【完結】瑠璃色の薬草師

シマセイ

文字の大きさ
7 / 26

第七話:希望の光、深まる信頼

しおりを挟む
セレスティーナ夫人がか細い声でスープを求めたあの日から、辺境伯邸の空気は一変した。

アリアドネは、細心の注意を払いながら、夫人の体調に合わせた滋養豊かな薬膳スープを毎日調合し、少しずつ口に運ばせた。

初めは数匙(さじ)飲むのがやっとだったが、日を追うごとにその量は増え、顔色にも血の気が戻り始めた。

アリアドネの献身的な看護と的確な治療は、着実に実を結びつつあった。

夫人が食事を摂れるようになったことで、体力も徐々に回復。

治療開始から三週間が経つ頃には、侍女の肩を借りてベッドから起き上がり、窓辺の椅子に短い時間座っていられるまでに回復した。

そして一月後。

その日、アリアドネが朝の薬湯を持って寝室を訪れると、セレスティーナ夫人は、ぼんやりとではあるが、開け放たれた窓の外を眺めていた。

「アリアドネさん……見て。鳥が……歌っているわ……」

その声はまだ弱々しかったが、そこには確かな感動と、生きる喜びが込められていた。

アリアドネがそっと手を差し伸べると、夫人はその手を弱々しく握り返し、微笑んだ。

「ありがとう……あなたが来てくれて、本当に良かった……」

その言葉は、アリアドネの胸を熱くした。

その日の午後、アルフレッド辺境伯が公務の合間を縫って夫人の部屋を訪れた。

そこで彼が見たのは、侍女に支えられながらも、おぼつかない足取りで部屋の中を数歩、歩いている妻の姿だった。

「セレスティーナ……!」

辺境伯は絶句し、その場に立ち尽くした。

五年もの間、寝たきり同然だった妻が、再び自分の足で立っている。

その光景は、彼にとって信じられない奇跡だった。

辺境伯は、震える足で妻に歩み寄り、その痩せた肩をそっと抱きしめた。

彼の目からは、止めどなく涙が溢れ出ていた。

「ありがとう……アリアドネ殿……本当に、なんとお礼を申し上げてよいか……」

感涙にむせびながら、辺境伯はアリアドネに向き直り、深々と頭を下げた。

その額は、床につくほどだった。

「辺境伯様、お顔をお上げください。奥様の生命力と、ご家族の支えがあったからこそですわ。」

アリアドネは穏やかに微笑んだ。

この一件は、辺境伯邸の隅々にまで明るい光をもたらした。

使用人たちは、アリアドネのことを「奇跡の薬師様」と呼び、畏敬の念と心からの感謝を込めて接するようになった。

以前は、アリアドネの若さや、どこから来たのかも知れぬ出自を訝しむ者も少なからずいたが、今では誰もが彼女の類稀なる才能と献身的な人柄を認めていた。

夫人の体調が安定してきたある日、執事のエルネストがアリアドネの部屋を訪れた。

「アリアドネ様、奥様のご回復、誠に喜ばしい限りです。これも全て、あなた様のおかげにございます。」

エルネストは改めて深く頭を下げた後、少し声を潜めて続けた。

「つきましては……奥様の身の回りに、あれほど多くの有毒なものが集まっていた件ですが……やはり、ただの偶然とは考えにくいのではないかと。」

その目は、真剣な光を宿していた。

アリアドネも静かに頷く。

「私も、そう思います。いくつかの品は、専門的な知識がなければ毒性があるとは気づきにくいものです。そして、それらが複合的に作用していたことを考えると……」

「誰かが、意図的に奥様を衰弱させようとしていた……そうお考えですな?」

「断定はできません。しかし、その可能性は否定できないでしょう。もし、そうだとすれば、その者はまだこの邸の中にいるかもしれません。」

二人の間に、緊張感が走った。

「エルネスト様、奥様の安全のためにも、この件は慎重に調査する必要がありそうですわね。私にできることがあれば、協力させていただきます。」

「心強いお言葉、感謝いたします。辺境伯様ともご相談の上、内密に調査を進めたいと存じます。」

エルネストはそう言うと、再び深く頭を下げて部屋を辞した。

辺境伯夫人が奇跡的な回復を遂げているという噂は、あっという間に領内を駆け巡り、さらには近隣の領地、そして王都の社交界にまで届き始めていた。

アリアドネのもとには、診察を依頼したいという貴族や裕福な商人からの使者が、ひっきりなしに訪れるようになった。

しかし、アリアドネは丁重にそれらの申し出を断り続けた。

セレスティーナ夫人の治療が完全に終わるまでは、他の患者を診ることはできないと。

その誠実な態度は、かえって彼女の評判を高めることになった。

そして、セレスティーナ夫人が庭を散策できるまでに回復した初夏のある日。

アリアドネは、辺境伯に暇乞いを申し出た。

「奥様の体調も、もう大丈夫でしょう。私も、故郷で待つ者がおりますので。」

「アリアドネ殿……あなたには、いくら感謝してもしたりない。これは、ささやかな礼だ。どうか受け取ってほしい。」

辺境伯は、アリアドネに破格の報酬金が入った袋と、辺境伯家の紋章が刻まれた通行証を手渡した。

「この通行証があれば、我が領内はもとより、多くの場所で便宜が図られるだろう。そして、いつでもこのバルトフェルド家は、あなたを賓客として歓迎する。」

「もったいないお言葉、痛み入ります。」

アリアドネは深く感謝し、それらを受け取った。

出発の朝、セレスティーナ夫人は、すっかり血色の良くなった顔でアリアドネの手を握った。

「アリアドネさん、あなたのことは決して忘れませんわ。どうか、お元気で。」

「奥様も、どうぞお健やかにお過ごしくださいませ。」

多くの人々に見送られ、アリアドネはバルトフェルド辺境伯領を後にした。

帰路の馬車の中、アリアドネは窓の外を流れる景色を眺めながら、これまでの出来事を振り返っていた。

辺境伯家での成功は、彼女に大きな自信と、そして少なからぬ財産をもたらした。

しかし、それ以上に得たものは、人々の信頼と、自らの力で道を切り開くことができるという確信だった。

ふと、アリアドネの視線が、遠い王都の方角へと向けられた。

(エリオット……リディア……)

彼らの顔を思い浮かべると、心の奥底で再び怒りの炎が静かに燃え上がるのを感じた。

(今の私なら……以前の私とは違う……)

辺境伯家で得た名声と人脈、そして財産。

それらは全て、あの二人への復讐を果たすための大きな武器となるだろう。

アリアドネは、固く拳を握りしめた。

「エルムの薬草店」に戻ったら、まずはゼノに全てを報告し、そして、これからの計画を具体的に練り始めよう。

王都へ。

そして、あの二人への鉄槌を。

アリアドネの瑠璃色の瞳は、未来を見据え、より一層強く輝いていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

実は家事万能な伯爵令嬢、婚約破棄されても全く問題ありません ~追放された先で洗濯した男は、伝説の天使様でした~

空色蜻蛉
恋愛
「令嬢であるお前は、身の周りのことは従者なしに何もできまい」 氷薔薇姫の異名で知られるネーヴェは、王子に婚約破棄され、辺境の地モンタルチーノに追放された。 「私が何も出来ない箱入り娘だと、勘違いしているのね。私から見れば、聖女様の方がよっぽど箱入りだけど」 ネーヴェは自分で屋敷を掃除したり美味しい料理を作ったり、自由な生活を満喫する。 成り行きで、葡萄畑作りで泥だらけになっている男と仲良くなるが、実は彼の正体は伝説の・・であった。

愛しの第一王子殿下

みつまめ つぼみ
恋愛
 公爵令嬢アリシアは15歳。三年前に魔王討伐に出かけたゴルテンファル王国の第一王子クラウス一行の帰りを待ちわびていた。  そして帰ってきたクラウス王子は、仲間の訃報を口にし、それと同時に同行していた聖女との婚姻を告げる。  クラウスとの婚約を破棄されたアリシアは、言い寄ってくる第二王子マティアスの手から逃れようと、国外脱出を図るのだった。  そんなアリシアを手助けするフードを目深に被った旅の戦士エドガー。彼とアリシアの逃避行が、今始まる。

平凡な伯爵令嬢は平凡な結婚がしたいだけ……それすら贅沢なのですか!?

Hibah
恋愛
姉のソフィアは幼い頃から優秀で、両親から溺愛されていた。 一方で私エミリーは健康が取り柄なくらいで、伯爵令嬢なのに贅沢知らず……。 優秀な姉みたいになりたいと思ったこともあったけど、ならなくて正解だった。 姉の本性を知っているのは私だけ……。ある日、姉は王子様に婚約破棄された。 平凡な私は平凡な結婚をしてつつましく暮らしますよ……それすら贅沢なのですか!?

復縁は絶対に受け入れません ~婚約破棄された有能令嬢は、幸せな日々を満喫しています~

水空 葵
恋愛
伯爵令嬢のクラリスは、婚約者のネイサンを支えるため、幼い頃から血の滲むような努力を重ねてきた。社交はもちろん、本来ならしなくても良い執務の補佐まで。 ネイサンは跡継ぎとして期待されているが、そこには必ずと言っていいほどクラリスの尽力があった。 しかし、クラリスはネイサンから婚約破棄を告げられてしまう。 彼の隣には妹エリノアが寄り添っていて、潔く離縁した方が良いと思える状況だった。 「俺は真実の愛を見つけた。だから邪魔しないで欲しい」 「分かりました。二度と貴方には関わりません」 何もかもを諦めて自由になったクラリスは、その時間を満喫することにする。 そんな中、彼女を見つめる者が居て―― ◇5/2 HOTランキング1位になりました。お読みいただきありがとうございます。 ※他サイトでも連載しています

出来損ないと言われて、国を追い出されました。魔物避けの効果も失われるので、魔物が押し寄せてきますが、頑張って倒してくださいね

猿喰 森繁
恋愛
「婚約破棄だ!」 広間に高らかに響く声。 私の婚約者であり、この国の王子である。 「そうですか」 「貴様は、魔法の一つもろくに使えないと聞く。そんな出来損ないは、俺にふさわしくない」 「… … …」 「よって、婚約は破棄だ!」 私は、周りを見渡す。 私を見下し、気持ち悪そうに見ているもの、冷ややかな笑いを浮かべているもの、私を守ってくれそうな人は、いないようだ。 「王様も同じ意見ということで、よろしいでしょうか?」 私のその言葉に王は言葉を返すでもなく、ただ一つ頷いた。それを確認して、私はため息をついた。たしかに私は魔法を使えない。魔力というものを持っていないからだ。 なにやら勘違いしているようだが、聖女は魔法なんて使えませんよ。

【完結】傷物令嬢は近衛騎士団長に同情されて……溺愛されすぎです。

朝日みらい
恋愛
王太子殿下との婚約から洩れてしまった伯爵令嬢のセーリーヌ。 宮廷の大広間で突然現れた賊に襲われた彼女は、殿下をかばって大けがを負ってしまう。 彼女に同情した近衛騎士団長のアドニス侯爵は熱心にお見舞いをしてくれるのだが、その熱意がセーリーヌの折れそうな心まで癒していく。 加えて、セーリーヌを振ったはずの王太子殿下が、親密な二人に絡んできて、ややこしい展開になり……。 果たして、セーリーヌとアドニス侯爵の関係はどうなるのでしょう?

侯爵令嬢はざまぁ展開より溺愛ルートを選びたい

花月
恋愛
内気なソフィア=ドレスデン侯爵令嬢の婚約者は美貌のナイジェル=エヴァンス公爵閣下だったが、王宮の中庭で美しいセリーヌ嬢を抱きしめているところに遭遇してしまう。 ナイジェル様から婚約破棄を告げられた瞬間、大聖堂の鐘の音と共に身体に異変が――。 あら?目の前にいるのはわたし…?「お前は誰だ!?」叫んだわたしの姿の中身は一体…? ま、まさかのナイジェル様?何故こんな展開になってしまったの?? そして婚約破棄はどうなるの??? ほんの数時間の魔法――一夜だけの入れ替わりに色々詰め込んだ、ちぐはぐラブコメ。

【完結】死に戻り8度目の伯爵令嬢は今度こそ破談を成功させたい!

雲井咲穂(くもいさほ)
恋愛
アンテリーゼ・フォン・マトヴァイユ伯爵令嬢は婚約式当日、婚約者の逢引を目撃し、動揺して婚約式の会場である螺旋階段から足を滑らせて後頭部を強打し不慮の死を遂げてしまう。 しかし、目が覚めると確かに死んだはずなのに婚約式の一週間前に時間が戻っている。混乱する中必死で記憶を蘇らせると、自分がこれまでに前回分含めて合計7回も婚約者と不貞相手が原因で死んでは生き返りを繰り返している事実を思い出す。 婚約者との結婚が「死」に直結することを知ったアンテリーゼは、今度は自分から婚約を破棄し自分を裏切った婚約者に社会的制裁を喰らわせ、婚約式というタイムリミットが迫る中、「死」を回避するために奔走する。 ーーーーーーーーー 2024/01/13 ランキング→恋愛95位 ありがとうございました! なろうでも掲載20万PVありがとうございましたっ!

処理中です...