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「……目標時間オーバー。二十三秒です」
公爵邸の子供部屋(ナーサリールーム)。
私はストップウォッチを止め、冷ややかな視線を向けた。
「アイザック様。おむつ交換の手順が最適化されていません。テープを剥がす角度、新しいおむつを差し込む速度、そしてお尻を拭く手際。すべてに無駄な動き(ロス)があります」
「……厳しいな、教官」
アイザック様が額の汗を拭いながら、おむつを交換し終えたアルを抱き上げた。
「これでも練習したんだぞ? 最初は一分かかった」
「プロ(私)の基準値は十五秒です。夜間のオペレーションではスピードが命。もたつけばアルが覚醒し、再入眠までのコスト(時間)が増大します」
「……はい、精進します」
世界最強の公爵様が、小さくなっている。
生後三ヶ月を迎えたアルフレッド、通称アル。
彼の育児は、私の想定を遥かに超える「激務」だった。
***
「オギャァァァァァ!!」
深夜二時。
屋敷中にアルの泣き声が響き渡る。
「……発生しました。緊急アラートです」
私は瞬時に覚醒し、ベッドから飛び起きた。
隣のアイザック様も、軍人のような速度で跳ね起きる。
「状況報告!」
「室温正常。湿度正常。おむつ、ドライ。ミルク、最終摂取から二時間経過。……空腹ではありません」
私はアルを抱き上げ、背中をトントンと叩く。
しかし、泣き止まない。
「原因不明(エラーコード不明)。……黄昏泣き、あるいは単なる機嫌の悪さかと」
「抱っこか? 俺が代わろう」
アイザック様がアルを受け取り、慣れない手つきで揺らす。
「よーしよし、アル。パパだぞー。高い高いするかー?」
「却下! 食後の上下運動は嘔吐のリスクがあります!」
「じゃあ、歌か? 子守唄を……」
アイザック様が朗々としたバリトンボイスで歌い出す。
『眠れ~眠れ~我が子よ~♪ 父の剣は敵を断つ~♪』
「選曲ミスです! 軍歌を歌ってどうしますか! 興奮して目が覚めます!」
「じゃあどうすればいいんだ!」
「オギャァァァァァ!!」
二人の大人が、たった一人の赤ん坊に翻弄されている。
私はこめかみを押さえた。
「……認めましょう。育児とは、論理(ロジック)が通用しない『不確定要素の塊』です」
「今更気づいたのか……」
その時だった。
チャリン。
サイドテーブルに置いてあった小銭入れが、私の肘に当たって落ちた。
硬貨が床に散らばり、金属音が響く。
ピタリ。
アルの泣き声が止まった。
「……え?」
アルは涙を溜めた目で、床のコインをじっと見つめている。
そして。
「……きゃっきゃ!」
笑った。
「……嘘だろ」
アイザック様が戦慄している。
「こいつ、金(カネ)の音で泣き止んだぞ……」
「……遺伝子(DNA)の力、恐るべしですね」
私は複雑な気持ちで、散らばったコインを拾い集めた。
「アル。お金は大事ですが、情緒も育ててくださいね」
*
翌日。
この噂を聞きつけた「スポンサー」たちが、大量の貢物を持ってやってきた。
「おお! アルよ! ワシの可愛い孫(又甥)よ!」
国王陛下が、巨大な包みを抱えて乱入してきた。
「じいじがプレゼントを持ってきたぞ! 特注の『黄金の積み木』だ!」
「陛下。質量がありすぎて凶器です。没収」
「なら、この『王位継承権付きの命名書』は!?」
「重すぎます。インサイダー取引の温床になります。没収」
続いて、カトリーヌ夫人(以前パーティーで撃退した叔母)もおずおずとやってきた。
「あ、あの……これ、手編みの靴下なんだけど……」
「……素材は?」
「最高級のオーガニックコットンよ! ……あ、あんたがうるさいから、ちゃんと選んだわよ!」
「……合格です。採用」
私が受け取ると、夫人は「ふんっ!」と顔を背けたが、少し嬉しそうだった。
どうやらアルの可愛さは、かつての敵対勢力すらも懐柔(無力化)してしまったらしい。
アルはベビーベッドの中で、大人たちに囲まれてご機嫌だ。
特に、アイザック様が新しく買ってきたおもちゃ――「そろばん(幼児用)」を振ると、嬉しそうに手を叩く。
「……将来は財務大臣か、あるいは大商人か」
アイザック様が目を細める。
「俺としては騎士になってほしかったが、君に似たなら仕方ないな」
「いえ、騎士団の会計監査役という道もあります。武力と計算力を兼ね備えたハイブリッド人材に育てましょう」
「……敵に回したくないな」
*
そんな賑やかな午後。
執事長が、一枚の手紙をお盆に乗せて持ってきた。
「旦那様、奥様。……お客様です」
「またか? 今日はもう面会時間は終了だが」
「いえ、それが……」
執事長は困惑した顔で告げた。
「『元』お父上様……アイゼン公爵閣下が、門の前で土下座をされておりまして」
「……は?」
私とアイザック様は顔を見合わせた。
アイゼン公爵。
私を勘当し、家から追い出した実の父だ。
ジェラール元王太子の失脚に伴い、アイゼン家も連座して没落したと聞いていたが。
「……どうしますか、カルル。追い返すか? それとも水でもぶっかけるか?」
アイザック様が冷たく言い放つ。
私は少し考えて、眼鏡を直した。
「……いいえ。会います」
「会うのか?」
「はい。孫の顔を見せるわけではありません。……最後の『精算』をするためです」
私は立ち上がった。
かつて、私を無能だと罵り、切り捨てた父。
今の私を見て、彼は何を言うのだろうか。
「通してください。ただし、時間は十分。延長料金は高くつくと伝えて」
「承知いたしました」
物語は、いよいよ本当の「家族」の完結へ。
過去との決別、そして未来への投資。
私が提示する、最後の「請求書」とは。
公爵邸の子供部屋(ナーサリールーム)。
私はストップウォッチを止め、冷ややかな視線を向けた。
「アイザック様。おむつ交換の手順が最適化されていません。テープを剥がす角度、新しいおむつを差し込む速度、そしてお尻を拭く手際。すべてに無駄な動き(ロス)があります」
「……厳しいな、教官」
アイザック様が額の汗を拭いながら、おむつを交換し終えたアルを抱き上げた。
「これでも練習したんだぞ? 最初は一分かかった」
「プロ(私)の基準値は十五秒です。夜間のオペレーションではスピードが命。もたつけばアルが覚醒し、再入眠までのコスト(時間)が増大します」
「……はい、精進します」
世界最強の公爵様が、小さくなっている。
生後三ヶ月を迎えたアルフレッド、通称アル。
彼の育児は、私の想定を遥かに超える「激務」だった。
***
「オギャァァァァァ!!」
深夜二時。
屋敷中にアルの泣き声が響き渡る。
「……発生しました。緊急アラートです」
私は瞬時に覚醒し、ベッドから飛び起きた。
隣のアイザック様も、軍人のような速度で跳ね起きる。
「状況報告!」
「室温正常。湿度正常。おむつ、ドライ。ミルク、最終摂取から二時間経過。……空腹ではありません」
私はアルを抱き上げ、背中をトントンと叩く。
しかし、泣き止まない。
「原因不明(エラーコード不明)。……黄昏泣き、あるいは単なる機嫌の悪さかと」
「抱っこか? 俺が代わろう」
アイザック様がアルを受け取り、慣れない手つきで揺らす。
「よーしよし、アル。パパだぞー。高い高いするかー?」
「却下! 食後の上下運動は嘔吐のリスクがあります!」
「じゃあ、歌か? 子守唄を……」
アイザック様が朗々としたバリトンボイスで歌い出す。
『眠れ~眠れ~我が子よ~♪ 父の剣は敵を断つ~♪』
「選曲ミスです! 軍歌を歌ってどうしますか! 興奮して目が覚めます!」
「じゃあどうすればいいんだ!」
「オギャァァァァァ!!」
二人の大人が、たった一人の赤ん坊に翻弄されている。
私はこめかみを押さえた。
「……認めましょう。育児とは、論理(ロジック)が通用しない『不確定要素の塊』です」
「今更気づいたのか……」
その時だった。
チャリン。
サイドテーブルに置いてあった小銭入れが、私の肘に当たって落ちた。
硬貨が床に散らばり、金属音が響く。
ピタリ。
アルの泣き声が止まった。
「……え?」
アルは涙を溜めた目で、床のコインをじっと見つめている。
そして。
「……きゃっきゃ!」
笑った。
「……嘘だろ」
アイザック様が戦慄している。
「こいつ、金(カネ)の音で泣き止んだぞ……」
「……遺伝子(DNA)の力、恐るべしですね」
私は複雑な気持ちで、散らばったコインを拾い集めた。
「アル。お金は大事ですが、情緒も育ててくださいね」
*
翌日。
この噂を聞きつけた「スポンサー」たちが、大量の貢物を持ってやってきた。
「おお! アルよ! ワシの可愛い孫(又甥)よ!」
国王陛下が、巨大な包みを抱えて乱入してきた。
「じいじがプレゼントを持ってきたぞ! 特注の『黄金の積み木』だ!」
「陛下。質量がありすぎて凶器です。没収」
「なら、この『王位継承権付きの命名書』は!?」
「重すぎます。インサイダー取引の温床になります。没収」
続いて、カトリーヌ夫人(以前パーティーで撃退した叔母)もおずおずとやってきた。
「あ、あの……これ、手編みの靴下なんだけど……」
「……素材は?」
「最高級のオーガニックコットンよ! ……あ、あんたがうるさいから、ちゃんと選んだわよ!」
「……合格です。採用」
私が受け取ると、夫人は「ふんっ!」と顔を背けたが、少し嬉しそうだった。
どうやらアルの可愛さは、かつての敵対勢力すらも懐柔(無力化)してしまったらしい。
アルはベビーベッドの中で、大人たちに囲まれてご機嫌だ。
特に、アイザック様が新しく買ってきたおもちゃ――「そろばん(幼児用)」を振ると、嬉しそうに手を叩く。
「……将来は財務大臣か、あるいは大商人か」
アイザック様が目を細める。
「俺としては騎士になってほしかったが、君に似たなら仕方ないな」
「いえ、騎士団の会計監査役という道もあります。武力と計算力を兼ね備えたハイブリッド人材に育てましょう」
「……敵に回したくないな」
*
そんな賑やかな午後。
執事長が、一枚の手紙をお盆に乗せて持ってきた。
「旦那様、奥様。……お客様です」
「またか? 今日はもう面会時間は終了だが」
「いえ、それが……」
執事長は困惑した顔で告げた。
「『元』お父上様……アイゼン公爵閣下が、門の前で土下座をされておりまして」
「……は?」
私とアイザック様は顔を見合わせた。
アイゼン公爵。
私を勘当し、家から追い出した実の父だ。
ジェラール元王太子の失脚に伴い、アイゼン家も連座して没落したと聞いていたが。
「……どうしますか、カルル。追い返すか? それとも水でもぶっかけるか?」
アイザック様が冷たく言い放つ。
私は少し考えて、眼鏡を直した。
「……いいえ。会います」
「会うのか?」
「はい。孫の顔を見せるわけではありません。……最後の『精算』をするためです」
私は立ち上がった。
かつて、私を無能だと罵り、切り捨てた父。
今の私を見て、彼は何を言うのだろうか。
「通してください。ただし、時間は十分。延長料金は高くつくと伝えて」
「承知いたしました」
物語は、いよいよ本当の「家族」の完結へ。
過去との決別、そして未来への投資。
私が提示する、最後の「請求書」とは。
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