婚約破棄で、おひとり様になれるはずだったのに!?

パリパリかぷちーの

文字の大きさ
11 / 28

11

しおりを挟む
嵐の翌朝は、快晴だった。

だが、ルシアンの気分はどんよりとした曇り空だった。

理由は二つある。

一つは、昨晩の「毛布事件」による強烈な気まずさと、変な体勢で寝たことによる首の痛み。

もう一つは、早朝に届いた一通の手紙だ。

「……はぁ」

ルシアンは食卓で、ため息をついた。

目の前には、焼きたてのフレンチトースト(キース作)があるが、フォークが進まない。

向かいの席では、キースがいつも通り無表情でコーヒーを飲んでいるが、彼もまた時折首をコキッと鳴らしている。

「……痛むか」

「ええ、少し。誰かさんが万力のような力で抱きしめて離さなかったせいです」

「……不可抗力だ」

キースは視線を逸らした。

「……それより、その紙切れはなんだ」

彼はテーブルの上に放置された、分厚い封筒を顎でしゃくった。

ヴァイオレット公爵家の家紋が入った、最高級の羊皮紙。

今朝一番で、早馬の使者が置いていったものだ。

「お父様からです。嫌な予感しかしません」

ルシアンはペーパーナイフを手に取った。

「もしかしたら『勘当だ』とか『二度と敷居を跨ぐな』とか、そういう嬉しい知らせかもしれませんけれど」

「……開けろ」

促されて、封を切る。

中から出てきたのは、父の達筆な文字が踊る手紙だった。

ルシアンは読み上げ始めた。

『親愛なる娘、ルシアンへ。

 森での生活はいかがかな。
 先日の週刊誌の記事を読んだぞ。「沈黙の令嬢」としての評判、誠に素晴らしい。
 お前がこれほどまでに計算高い……いや、聡明な娘だとは知らなかった。
 アラン殿下を無言で撃退したという武勇伝は、今や社交界の伝説だ』

「……誤解が加速しています」

ルシアンは頭を抱えた。

「続きを読みます。

 さて、本題だ。
 お前の株が急上昇したおかげで、我が家に釣書(つりがき)が殺到している』

「……釣書?」

キースの眉がピクリと動く。

「……結婚の申し込み書類のことです」

ルシアンの声が震え始めた。

『その中でも、特に条件の良い相手を選んでおいた。
 隣国の富豪、ガルシア伯爵だ。
 彼は「静かな女性が好みだ。飾り物のように座っていてくれればいい」と申しておる。
 お前の希望とも合致するだろう?』

「合致しません!!」

ルシアンはバンッ! と机を叩いた。

「飾り物扱いなんてごめんです! 私は私の意志で静かにしていたいのであって、誰かのコレクションになりたいわけではありません!」

『よって、直ちに帰還せよ。
 来週の夜会で、お見合いの席を設けてある。
 拒否権はない。これは公爵家としての命令であり、お前の将来を案じての慈悲だ。
 もし戻らぬ場合は、強制的に連れ戻す部隊を派遣する。

 父より』

読み終えたルシアンの手から、手紙が滑り落ちた。

「……終わった」

彼女は椅子に崩れ落ちた。

「強制連行……。お父様は本気だわ。あの人は、一度言い出したら絶対に曲げない」

せっかく手に入れた静寂。

キースとの奇妙で穏やかな同盟生活。

それら全てが、一通の手紙によって粉砕されようとしていた。

「……嫌だ」

ルシアンの目から、涙が滲む。

アランに婚約破棄された時は一ミリも泣かなかったのに、この楽園を失うことへの恐怖は、彼女を容易に泣かせた。

「戻りたくない……。あんなうるさい場所へ……。見知らぬ男の飾り物になるなんて……」

「…………」

ガシャッ。

音がして、ルシアンは顔を上げた。

キースが、手に持っていたコーヒーカップを握りつぶしていた。

陶器の破片が散らばり、黒い液体がテーブルに広がる。

しかし、彼は熱さなど感じていないようだった。

「……キ、キースさん?」

「……ガルシア伯爵」

地獄の底から響くような声だった。

「……知っている。好色な豚だ。……すでに三人の妻を過労で亡くしている」

「えっ……」

「……飾り物にするんじゃない。……籠の鳥にして、精神を壊すのが趣味の男だ」

キースの瞳に、明確な殺意が宿っていた。

普段の静けさは消え失せ、嵐のような激情が渦巻いている。

「……行くな」

彼は立ち上がり、ルシアンの肩を掴んだ。

「……絶対に行かせない」

「で、でも……お父様は兵を送ると言っています。ここが見つかっている以上、逃げ場はありません」

ルシアンは絶望に首を振った。

「私は公爵令嬢です。家の方針には逆らえない……。貴方に迷惑をかけるわけにもいきません」

「……迷惑?」

キースが鼻で笑った。

「……俺を誰だと思っている」

「え? えっと、無口な隣人さん……あるいは、ストーカー気質の庭師?」

「……違う」

キースはルシアンの涙を、親指で乱暴に、しかし優しく拭った。

「……同盟者だ」

「…………」

「……お前の静寂を乱す者は、たとえ国王だろうと、実の父親だろうと、俺が排除する」

「排除って、貴方……戦争でも起こす気ですか?」

キースは答えなかった。

ただ、燃えるような瞳でルシアンを見つめ、低い声で囁いた。

「……待っていろ。……すぐに片付ける」

「え?」

「……今日はもう寝ろ。……泣き腫らした顔は、ブサイクだ」

「余計なお世話です!」

いつもの軽口。

しかし、キースはそれ以上語らなかった。

彼はルシアンを半ば強引に二階の寝室へ押し込み、「休め」と短く命じて扉を閉めた。

ルシアンは疲労と絶望で、言われるがままベッドに横になった。

(どうすればいいの……。逃げる? でもどこへ?)

思考がまとまらない。

窓の外では、また風が吹き始めていた。

いつの間にか、ルシアンは浅い眠りに落ちていた。

***

翌朝。

ルシアンが目覚めると、屋敷の中は奇妙なほど静かだった。

「……キースさん?」

呼びかけても、返事はない。

いつもなら聞こえるはずの、朝食を作る音も、薪を割る音もしない。

「まさか……」

ルシアンは一階へ駆け下りた。

リビングには誰もいなかった。

キッチンも、庭も、屋根の上も。

彼の姿はどこにもなかった。

「嘘……」

ルシアンは立ち尽くした。

昨日の今日で、私を見捨てて出て行ったの?

面倒になって逃げた?

(……ううん、違う。あの人はそんな人じゃない)

ふと、テーブルの上に一枚の紙切れが置かれているのに気づいた。

ルシアンは震える手でそれを手に取る。

そこには、彼の無骨な文字で、たった一行だけ書かれていた。

『ゴミ処理に行ってくる。すぐに戻る』

「…………は?」

ゴミ処理?

この森にゴミ収集車など来ない。

だとすれば、彼が言う『ゴミ』とは――。

「まさか……」

ルシアンの顔から血の気が引いた。

『お前の静寂を乱す者は、俺が排除する』

昨日の言葉が蘇る。

ゴミ=ガルシア伯爵? あるいは、お父様?

「……馬鹿な人!」

ルシアンは紙切れを握りしめた。

彼は一人で、公爵家と、そして伯爵家という巨大な権力に喧嘩を売りに行ったのだ。

たった一人で。

ただの「隣人」として。

「……どうしよう」

ルシアンの胸に、かつてない焦燥感が広がる。

自分のために、誰かが傷つくかもしれない。

あの無口で不器用な彼が、私のために罪を犯すかもしれない。

(……黙って見ていろってこと?)

静かに待っていれば、彼は全てを片付けて戻ってくるだろう。

そしてまた、平和な二人きりの生活が始まる。

それが一番楽だ。

それが一番『静寂』に近い。

だが。

「……じっとなんて、していられないわよ!」

ルシアンは叫んだ。

彼女はクローゼットを開け、一番動きやすい服(キースが作業用に貸してくれたズボン)に着替えた。

「待ってなさい、キース。……私が『止めて』あげるわ」

ルシアンは玄関を飛び出した。

向かうは王都。

悪役令嬢ルシアン・ヴァイオレット。

彼女が初めて、自分の意志で、静寂を捨てて「騒音」の中へと飛び込む時が来たのだ。

愛する(まだ認めていないが)隣人を、救うために。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄される前に、帰らせていただきます!

パリパリかぷちーの
恋愛
ある日、マリス王国の侯爵令嬢クロナは、王子が男爵令嬢リリィと密会し、自分を「可愛げのない女」と罵り、卒業パーティーで「婚約破棄」を言い渡そうと画策している現場を目撃してしまう。 普通なら嘆き悲しむ場面だが、クロナの反応は違った。

王太子殿下から婚約破棄されたのは冷たい私のせいですか?

ねーさん
恋愛
 公爵令嬢であるアリシアは王太子殿下と婚約してから十年、王太子妃教育に勤しんで来た。  なのに王太子殿下は男爵令嬢とイチャイチャ…諫めるアリシアを悪者扱い。「アリシア様は殿下に冷たい」なんて男爵令嬢に言われ、結果、婚約は破棄。    王太子妃になるため自由な時間もなく頑張って来たのに、私は駒じゃありません!

謹んで、婚約破棄をお受けいたします。

パリパリかぷちーの
恋愛
きつい目つきと素直でない性格から『悪役令嬢』と噂される公爵令嬢マーブル。彼女は、王太子ジュリアンの婚約者であったが、王子の新たな恋人である男爵令嬢クララの策略により、夜会の場で大勢の貴族たちの前で婚約を破棄されてしまう。

婚約破棄、承りました!悪役令嬢は面倒なので認めます。

パリパリかぷちーの
恋愛
「ミイーシヤ! 貴様との婚約を破棄する!」 王城の夜会で、バカ王子アレクセイから婚約破棄を突きつけられた公爵令嬢ミイーシヤ。 周囲は彼女が泣き崩れると思ったが――彼女は「承知いたしました(ガッツポーズ)」と即答!

私が生きていたことは秘密にしてください

月山 歩
恋愛
メイベルは婚約者と妹によって、崖に突き落とされ、公爵家の領地に倒れていた。 見つけてくれた彼は一見優しそうだが、行方不明のまま隠れて生きて行こうとする私に驚くような提案をする。 「少年の世話係になってくれ。けれど人に話したら消す。」

私が嫌いなら婚約破棄したらどうなんですか?

きららののん
恋愛
優しきおっとりでマイペースな令嬢は、太陽のように熱い王太子の側にいることを幸せに思っていた。 しかし、悪役令嬢に刃のような言葉を浴びせられ、自信の無くした令嬢は……

10回目の婚約破棄。もう飽きたので、今回は断罪される前に自分で自分を追放します。二度と探さないでください(フリではありません)

放浪人
恋愛
「もう、疲れました。貴方の顔も見たくありません」 公爵令嬢リーゼロッテは、婚約者である王太子アレクセイに処刑される人生を9回繰り返してきた。 迎えた10回目の人生。もう努力も愛想笑いも無駄だと悟った彼女は、断罪イベントの一ヶ月前に自ら姿を消すことを決意する。 王城の宝物庫から慰謝料(国宝)を頂き、書き置きを残して国外逃亡! 目指せ、安眠と自由のスローライフ! ――のはずだったのだが。 「『顔も見たくない』だと? つまり、直視できないほど私が好きだという照れ隠しか!」 「『探さないで』? 地の果てまで追いかけて抱きしめてほしいというフリだな!」 実は1周目からリーゼロッテを溺愛していた(が、コミュ障すぎて伝わっていなかった)アレクセイ王子は、彼女の拒絶を「愛の試練(かくれんぼ)」と超ポジティブに誤解! 国家権力と軍隊、そしてS級ダンジョンすら踏破するチート能力を総動員して、全力で追いかけてきた!? 物理で逃げる最強令嬢VS愛が重すぎる勘違い王子。 聖女もドラゴンも帝国も巻き込んだ、史上最大規模の「国境なき痴話喧嘩」が今、始まる! ※表紙はNano Bananaで作成しています

断罪中、味方が多すぎて王子が孤立している件について

夏乃みのり
恋愛
バーンスタイン伯爵家の令嬢ラミリアは、魔力も剣の才能もない「ごく普通」の地味な女性。 ある日のパーティーで、婚約者であるジェラルド第二王子から「地味で無能で嫉妬深い」と罵られ、身に覚えのない罪で婚約破棄を突きつけられてしまう。 しかし、断罪劇は予想外の展開へ。

処理中です...