婚約破棄に、承知いたしました。と返したら爆笑されました。

パリパリかぷちーの

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「おお、カルル! 我が娘よ! 会いたかったぞ!」

応接室に通されたアイゼン公爵――かつての父は、見る影もなくやつれていた。

自慢だった髭は伸び放題、服は生地こそ上質だが擦り切れており、何よりその背中は小さく丸まっていた。

彼は私を見るなり、両手を広げて駆け寄ろうとした。

「ストップ」

私は指示棒(なぜか持参した)で、父の接近を阻止した。

「ソーシャルディスタンスを確保してください。衛生管理上、外部からの飛沫感染はリスクとなります」

「な、なんだその態度は! 久しぶりに再会した父に対して!」

「久しぶり、ではありません。私が家を出てから一年。……貴方の経営手腕なら、半年で破綻すると予測していましたが、意外と持ちましたね」

私は懐中時計を見た。

「面会時間は残り九分です。要件を簡潔にどうぞ」

父は言葉に詰まり、それからガクリと膝をついた。

「……助けてくれ、カルル」

涙ながらの訴えが始まった。

ジェラール元王太子の失脚後、それに連座する形でアイゼン家には重い税と賠償金が課せられたこと。

領地の経営が立ち行かなくなり、屋敷や美術品を売り払ったこと。

妻(私の母)と義妹は、実家に戻ったり、金持ちの商人の愛人になったりと、散り散りになったこと。

「今や、ワシには何もない……。今日のパンにも困る生活だ……」

父は床に額を擦り付けた。

「頼む! 少しでいい、金を恵んでくれ! お前は隣国の公爵夫人だろう? 孫も生まれたと聞いた! ワシは祖父だぞ! 孫に会わせてくれ!」

典型的な「お涙頂戴」の展開だ。

普通の娘なら、ここで心が揺れるのかもしれない。

「……そうですか」

私は淡々と相槌を打ち、隣に座るアイザック様に視線を送った。

彼は腕を組み、冷徹な彫像のように父を見下ろしている。

「カルル。どうする? 小銭なら恵んでやってもいいが」

「いいえ。無駄な投資です」

私は手元のファイルを広げた。

「お父様。貴方は『家族の情』を担保に融資(援助)を求めていますが、貴方の信用スコアはゼロです」

「な、なんだと……」

「私はかつて、貴方の家のために身を粉にして働きました。王太子の尻拭いをし、家の赤字を埋め、貴方の浪費をカバーしました。……その労働対価は、本来なら金貨数万枚に相当します」

私は電卓を叩いた。

「私が家を出た時、貴方は『勘当だ、二度と戻るな』と言いましたね? あの時点で、親子という契約は『合意解約』されたのです」

「そ、それは言葉のアヤで……!」

「ビジネスの世界に『アヤ』など通用しません。契約は絶対です」

私は父を見据えた。

「今の貴方に資金を投入しても、どうせまた浪費して溶かすだけです。回収見込みのない事業に投資することを、経済学では『埋没費用(サンクコスト)』と呼びます。……私は、これ以上貴方にリソースを割きません」

「鬼か! お前は血も涙もないのか!」

父が逆上して立ち上がろうとした。

「ワシの育て方が悪かった! こんな守銭奴に育てた覚えはない!」

ジャキッ。

金属音が響いた。

アイザック様が、腰の剣をわずかに抜いた音だ。

「……控えろ」

低い、地獄の底から響くような声。

「私の妻を侮辱するなら、その舌、不要とみなすが?」

「ひぃっ……!」

父が腰を抜かして震え上がる。

「カルルは守銭奴ではない。誰よりも価値を知る女だ。……貴様のような無価値な男に、使う金も情もないというだけだ」

アイザック様の殺気に当てられ、父は完全に沈黙した。

私はため息をつき、一枚の紙を父の前に置いた。

「……金は渡しません。ですが、これだけは差し上げます」

「こ、これは……?」

父が震える手で紙を拾い上げる。

それは、小切手ではなかった。

『中高年からの再就職ガイド ~貴族のプライドを捨てて生きるためのマニュアル~』

「私が昨晩作成した、貴方のための『再建計画書』です」

「は……?」

「貴方にはまだ、健康な体と、多少の読み書き算盤の能力があります。貴族としてのプライドさえ捨てれば、商会の帳簿係や、家庭教師として働くことは可能です」

私は諭すように言った。

「誰かに寄生するのではなく、自分の手で稼ぎ、自分の足で立ってください。それが、かつて『公爵』だった者が最後に見せるべき矜持ではありませんか?」

父は呆然とマニュアルを見つめていた。

そこには、おすすめの求人リストや、面接での受け答え、質素なアパートの借り方まで、事細かに記されていた。

「……あ、あぁ……」

父の目から、本当の涙がこぼれ落ちた。

それは悔し涙か、それとも情けなさ故か。

「……面会時間は終了です。お引き取りを」

私は執事長に目配せをした。

「お父様。……お元気で」

「カルル……すまなかった……」

父は小さく呟き、肩を落として部屋を出て行った。

その背中は、入ってきた時よりもさらに小さく見えたが、どこか憑き物が落ちたようにも見えた。



父が去った後の応接室。

私はファイルを閉じ、ふぅと息を吐いた。

「……甘いな、カルル」

アイザック様が苦笑する。

「マニュアルを作るのに、徹夜したんだろう?」

「……二時間だけです。それに、あれは再就職コンサルティングとして、彼が初任給を得た際に請求書を送る予定ですので」

「嘘をつけ。請求する気なんてないくせに」

アイザック様は私の肩を引き寄せ、頭を撫でた。

「君はやっぱり、優しいよ」

「……優しさではありません。元・親会社への、最後の手切れ金です」

私は強がったが、アイザック様の胸に顔を埋めると、少しだけ安堵した自分がいた。

これで、本当に終わった。

過去とのしがらみは、すべて清算された。

「……さあ、戻りましょう」

私は顔を上げた。

「アルが待っています。おむつ交換の時間です」

「ああ。……俺たちの、本当の家族の元へ」

私たちは手を取り合い、子供部屋へと向かった。

そこには、未来への希望(と、予測不能な育児トラブル)が待っている。

廊下を歩きながら、私はふと思った。

私の人生の収支決算。

過去は赤字続きだったかもしれない。

でも、今の私は、世界で一番の「黒字(幸せ)」を抱えている。

「……アイザック様」

「ん?」

「私、今、とても利益率の高い人生を送っています」

「ははは。それは何よりだ」

公爵邸の窓から差し込む春の光が、私たちを温かく包み込んでいた。

――と、綺麗にまとめようとした瞬間。

「オギャァァァァァァ!!」

子供部屋から、アルの爆音が響いた。

「あ、泣いた!」

「ミルクか!? おむつか!?」

「いえ、マリアの報告によると『そろばんを落として壊した』そうです!」

「将来有望すぎるだろ!」

私たちは顔を見合わせて笑い、そして走り出した。

これが、私の愛すべき日常。

元・悪役令嬢カルル・グラン・ノワールの、忙しくも幸せな毎日は、これからも続いていく。
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