移動十分、食事五分……。君、これはデートというよりは電撃作戦(ブリッツクリーク)ではないか?」
「時間は有限の資源です。さあ、一秒でも遅れれば、午後の『夕陽鑑賞セッション』のベストポジションが確保できなくなりますわよ。……出発です!」
二人はイザベルが特注した「軽量・高出力」の高速馬車に乗り込んだ。
最初の目的地は、領内でも有名な『恋人の滝』。
通常、カップルが数時間をかけて愛を語らう場所だが、イザベルは到着するなり懐中時計をパチンと開いた。
「絶景ですね。マイナスイオンによるリフレッシュ効果を確認しました。……公爵様、記念写真の撮影に十秒、景観の脳内保存に二十秒。計三十秒で次へ向かいます」
「ま、待て、イザベル! せめて滝の音を聞きながら、将来の夢について語り合うくらいの時間は……」
「将来の夢は昨夜の進捗会議で共有済みですわ。……はい、時間です! 次は特産品の市場調査を兼ねた食べ歩きセクションへ移行します!」
イザベルはアリストテレスの手を引き、風のように滝を後にした。
市場では、イザベルの「効率脳」がさらに加速する。
「この屋台の串焼き、提供まで四十五秒。合格です。……公爵様、あちらのジェラート屋は行列ができていますが、列の進み具合から推測するに一人当たりの決済時間は十五秒。並ぶ価値(バリュー)がありますわ」
「……君といると、市場が戦場に見えてくるな。だが、確かに君の選ぶ店はどれも待ち時間が少なく、かつ質が高い」
「当然です。私は事前に全店舗の回転率と顧客満足度をデータ化してありますから。……はい、ジェラート摂取完了。予定より二分早まりました。この余剰時間を活用して、公爵様に『個人的なリサーチ』を敢行いたします」
イザベルは少しだけ歩調を緩め、アリストテレスの顔を上から下まで、スキャンするように見つめた。
「……公爵様。本日のデート開始から三時間。貴方の心拍数と表情筋の弛緩具合を観察する限り、現在の『満足度』は八十パーセント程度と推測されます。……残りの二十パーセントを埋めるために必要な要素は何ですか?」
アリストテレスは立ち止まり、不意に彼女の腰をぐいと引き寄せた。
市場の喧騒の中、二人だけの密着した空間が生まれる。
「……私の満足度を百にする方法は、データには載っていないのか?」
「……ええ。感情という変数は、時に私の計算を狂わせますわ。……お、お言葉ですが、公爵様。公衆の面前での密着は、周囲の歩行動線を妨害し、交通効率を低下させます……」
イザベルの頬が、リンゴのように赤く染まる。
彼女は必死に理屈を並べようとするが、アリストテレスの熱い視線に、言葉がしどろもどろになっていく。
「……イザベル。私は、効率的に名所を回るよりも、こうして君の計画が狂って、顔を赤らめる瞬間を見る方が、ずっとリターンが高いんだ」
「……っ。……その、……非論理的な発言、却下……できませんわね。……ふふ。……わかりました。では、これより十五分間、『無目的(ランダム)な抱擁タイム』をスケジュールにねじ込みます。……文句はありませんわね?」
「ああ。最高のスケジュール変更だ」
二人は周囲の視線も気にせず、しばらくの間、甘い時間を過ごした。
結局、その後の予定は大幅に遅延したが、イザベルは手帳にバツ印を書き込みながらも、どこか満足げな微笑みを浮かべていた。
「……予定外の事態(トラブル)こそが、デートの真髄……。新たな学習データとして記録しておきますわ」
夕暮れ時。二人はようやく、最終目的地の丘に到着した。
そこからは、黄金色に輝く領地が一望できる。
「イザベル。……見てくれ。君が整えたこの領地は、こんなに美しい」
「……ええ。……インフラ整備が進み、物流が安定したことで、夜の街明かりも以前より十パーセント増光していますわ。……ですが、そうですね。……この景色を公爵様と眺めることの価値は、数字では表しきれないようです」
イザベルはアリストテレスの肩にそっと頭を預けた。
彼女の計算機が、初めて「無限大」という答えを導き出した瞬間だった。
一方、その頃。
王国の廃材置き場では、ウィルフレッド王子が「デート……? 何だその非効率な響きは……。今は、一秒でも早くこの重い木材を運び終えて、睡眠という名のメンテナンスに入りたい……」と、完全にイザベル化(悪い意味で)した思考回路で泥にまみれていた。
アリスに至っては、「イザベル様たちがデートなら、アリスもウィルフレッド様とデートしたいですぅ! さあ、この重いバケツを二人で持つ『愛の共同作業』ですよ!」と、絶望的な方向にポジティブな暴走を続けていた。
休日の朝。公爵邸のエントランスに現れたイザベルは、優雅なドレス姿でありながら、その手には分厚いバインダーを握りしめていた。
彼女はアリストテレスの顔を見るなり、迷いのない動作で一枚の工程表を差し出す。
「……イザベル。今日は『公務を忘れて楽しむ日』だと約束したはずだが……。この表にある『〇九一五:最大幸福地点への移動(移動効率三〇%アップ)』とは何だ?」
「お言葉ですが公爵様。楽しみ(エンターテインメント)を最大化するためには、移動という非生産的な時間を最小化する必要があります。これはデートにおけるKPI(重要業績評価指標)の設定ですわ」
アリストテレスは苦笑しながら、工程表に目を落とした。
そこには、王都の主要観光地を回るルートが、渋滞予測や太陽の角度まで計算された上で網羅されていた。
「滞在時間十五分、移動十分、食事五分……。君、これはデートというよりは電撃作戦(ブリッツクリーク)ではないか?」
「時間は有限の資源です。さあ、一秒でも遅れれば、午後の『夕陽鑑賞セッション』のベストポジションが確保できなくなりますわよ。……出発です!」
二人はイザベルが特注した「軽量・高出力」の高速馬車に乗り込んだ。
最初の目的地は、領内でも有名な『恋人の滝』。
通常、カップルが数時間をかけて愛を語らう場所だが、イザベルは到着するなり懐中時計をパチンと開いた。
「絶景ですね。マイナスイオンによるリフレッシュ効果を確認しました。……公爵様、記念写真の撮影に十秒、景観の脳内保存に二十秒。計三十秒で次へ向かいます」
「ま、待て、イザベル! せめて滝の音を聞きながら、将来の夢について語り合うくらいの時間は……」
「将来の夢は昨夜の進捗会議で共有済みですわ。……はい、時間です! 次は特産品の市場調査を兼ねた食べ歩きセクションへ移行します!」
イザベルはアリストテレスの手を引き、風のように滝を後にした。
市場では、イザベルの「効率脳」がさらに加速する。
「この屋台の串焼き、提供まで四十五秒。合格です。……公爵様、あちらのジェラート屋は行列ができていますが、列の進み具合から推測するに一人当たりの決済時間は十五秒。並ぶ価値(バリュー)がありますわ」
「……君といると、市場が戦場に見えてくるな。だが、確かに君の選ぶ店はどれも待ち時間が少なく、かつ質が高い」
「当然です。私は事前に全店舗の回転率と顧客満足度をデータ化してありますから。……はい、ジェラート摂取完了。予定より二分早まりました。この余剰時間を活用して、公爵様に『個人的なリサーチ』を敢行いたします」
イザベルは少しだけ歩調を緩め、アリストテレスの顔を上から下まで、スキャンするように見つめた。
「……公爵様。本日のデート開始から三時間。貴方の心拍数と表情筋の弛緩具合を観察する限り、現在の『満足度』は八十パーセント程度と推測されます。……残りの二十パーセントを埋めるために必要な要素は何ですか?」
アリストテレスは立ち止まり、不意に彼女の腰をぐいと引き寄せた。
市場の喧騒の中、二人だけの密着した空間が生まれる。
「……私の満足度を百にする方法は、データには載っていないのか?」
「……ええ。感情という変数は、時に私の計算を狂わせますわ。……お、お言葉ですが、公爵様。公衆の面前での密着は、周囲の歩行動線を妨害し、交通効率を低下させます……」
イザベルの頬が、リンゴのように赤く染まる。
彼女は必死に理屈を並べようとするが、アリストテレスの熱い視線に、言葉がしどろもどろになっていく。
「……イザベル。私は、効率的に名所を回るよりも、こうして君の計画が狂って、顔を赤らめる瞬間を見る方が、ずっとリターンが高いんだ」
「……っ。……その、……非論理的な発言、却下……できませんわね。……ふふ。……わかりました。では、これより十五分間、『無目的(ランダム)な抱擁タイム』をスケジュールにねじ込みます。……文句はありませんわね?」
「ああ。最高のスケジュール変更だ」
二人は周囲の視線も気にせず、しばらくの間、甘い時間を過ごした。
結局、その後の予定は大幅に遅延したが、イザベルは手帳にバツ印を書き込みながらも、どこか満足げな微笑みを浮かべていた。
「……予定外の事態(トラブル)こそが、デートの真髄……。新たな学習データとして記録しておきますわ」
夕暮れ時。二人はようやく、最終目的地の丘に到着した。
そこからは、黄金色に輝く領地が一望できる。
「イザベル。……見てくれ。君が整えたこの領地は、こんなに美しい」
「……ええ。……インフラ整備が進み、物流が安定したことで、夜の街明かりも以前より十パーセント増光していますわ。……ですが、そうですね。……この景色を公爵様と眺めることの価値は、数字では表しきれないようです」
イザベルはアリストテレスの肩にそっと頭を預けた。
彼女の計算機が、初めて「無限大」という答えを導き出した瞬間だった。
一方、その頃。
王国の廃材置き場では、ウィルフレッド王子が「デート……? 何だその非効率な響きは……。今は、一秒でも早くこの重い木材を運び終えて、睡眠という名のメンテナンスに入りたい……」と、完全にイザベル化(悪い意味で)した思考回路で泥にまみれていた。
アリスに至っては、「イザベル様たちがデートなら、アリスもウィルフレッド様とデートしたいですぅ! さあ、この重いバケツを二人で持つ『愛の共同作業』ですよ!」と、絶望的な方向にポジティブな暴走を続けていた。
0
あなたにおすすめの小説
愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係
紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。
顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。
※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)
裏切りの先にあるもの
マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。
結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。
彼女の離縁とその波紋
豆狸
恋愛
夫にとって魅力的なのは、今も昔も恋人のあの女性なのでしょう。こうして私が悩んでいる間もふたりは楽しく笑い合っているのかと思うと、胸にぽっかりと穴が開いたような気持ちになりました。
※子どもに関するセンシティブな内容があります。
大好きな旦那様はどうやら聖女様のことがお好きなようです
古堂すいう
恋愛
祖父から溺愛され我儘に育った公爵令嬢セレーネは、婚約者である皇子から衆目の中、突如婚約破棄を言い渡される。
皇子の横にはセレーネが嫌う男爵令嬢の姿があった。
他人から冷たい視線を浴びたことなどないセレーネに戸惑うばかり、そんな彼女に所有財産没収の命が下されようとしたその時。
救いの手を差し伸べたのは神官長──エルゲンだった。
セレーネは、エルゲンと婚姻を結んだ当初「穏やかで誰にでも微笑むつまらない人」だという印象をもっていたけれど、共に生活する内に徐々に彼の人柄に惹かれていく。
だけれど彼には想い人が出来てしまったようで──…。
「今度はわたくしが恩を返すべきなんですわ!」
今まで自分のことばかりだったセレーネは、初めて人のために何かしたいと思い立ち、大好きな旦那様のために奮闘するのだが──…。
婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!
みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。
幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、
いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。
そして――年末の舞踏会の夜。
「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」
エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、
王国の均衡は揺らぎ始める。
誇りを捨てず、誠実を貫く娘。
政の闇に挑む父。
陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。
そして――再び立ち上がる若き王女。
――沈黙は逃げではなく、力の証。
公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。
――荘厳で静謐な政略ロマンス。
(本作品は小説家になろうにも掲載中です)
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています
夫に捨てられた私は冷酷公爵と再婚しました
香木陽灯
恋愛
伯爵夫人のマリアーヌは「夜を共に過ごす気にならない」と突然夫に告げられ、わずか五ヶ月で離縁することとなる。
これまで女癖の悪い夫に何度も不倫されても、役立たずと貶されても、文句ひとつ言わず彼を支えてきた。だがその苦労は報われることはなかった。
実家に帰っても父から不当な扱いを受けるマリアーヌ。気分転換に繰り出した街で倒れていた貴族の男性と出会い、彼を助ける。
「離縁したばかり? それは相手の見る目がなかっただけだ。良かったじゃないか。君はもう自由だ」
「自由……」
もう自由なのだとマリアーヌが気づいた矢先、両親と元夫の策略によって再婚を強いられる。相手は婚約者が逃げ出すことで有名な冷酷公爵だった。
ところが冷酷公爵と会ってみると、以前助けた男性だったのだ。
再婚を受け入れたマリアーヌは、公爵と少しずつ仲良くなっていく。
ところが公爵は王命を受け内密に仕事をしているようで……。
一方の元夫は、財政難に陥っていた。
「頼む、助けてくれ! お前は俺に恩があるだろう?」
元夫の悲痛な叫びに、マリアーヌはにっこりと微笑んだ。
「なぜかしら? 貴方を助ける気になりませんの」
※ふんわり設定です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる