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「カルル様、息を吸ってください! あと二センチ締めます!」
「……っ、これ以上締めると、肺活量が低下し、脳への酸素供給に支障が出ます」
「ダメです! 旦那様の隣に立つのですから、完璧なラインを作らねばなりません! さあ!」
昨日の今日で、私の専属侍女となった(元・横領疑惑のあった)メイドたちが、鬼の形相でコルセットの紐を引っ張る。
彼女たちは「借金返済のために成果を上げなければ」という危機感と、「あのかっこいいカルル様に尽くしたい」という謎の信仰心により、異常なほど高いモチベーションを発揮していた。
「よし、完璧です! 次はメイク!」
「髪はアップにして、うなじを見せましょう。旦那様の性癖……いえ、お好みですので!」
鏡の前に座らされ、私はされるがままになる。
戦場へ赴く兵士が、鎧を着せられている心境に近い。
一時間後。
鏡の中にいたのは、自分でも見違えるような「公爵令嬢」だった。
深海のようなミッドナイトブルーのドレス。
ふんだんに使われたレースと、散りばめられたダイヤモンドが、動くたびに星空のように煌めく。
眼鏡は外そうとしたが、私が「視力低下は情報収集の妨げになる」と断固拒否したため、ドレスに合わせた銀縁の洒落たものに変更された。
「……悪くありませんね」
私は鏡の中の自分を値踏みする。
「このドレスと宝飾品、総額で金貨八百枚といったところでしょうか。元を取るには、今夜の夜会で最低でも三件の大型商談をまとめる必要があります」
「カルル様、夜会は商談の場ではございません……」
マリアが呆れたように呟くが、私にとっては同じことだ。
投資されたコストに対し、成果で応える。それが私の流儀である。
***
エントランスホールに降りると、正装したアイザック様が待っていた。
漆黒の燕尾服を完璧に着こなし、その銀髪をオールバックに流している。
氷の彫刻のような美貌が、さらに際立っていた。
私が階段を降りていくと、彼はハッと息を呑み、目を見開いた。
「……カルル」
彼は私の手を取ると、熱っぽい瞳で見つめてきた。
「美しい。言葉が出ないほどだ」
「ありがとうございます、閣下。素材(私)が良いのは当然として、職人たちの技術費と材料費が適切に反映された結果です」
「……君は、そういう時くらい黙って照れることはできないのか?」
「照れるという行為に生産性はございませんので」
私が淡々と答えると、彼は苦笑し、そしてエスコートのために腕を差し出した。
「行こうか。今夜の戦場へ」
「はい、ボス」
***
隣国グラン・ノワールの王城は、私の祖国のそれよりも重厚で、どこか武骨な雰囲気があった。
大広間に入場を告げる鐘が鳴る。
「グラン・ノワール公爵、アイザック様。ならびに、そのご婚約者、カルル・フォン・アイゼン様ご入場!」
扉が開いた瞬間、数百人の視線が突き刺さった。
好奇心、羨望、嫉妬、そして明確な敵意。
それらが入り混じったドロドロとした空気が、肌にまとわりつく。
(……分析完了。敵意6割、様子見3割、好意1割未満)
私は瞬時に会場の空気を読み取った。
「氷の公爵」が他国の、しかも「悪役令嬢」と噂される女を連れてきたのだ。
面白くない人間が大半だろう。
私たちは優雅にホールの中央へと進む。
アイザック様の腕に手を添え、私は完璧な営業スマイルを張り付けた。
「すごい視線だな。怖くはないか?」
アイザック様が耳元で囁く。
「いいえ。これだけの注目度があれば、宣伝効果は抜群です。私が閣下の隣にふさわしいと証明すれば、株価はストップ高ですね」
「頼もしいな。……おっと、第一陣のお出ましだ」
彼が視線を向けた先から、扇子を持った三人の令嬢が近づいてきた。
見るからに高そうなドレス。
しかし、その配色はあまりに派手で、まるで毒々しい熱帯魚のようだ。
「ごきげんよう、アイザック様。お久しぶりですわ」
先頭の令嬢が、ねっとりとした声で挨拶をする。
彼女はアイザック様に媚びた視線を送った後、私を頭のてっぺんからつま先まで嘗め回すように見た。
「あら、こちらが噂の? 隣国から『追放』されたという、カルル様ですの?」
「追放」の部分を強調し、取り巻きの二人がクスクスと笑う。
「まあ、随分と……地味な方ですこと。眼鏡なんてかけて、家庭教師かと思いましたわ」
「ふふ、アイゼン家は没落寸前と聞きますし、ドレスもレンタルなのでしょうか?」
典型的なマウンティングだ。
あまりに教科書通りすぎて、あくびが出そうになる。
アイザック様が口を開こうとしたが、私はそれを手で制した。
これは私の戦いだ。
「ごきげんよう、皆様。カルル・フォン・アイゼンです」
私は一歩前に出ると、眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、冷然と言い放った。
「ご指摘ありがとうございます。ですが、訂正させていただきます」
「は?」
「まず、『追放』ではなく『自主退職』です。ブラック企業(実家と王家)を見限り、より条件の良いホワイト企業(公爵家)へ転職いたしました」
「な、なにを……」
「次に、このドレスについて。これはレンタルではなく、公爵家御用達の『マダム・シルク』の特注品です。生地は最高級のシルク、レースは手編みの希少品。お値段は……失礼、皆様のドレス三着分とお伝えすれば分かりやすいでしょうか?」
「なっ……!?」
令嬢たちの顔色が赤くなる。
「そして何より」
私は一歩、彼女たちに詰め寄った。
「私が眼鏡をかけているのは、皆様のような『中身のない虚飾』に惑わされず、物事の本質を見抜くためです」
「きょ、虚飾ですって!?」
「ええ。例えば、そちらの方。首元のネックレスは素晴らしいですが、ドレスの胸元の縫製が甘いですね。急いで仕立てさせた既製品とお見受けします。サイズも合っていない」
「ひっ」
「そちらの方は、香水の量が多すぎます。半径三メートル以内に異臭公害が発生しております。アイザック様は強い香りが苦手ですので、近寄らないのがマナーかと」
「うぐっ」
「そして貴女」
私はリーダー格の令嬢を真っ直ぐに見据えた。
「先ほどからアイザック様に熱視線を送られていますが、彼が身につけているカフスボタンが変わったことにお気づきですか? 私が贈ったものです。彼への愛を語るなら、その程度の変化には気づいていただかないと」
「そ、そんな……」
私はニッコリと、とどめの笑顔を見せた。
「情報収集不足、準備不足、そして状況判断の甘さ。ビジネスパートナーとしても、伴侶としても、アイザック様の隣に立つには『能力不足』かと存じます。出直してきていただけますか?」
論理の弾丸を撃ち込まれ、令嬢たちはパクパクと口を開閉させることしかできない。
周囲で聞き耳を立てていた貴族たちから、「おお……」というどよめきが起きる。
「く、くやしいぃぃ!!」
「行きましょ! こんな可愛げのない女、すぐに捨てられますわ!」
令嬢たちは捨て台詞を吐いて、逃げるように去っていった。
「……ふぅ。秒殺でしたね」
私が息をつくと、隣でアイザック様が肩を震わせていた。
「くくっ……ははは! 最高だ! あんな顔をした彼女たちは初めて見た!」
彼は涙が出るほど笑っている。
「『異臭公害』とは……君の語彙は本当に独特だな」
「事実を申し上げたまでです。鼻が曲がるかと思いました」
「ああ、すっとした。これでもう、誰も近寄ってこないだろう」
アイザック様は満足げに頷き、私の腰に手を回した。
「さあ、邪魔者は消えた。ダンスの時間だ、カルル」
「……ダンスは必須科目でしたが、実技経験が不足しています。足を踏んだら、治療費は請求しないでくださいね」
「構わない。君になら、踏まれるのも悪くない」
「……閣下、時々発言がマゾヒスティックですが、大丈夫ですか?」
私たちはホールの中心へ進み出た。
音楽が始まる。
アイザック様のリードは完璧だった。
私の体が自然と動き、ドレスの裾が優雅に広がる。
「上手いじゃないか」
「閣下の誘導が良いからです。……それにしても」
踊りながら、私は周囲の視線が変わったことに気づいた。
先ほどの侮蔑や嘲笑は消え、今は「あれは何者だ?」「アイザック公爵があんなに楽しそうに笑っている」という、驚愕と興味の視線に変わっている。
「どうやら、第一次防衛戦は勝利のようですね」
「ああ。君のおかげだ」
曲の終わり、アイザック様は私の体をぐっと引き寄せた。
顔が近づく。
吐息がかかる距離。
周囲から「きゃっ」という黄色い声が上がる。
(……これは、業務上の演出ですよね?)
そう自分に言い聞かせながらも、心臓の鼓動が早くなるのを止められなかった。
「カルル。一つ言い忘れていた」
「なんでしょう、請求漏れですか?」
「いや。……そのドレス、とてもよく似合っている。今まで見た誰よりも」
彼の瞳は、真剣そのものだった。
計算も、冗談も含まれていない、純粋な熱量。
私の思考回路が一瞬、エラーを起こして停止する。
「……っ」
顔が熱い。
これは計算外だ。
私は慌てて視線を逸らし、口ごもった。
「……そ、それは、費用対効果が高かったということで、何よりです」
「はは、照れたな?」
「照れてません! 室温が高いだけです!」
私がむきになって否定すると、彼は愛おしそうに目を細めた。
その時だった。
ホールの入り口が再び騒がしくなった。
「隣国より、ジェラール王太子殿下、ならびにミナ男爵令嬢、ご到着!」
そのアナウンスに、私はピタリと動きを止めた。
会場がざわめく。
アイザック様の手が、私の腰を強く抱き寄せた。
「……招かれざる客のお出ましのようだな」
入り口を見ると、やつれた顔のジェラール殿下と、キョロキョロと落ち着きのないミナ嬢が入ってくるところだった。
「なんでここに……」
「俺が招待状を送ったわけではない。おそらく、外交にかこつけて押し掛けてきたんだろう」
アイザック様の声が、絶対零度まで冷え込む。
「カルル。君はどうしたい?」
「私ですか?」
私は眼鏡の位置を直し、獲物を見つけた狩人の目で笑った。
「そうですね。ちょうど、『追加の請求項目』を思い出していたところです。わざわざ支払いに来てくださるなんて、感心な心がけではありませんか」
私の言葉に、アイザック様はニヤリと凶悪な笑みを返した。
「同感だ。では、歓迎してやろうか」
私たちは顔を見合わせ、新たなターゲットに向かって歩き出した。
社交界デビュー戦、第二ラウンドの開始である。
「……っ、これ以上締めると、肺活量が低下し、脳への酸素供給に支障が出ます」
「ダメです! 旦那様の隣に立つのですから、完璧なラインを作らねばなりません! さあ!」
昨日の今日で、私の専属侍女となった(元・横領疑惑のあった)メイドたちが、鬼の形相でコルセットの紐を引っ張る。
彼女たちは「借金返済のために成果を上げなければ」という危機感と、「あのかっこいいカルル様に尽くしたい」という謎の信仰心により、異常なほど高いモチベーションを発揮していた。
「よし、完璧です! 次はメイク!」
「髪はアップにして、うなじを見せましょう。旦那様の性癖……いえ、お好みですので!」
鏡の前に座らされ、私はされるがままになる。
戦場へ赴く兵士が、鎧を着せられている心境に近い。
一時間後。
鏡の中にいたのは、自分でも見違えるような「公爵令嬢」だった。
深海のようなミッドナイトブルーのドレス。
ふんだんに使われたレースと、散りばめられたダイヤモンドが、動くたびに星空のように煌めく。
眼鏡は外そうとしたが、私が「視力低下は情報収集の妨げになる」と断固拒否したため、ドレスに合わせた銀縁の洒落たものに変更された。
「……悪くありませんね」
私は鏡の中の自分を値踏みする。
「このドレスと宝飾品、総額で金貨八百枚といったところでしょうか。元を取るには、今夜の夜会で最低でも三件の大型商談をまとめる必要があります」
「カルル様、夜会は商談の場ではございません……」
マリアが呆れたように呟くが、私にとっては同じことだ。
投資されたコストに対し、成果で応える。それが私の流儀である。
***
エントランスホールに降りると、正装したアイザック様が待っていた。
漆黒の燕尾服を完璧に着こなし、その銀髪をオールバックに流している。
氷の彫刻のような美貌が、さらに際立っていた。
私が階段を降りていくと、彼はハッと息を呑み、目を見開いた。
「……カルル」
彼は私の手を取ると、熱っぽい瞳で見つめてきた。
「美しい。言葉が出ないほどだ」
「ありがとうございます、閣下。素材(私)が良いのは当然として、職人たちの技術費と材料費が適切に反映された結果です」
「……君は、そういう時くらい黙って照れることはできないのか?」
「照れるという行為に生産性はございませんので」
私が淡々と答えると、彼は苦笑し、そしてエスコートのために腕を差し出した。
「行こうか。今夜の戦場へ」
「はい、ボス」
***
隣国グラン・ノワールの王城は、私の祖国のそれよりも重厚で、どこか武骨な雰囲気があった。
大広間に入場を告げる鐘が鳴る。
「グラン・ノワール公爵、アイザック様。ならびに、そのご婚約者、カルル・フォン・アイゼン様ご入場!」
扉が開いた瞬間、数百人の視線が突き刺さった。
好奇心、羨望、嫉妬、そして明確な敵意。
それらが入り混じったドロドロとした空気が、肌にまとわりつく。
(……分析完了。敵意6割、様子見3割、好意1割未満)
私は瞬時に会場の空気を読み取った。
「氷の公爵」が他国の、しかも「悪役令嬢」と噂される女を連れてきたのだ。
面白くない人間が大半だろう。
私たちは優雅にホールの中央へと進む。
アイザック様の腕に手を添え、私は完璧な営業スマイルを張り付けた。
「すごい視線だな。怖くはないか?」
アイザック様が耳元で囁く。
「いいえ。これだけの注目度があれば、宣伝効果は抜群です。私が閣下の隣にふさわしいと証明すれば、株価はストップ高ですね」
「頼もしいな。……おっと、第一陣のお出ましだ」
彼が視線を向けた先から、扇子を持った三人の令嬢が近づいてきた。
見るからに高そうなドレス。
しかし、その配色はあまりに派手で、まるで毒々しい熱帯魚のようだ。
「ごきげんよう、アイザック様。お久しぶりですわ」
先頭の令嬢が、ねっとりとした声で挨拶をする。
彼女はアイザック様に媚びた視線を送った後、私を頭のてっぺんからつま先まで嘗め回すように見た。
「あら、こちらが噂の? 隣国から『追放』されたという、カルル様ですの?」
「追放」の部分を強調し、取り巻きの二人がクスクスと笑う。
「まあ、随分と……地味な方ですこと。眼鏡なんてかけて、家庭教師かと思いましたわ」
「ふふ、アイゼン家は没落寸前と聞きますし、ドレスもレンタルなのでしょうか?」
典型的なマウンティングだ。
あまりに教科書通りすぎて、あくびが出そうになる。
アイザック様が口を開こうとしたが、私はそれを手で制した。
これは私の戦いだ。
「ごきげんよう、皆様。カルル・フォン・アイゼンです」
私は一歩前に出ると、眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、冷然と言い放った。
「ご指摘ありがとうございます。ですが、訂正させていただきます」
「は?」
「まず、『追放』ではなく『自主退職』です。ブラック企業(実家と王家)を見限り、より条件の良いホワイト企業(公爵家)へ転職いたしました」
「な、なにを……」
「次に、このドレスについて。これはレンタルではなく、公爵家御用達の『マダム・シルク』の特注品です。生地は最高級のシルク、レースは手編みの希少品。お値段は……失礼、皆様のドレス三着分とお伝えすれば分かりやすいでしょうか?」
「なっ……!?」
令嬢たちの顔色が赤くなる。
「そして何より」
私は一歩、彼女たちに詰め寄った。
「私が眼鏡をかけているのは、皆様のような『中身のない虚飾』に惑わされず、物事の本質を見抜くためです」
「きょ、虚飾ですって!?」
「ええ。例えば、そちらの方。首元のネックレスは素晴らしいですが、ドレスの胸元の縫製が甘いですね。急いで仕立てさせた既製品とお見受けします。サイズも合っていない」
「ひっ」
「そちらの方は、香水の量が多すぎます。半径三メートル以内に異臭公害が発生しております。アイザック様は強い香りが苦手ですので、近寄らないのがマナーかと」
「うぐっ」
「そして貴女」
私はリーダー格の令嬢を真っ直ぐに見据えた。
「先ほどからアイザック様に熱視線を送られていますが、彼が身につけているカフスボタンが変わったことにお気づきですか? 私が贈ったものです。彼への愛を語るなら、その程度の変化には気づいていただかないと」
「そ、そんな……」
私はニッコリと、とどめの笑顔を見せた。
「情報収集不足、準備不足、そして状況判断の甘さ。ビジネスパートナーとしても、伴侶としても、アイザック様の隣に立つには『能力不足』かと存じます。出直してきていただけますか?」
論理の弾丸を撃ち込まれ、令嬢たちはパクパクと口を開閉させることしかできない。
周囲で聞き耳を立てていた貴族たちから、「おお……」というどよめきが起きる。
「く、くやしいぃぃ!!」
「行きましょ! こんな可愛げのない女、すぐに捨てられますわ!」
令嬢たちは捨て台詞を吐いて、逃げるように去っていった。
「……ふぅ。秒殺でしたね」
私が息をつくと、隣でアイザック様が肩を震わせていた。
「くくっ……ははは! 最高だ! あんな顔をした彼女たちは初めて見た!」
彼は涙が出るほど笑っている。
「『異臭公害』とは……君の語彙は本当に独特だな」
「事実を申し上げたまでです。鼻が曲がるかと思いました」
「ああ、すっとした。これでもう、誰も近寄ってこないだろう」
アイザック様は満足げに頷き、私の腰に手を回した。
「さあ、邪魔者は消えた。ダンスの時間だ、カルル」
「……ダンスは必須科目でしたが、実技経験が不足しています。足を踏んだら、治療費は請求しないでくださいね」
「構わない。君になら、踏まれるのも悪くない」
「……閣下、時々発言がマゾヒスティックですが、大丈夫ですか?」
私たちはホールの中心へ進み出た。
音楽が始まる。
アイザック様のリードは完璧だった。
私の体が自然と動き、ドレスの裾が優雅に広がる。
「上手いじゃないか」
「閣下の誘導が良いからです。……それにしても」
踊りながら、私は周囲の視線が変わったことに気づいた。
先ほどの侮蔑や嘲笑は消え、今は「あれは何者だ?」「アイザック公爵があんなに楽しそうに笑っている」という、驚愕と興味の視線に変わっている。
「どうやら、第一次防衛戦は勝利のようですね」
「ああ。君のおかげだ」
曲の終わり、アイザック様は私の体をぐっと引き寄せた。
顔が近づく。
吐息がかかる距離。
周囲から「きゃっ」という黄色い声が上がる。
(……これは、業務上の演出ですよね?)
そう自分に言い聞かせながらも、心臓の鼓動が早くなるのを止められなかった。
「カルル。一つ言い忘れていた」
「なんでしょう、請求漏れですか?」
「いや。……そのドレス、とてもよく似合っている。今まで見た誰よりも」
彼の瞳は、真剣そのものだった。
計算も、冗談も含まれていない、純粋な熱量。
私の思考回路が一瞬、エラーを起こして停止する。
「……っ」
顔が熱い。
これは計算外だ。
私は慌てて視線を逸らし、口ごもった。
「……そ、それは、費用対効果が高かったということで、何よりです」
「はは、照れたな?」
「照れてません! 室温が高いだけです!」
私がむきになって否定すると、彼は愛おしそうに目を細めた。
その時だった。
ホールの入り口が再び騒がしくなった。
「隣国より、ジェラール王太子殿下、ならびにミナ男爵令嬢、ご到着!」
そのアナウンスに、私はピタリと動きを止めた。
会場がざわめく。
アイザック様の手が、私の腰を強く抱き寄せた。
「……招かれざる客のお出ましのようだな」
入り口を見ると、やつれた顔のジェラール殿下と、キョロキョロと落ち着きのないミナ嬢が入ってくるところだった。
「なんでここに……」
「俺が招待状を送ったわけではない。おそらく、外交にかこつけて押し掛けてきたんだろう」
アイザック様の声が、絶対零度まで冷え込む。
「カルル。君はどうしたい?」
「私ですか?」
私は眼鏡の位置を直し、獲物を見つけた狩人の目で笑った。
「そうですね。ちょうど、『追加の請求項目』を思い出していたところです。わざわざ支払いに来てくださるなんて、感心な心がけではありませんか」
私の言葉に、アイザック様はニヤリと凶悪な笑みを返した。
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