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八章
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「まったく、もう――、風邪ではなくて過労だなんて!」
飛鳥の部屋から朝食のトレーを下げてきたメアリーは、眉を潜めて声高に告げる。そんな彼女の小言を、ヘンリーは飛鳥の代わりに受け止め、苦笑でもってやりすごしている。
「気が済むまでとことんやり抜いてしまうのは、彼の長所でもあり欠点でもあるからね」
「本当になんてこと! また私の腕によりをかけた料理が、砂糖の塊にとって変わられるんですよ!」
不満げ、というよりも心配して怒っているのだ。そんな彼女を宥めるためにヘンリーは微笑んだ。
「僕からアスカに言っておくよ。メアリーが心配しているよって」
「よおく言っておいて下さいよ! あの坊ちゃん、私が言っても聞きやしないんだから!」
サラも、幼い頃はよく病気をしていた。だからメアリーは飛鳥をサラと同じように考えている。今ではすっかり丈夫になった彼女のように、飛鳥を健康に導くことを自分の務めだと感じているのだ。
サラにしても、飛鳥のように夢中になりすぎて不摂生をしてしまうことは、今でもたまにある。それでも飛鳥に比べればずっとマシだ。
飛鳥の生来の身体の弱さというのか、体力のなさは、どうしてなのだろうか、とヘンリーは不思議に思わずにはいられない。吉野は人並み以上に丈夫なのだ。それに決して飛鳥は病弱という訳ではない。薬物の後遺症もやっと癒え、今ではまったく薬なしで暮らせるようになっている。生活も安定しているはずなのに。飛鳥の精神面は、相変わらず不安定なままなのだ。薬の影響は終わっているはずなのに――。
学生の頃から時が止まったように――。
彼は幼く見える外見も、その朧な輪郭も変わらない。
ヘンリーは、飛鳥の部屋をノックしようとしてあげた拳を開き、そのままそっとドアを撫でるように触れただけで、踵を返した。
「アスカの具合はどう?」
「今は眠っている。大丈夫、いつものように眠れば回復するよ」
「きっとヨシノのこと、心配しすぎね」
コンサバトリーの中央で座り込んでパソコンを操っているサラを、ヘンリーは驚いて見入っていた。
「どういうこと?」
「クーデターが起きるのも時間の問題だもの」
当然のように言い、振り向いたサラのライムグリーンの瞳からは、なんの感情も読みとれない。
「アスカは――、」
そこで言葉を切ったまま、呆然と自分を凝視する彼を、サラは小首を傾げて見上げている。
「いや、どうしてきみがそんなことを知っているの?」
「ヨシノの足跡を追っているもの」
吉野のおこなっていた度重なるハッキングを防ぐために、サラは何度も侵入してくる彼をずっと追いかけている。解ったうえで、彼は重要な情報をわざと気付かせるために残していく。それを繋ぎ合わせると、この結果が導きだされたのだそうだ。
淡々と告げるサラの言葉を聞き終えると、ヘンリーは深く息をついていた。
「もっと早く教えて欲しかったな」
「知っていると思っていた。だって、ヨシノが帰ってきた時、そういう話をしたのでしょう?」
「確かにあの国についての話は聞いたけれどね。――きみやアスカが、ここまで詳しく知っているとは思っていなかったよ」
「アスカは知らない。話していない。ヨシノに口止めされたから。戦争は金融経済に直結するから、私には教えてくれたのだと思うの」
戦争――。
彼は平和的な政権移行ではなく、大規模な内戦を想定しているのか。
「まったく彼らしいというか、」
吉野は、自分に話した内容とはかなり違った未来を想定しているらしい。この新たな事実にヘンリーはため息を漏らしつつ、サラの膝に置かれたノートパソコンの画面に、何ということもなく目をとめた。
「それは? 何をしているの?」
画面はびっしりとプログラム言語で埋まっている。一見しただけではそれが何なのか、ヘンリーには判らない。だが、彼女の普段の業務でないことは確かだ。
「アスカがいつもやっているゲームの解析」
「どんなゲームなの? それ、見れる?」
彼の何気ない願いが、小さなノートパソコンの画面ではなくコンサバトリーのガラスの大画面に映しだされた時、ヘンリーは予期せず眉を潜めることになっていた。
大写しされた機関銃。迷彩服の兵士達。立ち上る硝煙。
飛鳥の創りだす美しい世界とは対極の世界が、そこにあった。
「FPS? これをアスカがやっているの?」
あの平和主義の彼が? 対テロ対策狙撃シューティングゲームなんて。
「それで、どうしてきみがこれを解析しているの?」
吉野が旅立ってからの数日間に何があったんだ? とヘンリーは内心訝しく思いながらサラに訊ねた。
「アーニーが、アスカはこのゲームから着想を得て、対テロ対策のTSソフトを創っているんじゃないかって」
「こんなゲームから?」
確かに考えられなくはないけれど、ゲームと実際のテロ行為ではあまりにも違いすぎる。こんなゲームからなんて――。
ヘンリーはもう一度、ガラスに浮かび上がる巨大画面を食い入るように眺める。
「……ヘンリー、もういい?」
サラの顔がわずかに歪み、食いしばった唇が震えている。
ヘンリーは、しまった、と舌打ちしてすぐに画面を消した。
消音された画面で気づくべきだった――。
「ごめんよ。きみが心配する必要はない。ヨシノはちゃんと僕が守る。アスカにもこんなことは止めさせる。きみも、彼も、こんな世界は嫌いだろう? 無理をする必要なんてないんだ。大丈夫だよ、サラ」
じっと自分を見つめていたサラの瞳が、ほっとしたように緩んだ。こつんとヘンリーの肩に置かれた額の温もりを感じながら、彼はそっと彼女の豊かな黒髪を撫でてやる。
平穏な毎日のおかげで危うく忘れかけていた過去が、生々しく蘇ったのだ。
機関銃――、銃声を、サラが忘れるはずがないのに。
おそらく今サラの脳裏に浮かんでいるであろう、忘れようにも忘れられない辛い過去の情景を思い、ヘンリーは自分の浅はかさに歯噛みし後悔に眉をしかめていた。ぐっとサラを抱く腕に力をこめたまま――。
アスカは?
アスカはどんな想いであのゲームをしいるんだ? 狙撃される側にヨシノの姿を見ているのか――。
それともヨシノを狙うテロリストめがけて、引き金を引いているのか?
――きみが?
そのどちらをも想定することができず、ヘンリーは自ら否定するように首を小さく横に振った。
飛鳥の部屋から朝食のトレーを下げてきたメアリーは、眉を潜めて声高に告げる。そんな彼女の小言を、ヘンリーは飛鳥の代わりに受け止め、苦笑でもってやりすごしている。
「気が済むまでとことんやり抜いてしまうのは、彼の長所でもあり欠点でもあるからね」
「本当になんてこと! また私の腕によりをかけた料理が、砂糖の塊にとって変わられるんですよ!」
不満げ、というよりも心配して怒っているのだ。そんな彼女を宥めるためにヘンリーは微笑んだ。
「僕からアスカに言っておくよ。メアリーが心配しているよって」
「よおく言っておいて下さいよ! あの坊ちゃん、私が言っても聞きやしないんだから!」
サラも、幼い頃はよく病気をしていた。だからメアリーは飛鳥をサラと同じように考えている。今ではすっかり丈夫になった彼女のように、飛鳥を健康に導くことを自分の務めだと感じているのだ。
サラにしても、飛鳥のように夢中になりすぎて不摂生をしてしまうことは、今でもたまにある。それでも飛鳥に比べればずっとマシだ。
飛鳥の生来の身体の弱さというのか、体力のなさは、どうしてなのだろうか、とヘンリーは不思議に思わずにはいられない。吉野は人並み以上に丈夫なのだ。それに決して飛鳥は病弱という訳ではない。薬物の後遺症もやっと癒え、今ではまったく薬なしで暮らせるようになっている。生活も安定しているはずなのに。飛鳥の精神面は、相変わらず不安定なままなのだ。薬の影響は終わっているはずなのに――。
学生の頃から時が止まったように――。
彼は幼く見える外見も、その朧な輪郭も変わらない。
ヘンリーは、飛鳥の部屋をノックしようとしてあげた拳を開き、そのままそっとドアを撫でるように触れただけで、踵を返した。
「アスカの具合はどう?」
「今は眠っている。大丈夫、いつものように眠れば回復するよ」
「きっとヨシノのこと、心配しすぎね」
コンサバトリーの中央で座り込んでパソコンを操っているサラを、ヘンリーは驚いて見入っていた。
「どういうこと?」
「クーデターが起きるのも時間の問題だもの」
当然のように言い、振り向いたサラのライムグリーンの瞳からは、なんの感情も読みとれない。
「アスカは――、」
そこで言葉を切ったまま、呆然と自分を凝視する彼を、サラは小首を傾げて見上げている。
「いや、どうしてきみがそんなことを知っているの?」
「ヨシノの足跡を追っているもの」
吉野のおこなっていた度重なるハッキングを防ぐために、サラは何度も侵入してくる彼をずっと追いかけている。解ったうえで、彼は重要な情報をわざと気付かせるために残していく。それを繋ぎ合わせると、この結果が導きだされたのだそうだ。
淡々と告げるサラの言葉を聞き終えると、ヘンリーは深く息をついていた。
「もっと早く教えて欲しかったな」
「知っていると思っていた。だって、ヨシノが帰ってきた時、そういう話をしたのでしょう?」
「確かにあの国についての話は聞いたけれどね。――きみやアスカが、ここまで詳しく知っているとは思っていなかったよ」
「アスカは知らない。話していない。ヨシノに口止めされたから。戦争は金融経済に直結するから、私には教えてくれたのだと思うの」
戦争――。
彼は平和的な政権移行ではなく、大規模な内戦を想定しているのか。
「まったく彼らしいというか、」
吉野は、自分に話した内容とはかなり違った未来を想定しているらしい。この新たな事実にヘンリーはため息を漏らしつつ、サラの膝に置かれたノートパソコンの画面に、何ということもなく目をとめた。
「それは? 何をしているの?」
画面はびっしりとプログラム言語で埋まっている。一見しただけではそれが何なのか、ヘンリーには判らない。だが、彼女の普段の業務でないことは確かだ。
「アスカがいつもやっているゲームの解析」
「どんなゲームなの? それ、見れる?」
彼の何気ない願いが、小さなノートパソコンの画面ではなくコンサバトリーのガラスの大画面に映しだされた時、ヘンリーは予期せず眉を潜めることになっていた。
大写しされた機関銃。迷彩服の兵士達。立ち上る硝煙。
飛鳥の創りだす美しい世界とは対極の世界が、そこにあった。
「FPS? これをアスカがやっているの?」
あの平和主義の彼が? 対テロ対策狙撃シューティングゲームなんて。
「それで、どうしてきみがこれを解析しているの?」
吉野が旅立ってからの数日間に何があったんだ? とヘンリーは内心訝しく思いながらサラに訊ねた。
「アーニーが、アスカはこのゲームから着想を得て、対テロ対策のTSソフトを創っているんじゃないかって」
「こんなゲームから?」
確かに考えられなくはないけれど、ゲームと実際のテロ行為ではあまりにも違いすぎる。こんなゲームからなんて――。
ヘンリーはもう一度、ガラスに浮かび上がる巨大画面を食い入るように眺める。
「……ヘンリー、もういい?」
サラの顔がわずかに歪み、食いしばった唇が震えている。
ヘンリーは、しまった、と舌打ちしてすぐに画面を消した。
消音された画面で気づくべきだった――。
「ごめんよ。きみが心配する必要はない。ヨシノはちゃんと僕が守る。アスカにもこんなことは止めさせる。きみも、彼も、こんな世界は嫌いだろう? 無理をする必要なんてないんだ。大丈夫だよ、サラ」
じっと自分を見つめていたサラの瞳が、ほっとしたように緩んだ。こつんとヘンリーの肩に置かれた額の温もりを感じながら、彼はそっと彼女の豊かな黒髪を撫でてやる。
平穏な毎日のおかげで危うく忘れかけていた過去が、生々しく蘇ったのだ。
機関銃――、銃声を、サラが忘れるはずがないのに。
おそらく今サラの脳裏に浮かんでいるであろう、忘れようにも忘れられない辛い過去の情景を思い、ヘンリーは自分の浅はかさに歯噛みし後悔に眉をしかめていた。ぐっとサラを抱く腕に力をこめたまま――。
アスカは?
アスカはどんな想いであのゲームをしいるんだ? 狙撃される側にヨシノの姿を見ているのか――。
それともヨシノを狙うテロリストめがけて、引き金を引いているのか?
――きみが?
そのどちらをも想定することができず、ヘンリーは自ら否定するように首を小さく横に振った。
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