婚約破棄で、おひとり様になれるはずだったのに!?

パリパリかぷちーの

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「……決めたわ」

ルシアンは、朝のコーヒー(キースが豆から挽いた最高級品)を飲み干すと、重々しく宣言した。

「……何をだ」

向かいの席で新聞を読んでいたキースが顔を上げる。

「地上は、もう限界です」

ルシアンは窓の外を指差した。

そこには、先日の『ルシアン、キレる』事件以降、心を入れ替えた(というより恐怖で洗脳された)信者たちが、音もなく供物を置いていく姿があった。

彼らは忍者のように忍び寄り、野菜や果物、時には高価な宝石などを玄関前に置き、音もなく合掌して去っていく。

物理的な騒音は消えた。

だが、気配がうるさい。

「……視線を感じるのです。彼らの『聖女様、今日も静かに呼吸していて尊い……』という重たい念が、壁を透過して私の肌を刺すのです」

「……敏感すぎるな」

「私は繊細なのです。このままでは、ストレスでハゲます」

ルシアンはテーブルに両手をつき、身を乗り出した。

「そこで、新プロジェクトを始動します。名付けて『地下帝国引きこもり計画』」

「……帝国?」

「比喩です。要するに、地下室が欲しいのです。地上の音が一切届かず、誰の視線も感じない、完全なる防音シェルターが」

ルシアンは夢を語るように目を輝かせた。

「窓はいりません。日光は魔石ランプで代用します。壁は鉛とコンクリート……いえ、魔力遮断素材で三重に。入り口は一つだけ。そこを厳重にロックすれば、私は真の『孤独』を手に入れられるのです!」

キースは新聞を置き、少し考え込んだ。

「……地下か」

「無理ですか? 貴方なら、穴を掘るくらい朝飯前でしょう?」

「……穴を掘るだけならな。……だが、居住スペースとなると、換気、排水、崩落防止……工数は多い」

「そこをなんとか! 一生のお願いです!」

ルシアンが拝むように頼むと、キースはふっと笑った。

「……一生のお願い、何回目だ?」

「今月はまだ三回目です」

「……分かった」

キースは立ち上がり、床をドンと踏んだ。

「……やるなら、徹底的にやる。……俺の『本気』を見せてやる」

「え? あ、はい。……ほどほどにお願いしますね?」

ルシアンは一抹の不安を覚えたが、キースの頼もしい背中を見て、まあ大丈夫だろうと判断した。

それが間違いだった。

***

翌日。

ルシアンが目覚めると、地響きがしていた。

ズズズズズ……。

「……地震?」

慌てて外に出ると、庭が『工事現場』と化していた。

それも、ただの工事ではない。

数十人、いや百人近い黒装束の集団が、蟻のように群がり、無言で作業を進めているのだ。

彼らの動きは統率されており、機械のように正確だ。

土魔法で地面を掘削する班。

掘り出した土を転移魔法で消去する班。

結界魔法で地盤を固める班。

「……なんなの、これ」

ルシアンが呆然としていると、現場監督らしき黒装束(頭に『現場』と書かれた鉢巻をしている)が駆け寄ってきた。

「おはようございます、聖女様! 閣下の命により、地下要塞……いえ、地下室の建設を進めております!」

「要塞って言いかけましたよね?」

「気のせいです! 現在、進捗率は40%! 本日の夕方には竣工予定です!」

「夕方!? 地下室って一日で作れるものなのですか!?」

「我ら『影の騎士団』工兵部隊にかかれば、城の一つや二つ、一夜城です!」

国家の最高戦力を土木工事に使うな。

ルシアンが頭を抱えていると、地下からキースが上がってきた。

彼は作業着(つなぎ)を着て、顔に煤をつけていたが、その表情は生き生きとしていた。

「……ルシアン、起きたか」

「キースさん、これ、規模が大きすぎませんか? 私は六畳一間の書斎があればいいのですが」

「……甘い」

キースは図面(青写真)を広げた。

「……地下は湿気が溜まる。……広大な空間と、循環システムが必要だ」

「それは分かりますけど」

「……それに、緊急時の避難経路、食料備蓄庫、武器庫、トレーニングルーム、大浴場、サウナ……必要経費だ」

「サウナ!? いりませんよそんなもの!」

「……俺がいる」

「貴方の欲望じゃないですか!」

「……整うぞ」

キースは聞く耳を持たなかった。

「……完成を楽しみにしていろ。……地上の騒音など、過去のものにしてやる」

彼は再び地下深くへと潜っていった。

***

そして、夕方。

「……完成した」

キースが煤だらけの顔で、白い歯を見せて笑った。

「……案内する」

ルシアンは恐る恐る、新設された地下への階段を降りた。

重厚な鉄の扉(銀行の金庫のようなハンドルがついている)が開かれる。

プシュウゥゥ……。

気密性の高さを物語る音がして、中へと足を踏み入れる。

「…………」

ルシアンは言葉を失った。

そこは、地下室ではなかった。

『地下宮殿』だった。

壁は大理石(のように見える魔法素材)で覆われ、天井は高く、魔石のシャンデリアが昼間のように明るく輝いている。

床にはふかふかの絨毯。

壁一面の本棚には、古今東西の書物がびっしりと並べられている(いつの間に集めたのか)。

「……なにこれ」

「……リビングだ」

キースがスイッチを押すと、壁の一部が開き、巨大なスクリーン(映写魔道具)が現れた。

「……映画も見れる」

「……すごい」

奥へ進むと、最新鋭のキッチン、キングサイズのベッドがある寝室、そして……。

「……ここが、大浴場だ」

湯気が立ち込める、檜(ひのき)風呂。

打たせ湯、ジャグジー、そして宣言通りのサウナ。

「……旅館?」

「……地下水脈を掘り当てた。……天然温泉だ」

「奇跡を起こしすぎです」

そして最後に、キースが案内したのは、一番奥にある小さな部屋だった。

「……ここが、本命だ」

扉を開ける。

そこは、四方を吸音材で囲まれた、真っ白な部屋だった。

机と椅子が一つずつ。

それ以外は何もない。

「……『完全無音室』だ」

キースが扉を閉めた。

瞬間。

シーン……。

音が、消えた。

自分の呼吸音すら吸収されるような、絶対的な静寂。

心臓の鼓動だけが、体内で響く。

「……ッ」

ルシアンは震えた。

これだ。

これこそが、私が求めていたものだ。

地上のざわめきも、鳥の声も、信者の念も、アランの幻聴も、何も聞こえない。

世界から切り離された、完璧な孤独。

「……どうだ」

キースの声だけが、クリアに聞こえた。

ルシアンはゆっくりと振り返り、キースを見上げた。

感動で目が潤んでいる。

「……最高です」

「……そうか」

「貴方は天才です。変態的なまでのこだわりを持つ天才です」

「……褒め言葉として受け取る」

ルシアンは部屋の中央にある椅子に座った。

座り心地も最高だ。

「ここでなら……小説が書けそうです」

「……小説?」

「ええ。実は、書いてみたいと思っていたのです。……静かな、誰にも邪魔されない物語を」

「……いい趣味だ」

キースは壁に寄りかかり、腕を組んだ。

「……執筆中は、俺も空気になろう」

「ええ、お願いします。……でも」

ルシアンは悪戯っぽく微笑んだ。

「コーヒーのおかわりは、持ってきてくださいね。……貴方の淹れたコーヒーがないと、筆が進みそうにありませんから」

「……承知した」

キースは嬉しそうに頷き、静かに部屋を出て行った。

扉が閉まる。

再び、完全なる静寂が訪れる。

だが、ルシアンは気づいた。

以前のような「寂しい静寂」ではない。

ドアの向こうに、あの人がいる。

いつでも美味しいコーヒーを持ってきてくれる、頼もしい『騒音(ノイズ)キャンセラー』がいる。

その安心感が、この静寂をより心地よいものにしているのだと。

「……さて、始めましょうか」

ルシアンは羽ペンを手に取った。

地下帝国での、優雅な執筆ライフの始まりである。

……はずだった。

だが、この完璧すぎる地下施設が、またしても予想外のトラブルを招くことになる。

「完全防音」ということは、「中で何を叫んでも外には聞こえない」ということ。

その特性を利用しようと、とんでもない『客』が迷い込んでくることを、二人はまだ知らなかった。
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