婚約破棄で、おひとり様になれるはずだったのに!?

パリパリかぷちーの

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「ブラボーーーッ!! アンコール! アンコールゥゥゥ!!」

聖女メロディの絶叫が、瓦礫の山となった庭に響き渡る。

彼女は完全にトランス状態に入っていた。

ルシアンの渾身の怒号を『魂の叫び』と解釈し、勝手にファンクラブ第一号を名乗り始めている。

「素晴らしいわ、ルシアン様! その喉、そのパッション! 貴女なら私の『聖歌隊』……いえ、『デスボイス合唱団』のセンターを張れるわ!」

横では、ミナも目をキラキラさせていた。

「さすがはお姉様ですわ! 悪魔をも凌駕する肺活量! これならアラン様の寝言(大音量)にも対抗できますわね!」

「さあ、契約書にサインを! 全国ツアーが待っていますわよ! まずは王都ドームで五万人の鼓膜を破壊しましょう!」

ギャーギャー。わめく。騒ぐ。

倒れているルシアンを気遣う様子など微塵もない。

キースは、腕の中のルシアンを見下ろした。

彼女は気絶している。

顔色は青白く、呼吸は浅い。

そして、その喉元は赤く腫れているようだった。

普段、声を荒らげない彼女が、限界を超えて叫んだ代償だ。

(……痛かったろう)

キースの手が、震えた。

(……苦しかったろう)

ルシアンはただ、静かに暮らしたかっただけだ。

本を読み、紅茶を飲み、くだらない話をして笑う。

そんなささやかな願いすら、この『騒音』たちは踏みにじるのか。

「……おい」

キースが呟いた。

だが、興奮したメロディたちの耳には届かない。

「聞いていますの、黒いの! 貴方もローディー(荷物持ち)として雇ってあげますわ! 感謝なさい!」

メロディがキースに指を突きつける。

その瞬間。

ブチッ。

キースの中で、何かが切れた。

それは「理性」という名の安全装置であり、「隠密」という名の封印だった。

キースは大きく息を吸い込んだ。

周囲の空気が、彼の肺に一気に吸い込まれていくような、真空音すら聞こえる。

そして。

「――黙れと言っているのが、聞こえんのか!!」

ズドォォォォォォォンッ!!!

雷鳴。

いや、爆撃。

キースの口から放たれたのは、ただの怒声ではなかった。

戦場で数万の兵を指揮し、竜の咆哮すらねじ伏せた、『覇王の威圧』そのものだった。

ビリビリビリッ!

空気が震え、メロディの金髪が逆立つ。

ミナが尻餅をつく。

生き残っていた聖歌隊員たちが、白目を剥いて泡を吹く。

「ッ……!?」

メロディが喉を押さえて後ずさった。

「な、なに……今の……声……?」

うるさいだけの声ではない。

低く、重く、そして身体の芯まで響く、圧倒的な『バリトンボイス』。

それは生物としての格の違いを、本能に直接叩き込んでくる音だった。

キースは一歩、前に踏み出した。

ジャリッ。

ただの足音が、死刑台へのカウントダウンのように響く。

「……俺は、我慢していた」

キースが喋る。

いつものボソボソとした喋り方ではない。

朗々と、クリアに、そして冷酷に。

「ルシアンが『言葉で解決したい』と言うから。彼女の意思を尊重し、手出しをしなかった。……だが」

キースの瞳が、深淵のような闇色に染まる。

「貴様らは、彼女の慈悲を『娯楽』に変えた」

「ヒッ……!」

「彼女の悲鳴を『歌』だと笑った」

キースの全身から、ドス黒い魔力が噴き出す。

それは物理的な圧力を伴い、メロディたちを地面に縫い付けた。

「……俺の女(ひと)の喉を潰しておいて、タダで帰れると思うなよ?」

「ひ、ひぃぃぃぃッ!!」

メロディが悲鳴を上げようとしたが、声が出ない。

恐怖で声帯が麻痺しているのだ。

「いいか、よく聞け」

キースが宣告する。

その声は、甘く、恐ろしく、そして濡れるほどに『イケボ』だった。

「今後、彼女の半径一キロ以内で、さえずり一つ立ててみろ」

彼は瓦礫の中に落ちていた鉄パイプ(工事用)を拾い上げ、片手で握りつぶした。

グシャァッ。

飴細工のようにひしゃげる鉄塊。

「……その喉笛、二度と空気が通らないようにしてやる」

シーン……。

完全なる沈黙。

鳥も、虫も、風さえも息を潜める。

メロディとミナは、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、首が折れるほどの勢いで頷いた。

コクコクコクコクッ!!

「……失せろ」

短く、低く。

その一言が、撤退の合図だった。

「ごめんなさいぃぃぃぃッ!!(無音の口パク)」

メロディたちは転がるように逃げ出した。

聖女も、悪役令嬢も関係ない。

ただの『捕食者』に睨まれた小動物として、生存本能のままに森の外へと走り去っていった。

数秒後。

森には、本来の静寂が戻ってきた。

キースは大きく息を吐き、乱れた髪をかき上げた。

そして、腕の中のルシアンに視線を落とす。

「……騒がしくて、すまん」

いつもの、ぶっきらぼうな口調に戻っていた。

彼はそっとルシアンの頭を撫でた。

「……帰ろう。……地下なら、まだ静かだ」

キースはルシアンを大切に抱え直し、半壊した屋敷の中へと消えていった。

***

数時間後。

地下の『完全無音室』で、ルシアンが目を覚ました。

「……ん」

「……起きたか」

枕元に、キースが座っていた。

手には、蜂蜜を溶かした温かいジンジャーティーを持っている。

「……喉、痛むか」

ルシアンは頷こうとして、首の痛みに顔をしかめた。

「……喋らなくていい」

キースがスプーンで紅茶をすくい、ルシアンの唇に運ぶ。

「……飲め。……効く」

ルシアンは素直に飲んだ。

甘くて、少しピリッとする液体が、荒れた喉に染み渡る。

(……助かったのね)

ミナたちの気配はない。

静かだ。

ルシアンはキースを見つめた。

彼は少しバツが悪そうに、視線を逸らしている。

(……怒っているのかしら)

私が無茶をして、喉を痛めたから。

ルシアンは震える手で、サイドテーブルにあったメモ帳とペンを取った。

『ごめんなさい。でも、スッキリしました』

キースに見せると、彼は呆れたように笑った。

「……反省しろ。……お前が倒れた時、心臓が止まるかと思った」

『貴方の心臓は頑丈だから大丈夫です』

「……そういう問題じゃない」

キースはルシアンの手を取り、その掌に自分の額を押し付けた。

「……もう、叫ぶな。……叫ぶなら、俺の名前を呼ぶ時だけにしろ」

ルシアンの顔が赤くなる。

また、さらりと恥ずかしいことを言う。

でも。

(……ん? 待って)

ルシアンは記憶を遡った。

気絶する寸前、あるいは夢現の中で、何か凄い声を聞いたような気がする。

お腹に響くような、王者のような声。

『……俺の女に……』とか言っていなかったか?

ルシアンはキースの顔を覗き込んだ。

『貴方、何か言いました? すごく大きな声で』

キースがビクリと固まった。

「……気のせいだ」

『いいえ、確かに聞こえました。すごく……良い声でした』

「……幻聴だ」

キースは頑なに認めようとしない。耳まで真っ赤だ。

(怪しい……)

ルシアンはニヤリとした。

いつか、あの声(イケボ)をもう一度引き出してやる。

新たな目標ができた。

だが、今は。

ルシアンはもう一度、紅茶を一口飲み、ふかふかの枕に頭を沈めた。

静寂と、温かい紅茶と、不器用な騎士様。

(……幸せ)

ルシアンは目を閉じた。

騒動は去った。

だが、この事件は思わぬ副産物を生んでいた。

逃げ帰った聖女メロディたちが、「森には『魔王』がいる」「その声を聞くと死ぬ」という新たな伝説を流布し始めたのだ。

結果、森への侵入者は激減する。

しかし、代わりにルシアンたちの元へ届いたのは、一通の『招待状』だった。

それはアランでも、公爵でもない。

この国の頂点――国王陛下からの、正式な呼び出しだった。

「……魔王と恐れられる男に、興味がある」

静寂同盟、ついに国家の中枢へ。

逃げ場のない王命が、二人を待ち受けていた。
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