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アシュトンの氷のような声と、突き刺すような視線。
その場を支配する絶対的な強者の気配に、王太子であるジークフリートは、思わずたじろいだ。
だが、ここで引き下がるわけにはいかない。
彼は、なけなしの王太子の威厳をかき集め、虚勢を張って言い返した。
「バレフォール団長。君こそ、なぜこのような場所にいる? 王都を離れ、騎士団の任務を放棄していると受け取られても仕方ないのだぞ」
王太子という立場を利用した、詰問。
普通の騎士であれば、この一言で震え上がるだろう。
しかし、アシュトンは眉一つ動かさなかった。
「公務です。先日の魔物の出現を受け、この地域の警備体制を再構築しております。その一環として、重要施設であるクライネルト公爵家の離宮を、私の監督下で定期的に巡回しているに過ぎません」
淀みなく、完璧な返答。
それが、半分以上こじつけの言い訳であることなど、そのポーカーフェイスからは微塵も読み取れない。
「なっ……」
ジークフリートが言葉に詰まる。
その二人の間に流れる、険悪で子供じみた空気に、リーチュは本日最大のため息をついた。
(何なのよ、もう……。せっかくのお茶会が台無しじゃない)
彼女は、面倒くさそうに腕を組むと、割って入った。
「それで、王太子殿下。ご用件は一体何ですの? まさかとは思いますけれど、この前の婚約破棄を『やっぱりやめたい』とでも言いにいらしたのかしら?」
にこりと、リーチュは悪戯っぽく笑う。
「だとしたら、残念ですけれど、謹んでお断りさせていただきますわ。わたくし、今の自由な生活が、ことのほか気に入っておりますので」
「そ、そんなわけがあるか!」
図星をさされたわけでもないのに、ジークフリートは狼狽して声を荒げた。
その反応を見て、リーチュはますますつまらなそうな顔になる。
彼女は、ジークフリートから興味を失ったように、くるりとアシュトンの方を向いた。
「ねえ、アシュトン。殿下のお話は、どうにも長くなる悪い癖があるのよ。せっかくのスコーンが、すっかり冷めてしまうわ」
「……ああ」
「お客様を待たせるのも失礼ですし、先にいただいてしまいましょうか」
「それがいい」
ごく自然な、当たり前のような会話。
二人は、ジークフリートがそこに立っていることなど、まるで意に介していないかのように、揃ってテラスの席に戻ってしまった。
ジークフリートは、その光景を、ただ呆然と見ていることしかできなかった。
自分はこの国の王太子だぞ。
その自分が、完全に無視されている。
あまつさえ、元婚約者は、自分の目の前で、他の男と親しげにお茶会を再開しようとしている。
リーチュが、アシュトンにスコーンの皿を差し出す。
アシュトンが、それを受け取り、一口かじる。
リーチュが、アシュトンに何かを囁き、楽しそうに笑う。
(……笑った?)
ジークフリートは、自分の目を疑った。
あの、何をしてもつまらなそうな顔しかせず、氷の仮面を貼り付けたようだったリーチュが、穏やかに、心から楽しそうに微笑んでいる。
その笑顔は、婚約者だった自分には、ただの一度も見せたことのないものだった。
その瞬間。
ジークフリートの胸の奥で、チリリ、と何かが焦げ付くような、小さな痛みが走った。
今まで感じたことのない、不快で、苦しい感覚。
あれは、俺のいるべき場所だったのではないか。
あの笑顔は、俺に向けられるべきものだったのではないか。
これが、「嫉妬」という感情なのだと、ジークフリートは生まれて初めて、痛みを伴って理解した。
「……ポーションだ」
我に返ったジークフリートが、ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど弱々しく、かすれていた。
「巷で噂になっている、『リーチュ印のポーション』について、話を聞きに来た。あれは、君が作っているのだろう?」
王太子としての、最後の砦のような質問。
しかし、リーチュの関心は、もはやジークフリートにはなかった。
彼女は、アシュトンが美味しそうにスコーンを食べるのを眺めながら、片手間に答える。
「ポーション? ああ、皆さんに差し上げている、アレのことかしら。ええ、わたくしが作りましたけれど。……それが、何か?」
その態度は、まるで道端の石ころについて尋ねられたかのように、無関心そのものだった。
自分という存在が、彼女の中で、道端の石ころと同程度の価値しか持っていない。
その事実を、ジークフリートは残酷なまでに突きつけられた。
自分が捨てたはずの女。
その彼女が、自分の知らない場所で、自分の知らない顔で、幸せそうにしている。
そして、その隣には、自分ではない男がいる。
もやもやとした、行き場のない感情に、ジークフリートは唇を噛みしめることしかできなかった。
その情けない姿を、アシュトンが、冷たい灰色の瞳で見下ろしていた。
その場を支配する絶対的な強者の気配に、王太子であるジークフリートは、思わずたじろいだ。
だが、ここで引き下がるわけにはいかない。
彼は、なけなしの王太子の威厳をかき集め、虚勢を張って言い返した。
「バレフォール団長。君こそ、なぜこのような場所にいる? 王都を離れ、騎士団の任務を放棄していると受け取られても仕方ないのだぞ」
王太子という立場を利用した、詰問。
普通の騎士であれば、この一言で震え上がるだろう。
しかし、アシュトンは眉一つ動かさなかった。
「公務です。先日の魔物の出現を受け、この地域の警備体制を再構築しております。その一環として、重要施設であるクライネルト公爵家の離宮を、私の監督下で定期的に巡回しているに過ぎません」
淀みなく、完璧な返答。
それが、半分以上こじつけの言い訳であることなど、そのポーカーフェイスからは微塵も読み取れない。
「なっ……」
ジークフリートが言葉に詰まる。
その二人の間に流れる、険悪で子供じみた空気に、リーチュは本日最大のため息をついた。
(何なのよ、もう……。せっかくのお茶会が台無しじゃない)
彼女は、面倒くさそうに腕を組むと、割って入った。
「それで、王太子殿下。ご用件は一体何ですの? まさかとは思いますけれど、この前の婚約破棄を『やっぱりやめたい』とでも言いにいらしたのかしら?」
にこりと、リーチュは悪戯っぽく笑う。
「だとしたら、残念ですけれど、謹んでお断りさせていただきますわ。わたくし、今の自由な生活が、ことのほか気に入っておりますので」
「そ、そんなわけがあるか!」
図星をさされたわけでもないのに、ジークフリートは狼狽して声を荒げた。
その反応を見て、リーチュはますますつまらなそうな顔になる。
彼女は、ジークフリートから興味を失ったように、くるりとアシュトンの方を向いた。
「ねえ、アシュトン。殿下のお話は、どうにも長くなる悪い癖があるのよ。せっかくのスコーンが、すっかり冷めてしまうわ」
「……ああ」
「お客様を待たせるのも失礼ですし、先にいただいてしまいましょうか」
「それがいい」
ごく自然な、当たり前のような会話。
二人は、ジークフリートがそこに立っていることなど、まるで意に介していないかのように、揃ってテラスの席に戻ってしまった。
ジークフリートは、その光景を、ただ呆然と見ていることしかできなかった。
自分はこの国の王太子だぞ。
その自分が、完全に無視されている。
あまつさえ、元婚約者は、自分の目の前で、他の男と親しげにお茶会を再開しようとしている。
リーチュが、アシュトンにスコーンの皿を差し出す。
アシュトンが、それを受け取り、一口かじる。
リーチュが、アシュトンに何かを囁き、楽しそうに笑う。
(……笑った?)
ジークフリートは、自分の目を疑った。
あの、何をしてもつまらなそうな顔しかせず、氷の仮面を貼り付けたようだったリーチュが、穏やかに、心から楽しそうに微笑んでいる。
その笑顔は、婚約者だった自分には、ただの一度も見せたことのないものだった。
その瞬間。
ジークフリートの胸の奥で、チリリ、と何かが焦げ付くような、小さな痛みが走った。
今まで感じたことのない、不快で、苦しい感覚。
あれは、俺のいるべき場所だったのではないか。
あの笑顔は、俺に向けられるべきものだったのではないか。
これが、「嫉妬」という感情なのだと、ジークフリートは生まれて初めて、痛みを伴って理解した。
「……ポーションだ」
我に返ったジークフリートが、ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど弱々しく、かすれていた。
「巷で噂になっている、『リーチュ印のポーション』について、話を聞きに来た。あれは、君が作っているのだろう?」
王太子としての、最後の砦のような質問。
しかし、リーチュの関心は、もはやジークフリートにはなかった。
彼女は、アシュトンが美味しそうにスコーンを食べるのを眺めながら、片手間に答える。
「ポーション? ああ、皆さんに差し上げている、アレのことかしら。ええ、わたくしが作りましたけれど。……それが、何か?」
その態度は、まるで道端の石ころについて尋ねられたかのように、無関心そのものだった。
自分という存在が、彼女の中で、道端の石ころと同程度の価値しか持っていない。
その事実を、ジークフリートは残酷なまでに突きつけられた。
自分が捨てたはずの女。
その彼女が、自分の知らない場所で、自分の知らない顔で、幸せそうにしている。
そして、その隣には、自分ではない男がいる。
もやもやとした、行き場のない感情に、ジークフリートは唇を噛みしめることしかできなかった。
その情けない姿を、アシュトンが、冷たい灰色の瞳で見下ろしていた。
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