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「……驚きましたわ。まさか一国の最後の中核産業(コアビジネス)である繊維工場が、『愛が足りないから油を差さない』という理由で爆発炎上するなんて」
ノアール公国の最新式オフィス。
イザベルは、緊急報告書を読み上げながら、深いため息をついた。
隣で報告を聞いていたアリストテレス公爵も、信じがたいものを見るような目で頭を押さえている。
「……イザベル。アリス嬢は確か、『機械だって疲れるから、今日は皆でお昼寝をしましょう』と指示を出したんだったか?」
「ええ。その結果、高圧蒸気機関の管理者が不在となり、安全弁が作動せず……ドカンですわ。……お言葉ですが公爵様、これはもはや『不注意』ではなく『テロ』に近い損害ですわね」
イザベルが冷徹に損害額を計算していると、執務室の重厚な扉がガタガタと震え始めた。
「イザベル様ぁ! イザベル様ぁ! お助けくださいぃぃ!!」
扉を突き破らんばかりの勢いで入ってきたのは、泥と油にまみれ、見る影もなくなったアリス・バートンだった。
彼女は床を滑るように進み、イザベルのデスクの前で完璧な――しかし角度の悪い――土下座を披露した。
「……アリス様。その土下座、背中の曲線が非効率です。あと五度下げれば、より誠意が伝わる重心移動になりますわよ」
「そんなのどうでもいいですぅ! 工場が……工場が燃えちゃって、みんなに『お前のせいだ』って追いかけられてるんです! 食べ物もないし、ウィルフレッド様は草を食べすぎてお腹を壊してるし、もう限界ですぅ!」
アリスはわんわんと泣きじゃくりながら、イザベルの靴に縋り付こうとした。
しかし、イザベルはスッと椅子を引いてそれを回避する。
「……お助けくださいって、具体的に何を求めているのですか? 資金援助? それとも雇用の創出?」
「何でもいいです! 昔みたいに、アリスの代わりに全部やってください! イザベル様は意地悪だけど、イザベル様が判子を押せば、全部魔法みたいに上手くいってたじゃないですかぁ!」
イザベルは、眼鏡をゆっくりと外し、冷ややかな瞳でアリスを見下ろした。
「……勘違いしないでください。私がやっていたのは『魔法』ではなく、緻密な計算と徹底した進捗管理、そして貴方たちが垂れ流した非効率の掃除です。……それを『意地悪』と呼んで切り捨てたのは、貴方たちではありませんか」
「そ、それは……! あの時は、愛が一番大切だと思ってたんです! でも、お腹が空くと、愛じゃパンは膨らまないって気づいたんですぅ!」
「気づくのが遅すぎます(ディレイ)。……アリス様。今の貴方は、我が国にとって何の価値も生み出さない『不良債権』です。助けるメリット(リターン)がどこにあります?」
イザベルの言葉は、氷の刃のようにアリスの心を切り裂いた。
アリスは絶望に顔を歪め、さらに激しく床に頭を打ち付けた。
「何でもします! 奴隷でも何でもいいです! イザベル様の言う通りに動きますから、どうか……一食分のご飯をくださいぃ!」
イザベルは、しばらく無言でアリスを観察していた。
その脳内では、アリスという「個体」をいかに有効活用するかという、極めて非道で合理的な計算が回っている。
「……いいでしょう。アリス様。貴方の『無知』と『失敗談』。……これを、我が国の新設校における『反面教師としての教育コンテンツ』として買い取りますわ」
「えっ……? コンテンツ……?」
「『いかにして愛だけで国を滅ぼしたか』という特別講義を、一日に十回。受講生の失笑を買うたびに、パンを一切れ支給します。……感情を切り捨て、徹底的に自分の愚かさを切り売りする仕事です。……承認しますか?」
アリスは一瞬躊躇したが、空腹の悲鳴には勝てなかった。
「……やります! やらせてください! アリス、自分のダメなところなら、いくらでも話せますぅ!」
「素晴らしい。自己分析が(悪い意味で)できていますわね。……セバス、彼女を『展示用・失敗サンプルA』として登録し、更生プログラムへ回しなさい」
セバスが手際よくアリスを連行していく。
静かになった執務室で、アリストテレスがポツリと漏らした。
「……イザベル。相変わらず、情けをかけるフリをして、最高に効率的な『処罰』を与えるな。……彼女、一生笑い者にされるぞ」
「……お言葉ですが公爵様。彼女に自活する能力がない以上、これが最も生存率の高い『セーフティネット』ですわ。……それに、失敗から学ばせるのは、将来のリーダー育成における重要な投資ですから」
イザベルは再びペンを取り、何事もなかったかのように書類に向き合った。
「さあ、公爵様。旧王国の残党もこれで完全に片付きました。……残る課題は、我々の結婚式という名の『最大規模の対外アピール』だけですわね」
「……ああ。……君の計画通り、世界で最も『合理的で美しい』式にしよう」
アリストテレスは彼女の手を優しく握った。
そこには、かつての「悪役令嬢」を断罪した者たちの無惨な末路と、効率の果てに掴み取った幸福な沈黙が流れていた。
一方、その頃。
再教育センターの片隅で、ウィルフレッドは「……アリスがいなくなった。……静かだ。……静かすぎて、草を噛む音がよく聞こえる……」と、虚無の境地に達していた。
ノアール公国の最新式オフィス。
イザベルは、緊急報告書を読み上げながら、深いため息をついた。
隣で報告を聞いていたアリストテレス公爵も、信じがたいものを見るような目で頭を押さえている。
「……イザベル。アリス嬢は確か、『機械だって疲れるから、今日は皆でお昼寝をしましょう』と指示を出したんだったか?」
「ええ。その結果、高圧蒸気機関の管理者が不在となり、安全弁が作動せず……ドカンですわ。……お言葉ですが公爵様、これはもはや『不注意』ではなく『テロ』に近い損害ですわね」
イザベルが冷徹に損害額を計算していると、執務室の重厚な扉がガタガタと震え始めた。
「イザベル様ぁ! イザベル様ぁ! お助けくださいぃぃ!!」
扉を突き破らんばかりの勢いで入ってきたのは、泥と油にまみれ、見る影もなくなったアリス・バートンだった。
彼女は床を滑るように進み、イザベルのデスクの前で完璧な――しかし角度の悪い――土下座を披露した。
「……アリス様。その土下座、背中の曲線が非効率です。あと五度下げれば、より誠意が伝わる重心移動になりますわよ」
「そんなのどうでもいいですぅ! 工場が……工場が燃えちゃって、みんなに『お前のせいだ』って追いかけられてるんです! 食べ物もないし、ウィルフレッド様は草を食べすぎてお腹を壊してるし、もう限界ですぅ!」
アリスはわんわんと泣きじゃくりながら、イザベルの靴に縋り付こうとした。
しかし、イザベルはスッと椅子を引いてそれを回避する。
「……お助けくださいって、具体的に何を求めているのですか? 資金援助? それとも雇用の創出?」
「何でもいいです! 昔みたいに、アリスの代わりに全部やってください! イザベル様は意地悪だけど、イザベル様が判子を押せば、全部魔法みたいに上手くいってたじゃないですかぁ!」
イザベルは、眼鏡をゆっくりと外し、冷ややかな瞳でアリスを見下ろした。
「……勘違いしないでください。私がやっていたのは『魔法』ではなく、緻密な計算と徹底した進捗管理、そして貴方たちが垂れ流した非効率の掃除です。……それを『意地悪』と呼んで切り捨てたのは、貴方たちではありませんか」
「そ、それは……! あの時は、愛が一番大切だと思ってたんです! でも、お腹が空くと、愛じゃパンは膨らまないって気づいたんですぅ!」
「気づくのが遅すぎます(ディレイ)。……アリス様。今の貴方は、我が国にとって何の価値も生み出さない『不良債権』です。助けるメリット(リターン)がどこにあります?」
イザベルの言葉は、氷の刃のようにアリスの心を切り裂いた。
アリスは絶望に顔を歪め、さらに激しく床に頭を打ち付けた。
「何でもします! 奴隷でも何でもいいです! イザベル様の言う通りに動きますから、どうか……一食分のご飯をくださいぃ!」
イザベルは、しばらく無言でアリスを観察していた。
その脳内では、アリスという「個体」をいかに有効活用するかという、極めて非道で合理的な計算が回っている。
「……いいでしょう。アリス様。貴方の『無知』と『失敗談』。……これを、我が国の新設校における『反面教師としての教育コンテンツ』として買い取りますわ」
「えっ……? コンテンツ……?」
「『いかにして愛だけで国を滅ぼしたか』という特別講義を、一日に十回。受講生の失笑を買うたびに、パンを一切れ支給します。……感情を切り捨て、徹底的に自分の愚かさを切り売りする仕事です。……承認しますか?」
アリスは一瞬躊躇したが、空腹の悲鳴には勝てなかった。
「……やります! やらせてください! アリス、自分のダメなところなら、いくらでも話せますぅ!」
「素晴らしい。自己分析が(悪い意味で)できていますわね。……セバス、彼女を『展示用・失敗サンプルA』として登録し、更生プログラムへ回しなさい」
セバスが手際よくアリスを連行していく。
静かになった執務室で、アリストテレスがポツリと漏らした。
「……イザベル。相変わらず、情けをかけるフリをして、最高に効率的な『処罰』を与えるな。……彼女、一生笑い者にされるぞ」
「……お言葉ですが公爵様。彼女に自活する能力がない以上、これが最も生存率の高い『セーフティネット』ですわ。……それに、失敗から学ばせるのは、将来のリーダー育成における重要な投資ですから」
イザベルは再びペンを取り、何事もなかったかのように書類に向き合った。
「さあ、公爵様。旧王国の残党もこれで完全に片付きました。……残る課題は、我々の結婚式という名の『最大規模の対外アピール』だけですわね」
「……ああ。……君の計画通り、世界で最も『合理的で美しい』式にしよう」
アリストテレスは彼女の手を優しく握った。
そこには、かつての「悪役令嬢」を断罪した者たちの無惨な末路と、効率の果てに掴み取った幸福な沈黙が流れていた。
一方、その頃。
再教育センターの片隅で、ウィルフレッドは「……アリスがいなくなった。……静かだ。……静かすぎて、草を噛む音がよく聞こえる……」と、虚無の境地に達していた。
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