婚約破棄に、承知いたしました。と返したら爆笑されました。

パリパリかぷちーの

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「……ふぅ。間隔、七分」

春の陽気が差し込む執務室。

私は懐中時計を確認し、冷静に呟いた。

「よし。次の陣痛(ウェーブ)が来る前に、この稟議書を処理します」

「カルル!! いい加減にしろ!!」

目の前で、アイザック様が髪を振り乱して叫んだ。

彼は顔面蒼白で、手には大量のタオルとお湯(なぜか執務室に持ち込んだ)を抱えている。

「陣痛が始まってから二時間だぞ!? なぜまだ机に向かっているんだ!」

「まだ余裕があります。初産の平均所要時間は十二時間から十五時間。統計的に見て、今すぐ分娩台に乗っても『待ち時間(アイドルタイム)』が発生するだけです」

私はペンのインクを補充しながら答えた。

「その時間を無駄にするくらいなら、来期の予算案を確定させておきたいのです。産休に入ったら、しばらく手が離せませんから」

「予算なんてどうでもいい! 頼むからベッドへ行ってくれ! 俺の心臓が持たない!」

「閣下の心肺機能は正常です。深呼吸をしてください」

ズキン。

下腹部に、重い痛みが走る。

私は眉をひそめ、ペンの動きを一瞬止めた。

「……来ましたね。痛みレベル4。持続時間四十秒と予測」

「ひぃぃ! カルル! 痛いか!? どこだ、腰か!? 背中か!?」

アイザック様がパニックになり、私の周りをオロオロと回る。

「触らないでください。集中力が切れます。……ふぅー、ふぅー」

私はラマーズ法を完璧なリズムで実践しながら、痛みを逃した。

そして痛みが引くと同時に、再び猛烈な勢いでペンを走らせた。

「よし、承認。次!」

「……狂っている」

控えていた執事長が、震える声で呟いた。

「陣痛の合間に仕事をする妊婦など、公爵家の歴史上初めてです……」

***

三時間後。

私はようやく、アイザック様に抱きかかえられて(強制連行されて)分娩室へと移動した。

「やっとか……やっと産む気になってくれたか……」

アイザック様が安堵の涙を流している。

「誤解しないでください。痛みの間隔が三分を切ったので、『納品(出産)』のフェーズに移行したと判断しただけです」

分娩室には、国一番の医師団と、ベテランの助産師たちが待機していた。

彼らもまた、緊張で顔を強張らせている。

「お、奥様! ご安心ください! 我々が全力を尽くします!」

「ええ、期待しています。……ところで」

私は分娩台に横たわりながら、サイドテーブルを指差した。

「なぜ、あそこに記録係がいるのですか?」

「え? あ、あれは出産の経過を記録するための……」

「効率が悪いです。私が直接指示を出しますので、リアルタイムで書き留めてください」

「は……はい?」

「さあ、始めましょう。プロジェクト名『アル、爆誕』。最終工程、スタートです!」

「「「イ、イエスマム!!」」」

分娩室が、野戦病院のような熱気に包まれた。

「うぐっ……! き、来ます!」

波が来る。

今度は今までとは桁違いの痛みだ。

腰が砕けそうだ。

「カルル! 頑張れ! 手を握っているぞ!」

アイザック様が私の手を握り潰さんばかりに握る。

「い、痛いです閣下! 握力が強すぎます! 骨折のリスクが!」

「す、すまん! でも、俺もどうしていいか……!」

「呼吸です! ヒッ、ヒッ、フー! 合わせて!」

「ヒッ、ヒッ、フー! ……あ、俺が過呼吸に……」

アイザック様が白目を剥いて倒れそうになる。

「しっかりしなさい! 父親でしょう!」

私は激痛の中で夫を叱咤した。

「助産師長! 今のいきみ方はどうでしたか! 効率的でしたか!?」

「は、はい! 完璧です! あと少し、あと少しで頭が見えます!」

「了解! 次の波で決めます! ……エネルギー充填率120%!」

私は歯を食いしばった。

痛い。

確かに痛い。

だが、これは「無駄な痛み」ではない。

新しい命を、この世という市場(マーケット)に送り出すための、必要なコストだ。

ならば、支払ってやろうじゃないか。

「……うぉぉぉぉッ!! 出てこい、アルぅぅぅ!!」

私は腹筋に全ての力を込めた。

「オギャァァァァァァァ――ッ!!」

元気な産声が、部屋中に響き渡った。

「う、生まれたぁぁぁ!!」

医師たちが歓声を上げる。

「元気な男の子です! おめでとうございます!」

助産師が、布に包まれた小さな赤ん坊を私に見せてくれた。

しわくちゃで、真っ赤な顔。

でも、その手足は力強く動いている。

「……はぁ、はぁ」

私は荒い息を整え、眼鏡(汗でずれていた)を指で直した。

「……時刻は?」

「午後三時四十五分です!」

「予定より十五分早巻(アーリー)ですね。……優秀です」

私は震える手を伸ばし、我が子に触れた。

温かい。

そして、驚くほど小さい。

「……スペック確認。指は五本ずつ、欠損なし。肌の色艶良好。発声量(泣き声)も十分。……品質チェック、合格(パス)です」

「……カルル」

隣でへたり込んでいたアイザック様が、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。

「……ありがとう。本当に、ありがとう」

彼は赤ん坊を見て、それから私を見て、言葉にならない声で泣いた。

「……よくやったな、俺の自慢の妻だ」

「……当然です。私が手掛けたプロジェクトで、失敗などあり得ません」

私は強がってみせたが、目から勝手に涙が溢れてきた。

これが、達成感というものだろうか。

今まで数々の商談をまとめ、巨額の利益を上げてきたけれど。

この小さな命の重さには、どんな金貨の山も敵わない。

「……こんにちは、アルフレッド。ママですよ」

私が呼びかけると、アルは泣き止み、うっすらと目を開けた気がした。

その瞳は、アイザック様と同じ、透き通るようなアイスブルーだった。

「……目元はパパ似ですね。将来、女の子を泣かせそうです」

「君に似て、賢い子になるさ」

アイザック様が、私とアルをまとめて抱きしめた。

分娩室は、温かい拍手に包まれた。

こうして、私たちの長男、アルフレッド・グラン・ノワールが誕生した。

それは、私の人生で最も痛く、最も非効率で、そして最も素晴らしい「仕事」だった。

……そして。

この感動的な出産の翌日から、公爵邸は「育児」という名の新たな戦場へと変貌することになる。

「おむつ交換! タイムアタック開始! 目標二十秒!」

「ミルクの温度管理! 誤差0.5度以内!」

「閣下! 高い高いは揺さぶられっ子症候群のリスクがあります! 中止!」

私の管理能力が、今度は息子へと向けられるのだった。
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