婚約破棄されたので、とりあえず王太子のことは忘れます!

パリパリかぷちーの

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リーチュとアシュトンの間に、奇妙で穏やかな日常が根付き始めていた頃。
王宮では、全く違う種類の空気が流れていた。

「ジークフリート様! こちらの薔薇のマカロン、わたくし、殿下のために特別に注文いたしましたの。さあ、あーん」

王太子の執務室に隣接された応接室。
王太子ジークフリートは、新しい婚約者候補であるエミリア・ベルンシュタインと、午後のティータイムを過ごしていた。

テーブルの上には、パティシエの技巧が凝らされた、色とりどりのケーキや焼き菓子が、これでもかと並べられている。
そのどれもが、大量の砂糖やクリームで飾り付けられた、見るからに甘そうなものばかりだった。

「ああ、ありがとう、エミリア」

ジークフリートは、こめかみが引きつるのを必死で堪えながら、愛想笑いを浮かべた。
エミリアが差し出すマカロンを、義務のように口に運ぶ。
脳天を突き抜けるような、強烈な甘さ。

(……もう、たくさんだ)

婚約破棄を宣言してから、まだ二週間と経っていない。
しかし、ジークフリートは早くも、この甘すぎる午後に辟易し始めていた。

エミリアは、心からジークフリートに尽くしているつもりなのだろう。
彼女は極度の甘党で、自分が美味しいと思うものを、愛する人にも共有したい。
その気持ちは、わからないでもない。
だが、いかんせん、度が過ぎていた。

「こちらのチョコレートケーキも絶品ですのよ! 殿下がお疲れの時には、甘いものが一番ですわ!」

「……そうか」

短い返事をしながら、ジークフリートは無意識に、別の記憶を辿っていた。
かつての、リーチュとのティータイムの記憶を。

リーチュは、いつも退屈そうな顔で、ジークフリートの向かいに座っていた。
会話も弾まない。笑顔もほとんど見せない。
テーブルの上に並ぶのも、派手なケーキではなく、せいぜい地味なナッツやドライフルーツくらいのものだった。

(あの時間は、実に味気ないものだと思っていた)

だが、とジークフリートは思い返す。
リーチュが用意する「お茶」だけは、違った。

『殿下、最近お痩せになりましたね。少し顔色も優れないようです。本日は、滋養強壮効果のあるハーブをブレンドしておきましたわ』

『今日は重要な会議が続くと伺いました。集中力を高めるお茶です。少し苦いですが、我慢なさいませ』

『……別に。お父様が送ってきたものが余っていただけですわ』

ぶっきらぼうな口調で、感謝を求めてくるわけでもない。
だが、彼女が淹れるお茶は、いつも驚くほど的確に、その時のジークフリートの体調や状況を考慮したものだった。

あれは、彼女なりの気遣いだったのだろうか。
あの無関心に見える瞳は、実は誰よりも自分のことを見ていたのだろうか。

それに引き換え、目の前のエミリアはどうだ。

「ジークフリート様? どうかなさいましたの? やはりお疲れなのですね! さあ、もっと甘いものを召し上がって!」

彼女は、ジークフリートの顔色や体調など、全く見ていない。
ただ、自分の「良かれ」を、一方的に押し付けてくるだけだ。
可憐な笑顔で飾り付けられた、その無神経さに、ジークフリートは言いようのない苛立ちを覚えていた。

「エミリア」

「はい、ジークフリート様!」

「少し、書類仕事が溜まっている。今日はもう下がってくれないか」

ジークフリートが、努めて穏やかな声でそう告げると、エミリアは潤んだ瞳で、悲しそうに彼を見上げた。

「まあ……わたくし、何かご気分を害するようなことをしてしまいましたでしょうか……?」

「いや、そうではない。ただ、少し一人になりたいだけだ」

「……かしこまりましたわ。では、失礼いたします」

しょんぼりと肩を落とし、エミリアは部屋を出ていく。
その姿は、庇護欲をそそる、完璧なヒロインのそれだった。
以前の自分なら、ここで彼女を抱きしめ、慰めの言葉の一つもかけていただろう。
だが、今のジークフリートには、その気力すら湧いてこなかった。

ぱたん、と扉が閉まり、部屋には静寂が訪れる。
一人になったジークフリートは、深く、深く、ため息をついた。

テーブルの上に残された、甘いお菓子の山。
その甘ったるい香りが、今はひどく鼻につく。

(真実の愛を、手に入れたはずではなかったのか……?)

リーチュという傲慢で冷たい女を退け、エミリアという心優しく可憐な少女を選んだ。
自分の判断は、間違っていなかったはずだ。
それなのに、どうしてだろう。
この胸に広がる虚しさと、言いようのない憂鬱は。

ジークフリートは、侍従を呼ぶと、低い声で命じた。

「この菓子を全て片付けろ。それから……何か、さっぱりとしたハーブティーを持ってきてくれ」

彼はまだ、自分が捨ててしまったものの本当の価値に、気づいてはいなかった。
ただ、失われた過去のティータイムが、妙に恋しいと、そう感じているだけだった。
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