夏の扉を開けるとき

萩尾雅縁

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第四章

虹のたもと 7.

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 この館の部屋を、一つ一つ確かめて回った。誰もいない。アーノルドも、スミス夫妻も、ショーンも。そして、コウも――。

 集合的無意識などと都合よくこじつけてみたところで、この世界はやはり僕だけの夢で、誰とも重なってなどいないのかもしれない。出てくるのは僕の記憶の断片、朧な影ばかりなのだ。

 アビーのティールームへのドアを開ければ、アーノルドの影がお茶を飲んでいた。影のくせに一人で喋って笑って、――そして人形を叩き割る。
 居間の入り口から見回した室内には、じっと人形のように動かない幼い僕の影がソファーにかしこまっていた。
 台所では、いそいそと働くスミス夫人の影。ここに入ったのは最近だから、この記憶は新しい。特に違和感も驚きも感じない。



 けれど、ショーンがいつもいたアーノルドの書斎で、僕は、僕の意識が覚えていない彼らに出逢った。おそらく彼らだと思う。

 例の魔術師たち。

 スティーブが言っていた通り、男女二人のカップルだ。アーノルドの日記にある初回の儀式では四人だった。そのうちの二人なのだろうか。

 ソファーの傍に揺りかごが置かれ、彼らはその中を覗きこんでいた。おそらく、赤ん坊ぼくを。

 部屋のなかに足を踏みいれるとこの記憶は煙のように消えてしまう。それはこれまで見て回った他の部屋で実証済みだ。一度ドアを閉じると二度目にはもう消えていなくなることも。

 そんなわけで、薄暗い光源の下にここから覗き見る彼らの姿は朧で、容貌も表情も判別し難い。判るのは朧な輪郭だけだ。背の高い体躯のいい男性と、均整のとれた女性。長い髪。男性の方もだ。女性と変わらないほどの腰まではありそうな黒髪を波打たせている。彼女の方は髪色が判別し辛い。どうも緑がかって見えるのだ。けれど二人とも、一度見たら忘れられないだろうと思えるほど、美しい。朧な影でしかないのに。姿形だけでなく、身のこなしが尋常でなく堂々としていて品があり、かつ優雅なのだ。思い描いていた魔術師の怪しさからは程遠い。



 彼らは僕には理解できない言語で話していた。フランス語やドイツ語のような、聞き覚えのあるものではない、全く耳にしたことのないものだ。この部屋にアーノルドの影はなかったのだが、彼が、彼らと話すときは英語だったのだろうか、とそんなことが気にかかる。

 この男。おそらくこの男なのだと思う。叩きつけられた赤ん坊ぼくを拾いあげ、あやしてくれたのは――。

 なんとも表現し難い気持ちが、じわりと胸に広がっていた。なんなんだろう、これは。感謝なのか、気恥ずかしさなのか、よく判らない。ただ、抱えあげてもらえた事実を思うとき、僕は確かな安心を得ていたのだ。



 そして、ここへ来る直前の現実で思いだした、――はずがない。妄想した、というほうが正しいのかもしれない、スティーブの発した言葉にも――。


 ――目を覚ませ! この子にどんな罪があるというんだ!


 あれは、僕の願いだったのだろうか?

 僕のために怒るスティーブの姿。
 僕を守るために闘ってくれるスティーブの――。

 胸が熱くなった。

 僕が、そんなことを願っていたなんて。そんな想い、抱いたことなんてないと思っていたのに。


 長髪の男が揺りかごから僕を抱きあげる。子守歌を口ずさむ。言葉は判らない、けれど同じ旋律だ。アビーの歌っていたあの歌と。


 僕は壊れたアビーの人形を拾いあげた。この胸に抱えた。

 どこへ行ってしまったんだろう――。
 思いだせない。気がついたら、道を歩いていたのだ。


 振り子時計の音――。


 ふと伏せていた瞳をあげると、長髪の男は赤ん坊を抱えたまま、僕を見ていた。確かに、僕を見ている。その口許が笑っている。

 その刹那、肌が騒めきたつ。血が湧きあがる。背中のトリスケルが渦巻き立ちあがる。そんな自分の反応に恐怖して反射的にこの部屋を閉ざしていた。でも、そのまま立ち去ることもできなくて、ドアに両腕を当ててもたれかかった。

 彼は、訊けば、答えてくれる。

 そんな気がしたのだ。
 これは僕の記憶の欠片にすぎないはずなのに――。
 彼らだけは違う。それまで目にした記憶の断片とは明らかに異質だ。


 彼は、彼らは、何者――。

 魔術師というのは、そもそも何なんだ? なぜアーノルドに関わるのだ? そして生まれたばかりの赤ん坊ぼくに何をしている?

 祝福を。

 ――きみは精霊の祝福を受けているんだよ。

 
 コウ――。そんなことを言ってくれるのは、きみだけだと思っていた。僕は呪われた子どもなのだから。けれどもしも、もしもこんな僕でも精霊の加護を望めるのであれば――。


 閉じたままの重厚なオークのドアに額をつけた。


 きみを。もう一度きみを見出すことができるように――。


「コウ、四大精霊の名において、僕は生涯きみを愛すると誓う。だから――」



 お願いだ。どうかこの誓いを成就させる機会チャンスを、もう一度僕に下さい。





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