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第一章 結婚は人生の墓場と言うが
小さな騎士とおひさま美人
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あれはまだ、グレウスが自分を『無能者』だとは知らない、幼い頃だった。
十歳になったばかりのグレウスは、お使い帰りの駄賃を握り締めて、屋台が立ち並ぶ街の繁華街を走っていた。
育ち盛りのグレウスは、とにかく体を動かすことと食べることが好きだ。
近頃のお気に入りは屋台で食べられる香辛料の効いた肉の串で、焼きたて熱々にかぶりつくのが一番の楽しみだった。
『……ッ!?』
ちゃんと前を見て走っていたはずなのに、グレウスは突然誰かにぶつかった。
勢いがついていたのでもろともに転ぶかと思ったが、相手は一瞬で体勢を立て直すと、手を伸ばして転びそうなグレウスを支えてくれた。
フード付きの黒いローブを身に纏った若者だった。
スッと離れていきそうなローブの裾を掴んで、グレウスは慌てて謝った。
『ぶつかって、ごめんなさい』
謝りながら、グレウスは恐々フードの中を覗いた。こんな黒いフードを頭から被っているのだから、怖い人かと思ったのだ。
目深に被ったフードの影からは、見たこともないような白く美しい顔が覗いていた。
意志の強そうな細い眉。長い睫毛とくっきりとした二重の大きな瞳。細く繊細な鼻筋と、小さく形のいい唇。
不審そうに細められた目が、大好きな朝焼けの色だと知って、少年だったグレウスは思わず声を上げていた。
『きれいな目! 朝のおひさまみたい!』
『……ッ!?……お前、私の姿が見えて……!?』
相手はひどく動揺したようだった。
言われてみれば、周りの大人たちはこの人の姿が見えないようだ。不吉だと言われている黒いローブを着ているのに、まるでここには誰も存在していないかのように、視線も向けずに通り過ぎていく。
フードの下で緋色の目が何度も瞬き、瞳の色が黒に赤にと揺れ動いた。
ローブを纏った体の周囲には、光の欠片のようなものがチカチカと煌めいて、姿が霞みそうになる。
険しい表情のまま遠ざかろうとするのを、グレウスはもう一度手を伸ばして捕まえた。
今度こそ本当に、相手が驚いた顔をした。まさかそんなはずはないと言いたげに。
背が高いから大人かと思ったが、びっくりした顔はまだ幼くて、グレウスよりほんの少し歳上なだけのようだ。
『ここ、ちあんが良くないから、としごろのびじんは一人で歩いちゃダメなんだって』
隣の宿屋のお姉さんがそう言われていたのを思い出して、グレウスはローブの中の手を探して握った。指が細くて繊細で、鍛冶仕事を手伝う母親の手とはずいぶん印象が違った。
グレウスはドキドキする。
『俺といっしょにいこ。俺はね、やたいのやきにくを買いにいくんだ。おいしいよ』
グレウスの父は鍛冶屋をしている。熊のような大男として街では有名だ。
まだ体は小さいが、自分は父親の次くらいに強いのだと、グレウスは思っていた。走るのも速いし、重い道具も運べる。いつもお客さんからすごいね、つよいねと、言われているから。
だから、こう言った。
『だいじょうぶだよ。俺がわるい奴から守ってあげる』
護衛騎士になったつもりで手を繋ぐと、呆気に取られた様子の相手が、ついに堪えきれなくなったように吹き出した。
『小さいのに、たいした騎士だ』
くく、と喉の奥で笑いを殺しながら、相手は手を繋いだまま歩き出した。
幼い子どもが治安の悪い繁華街にいることを案じて、安全な場所まで連れていこうと考えたのだろう。屋台で焼き肉の串を買い、それを食べながら歩くのに付き添ってくれた。
守るどころか、守ってもらったのだ。
だが当時のグレウスはそんなことには気づきもせず、騎士だと認められたことが誇らしくてたまらなかった。
フードの中の笑顔は本当に綺麗だった。
初めは少し冷たい印象だったのが、笑うとものすごく魅力的になって、体中の毛が逆立つかと思ったほどだ。
幼いグレウスは一目で心を奪われた。
このままどこまでも、手を繋いで一緒に歩きたい。きっと毎日楽しくてドキドキするだろう。
熊のような父が母と結婚できたのは、笑顔が優しい母親に惚れ込んで、好きだ好きだと毎日言い続けていたおかげらしい。酒に酔うたびに、いい嫁さんを貰うには男は恥ずかしがってちゃダメなんだと言っていた。
グレウスは意を決して、手を繋いだまま足を止める。
つられて足を止めた相手が、問いかけるように首を傾げてグレウスを振り返った。
背筋がゾクゾクするほど、綺麗な顔。
街中のどの女の人よりずっと綺麗で、瞳はグレウスの大好きな、朝一番のお日さまの色だ。
恥ずかしがってちゃダメなんだと自分に言い聞かせて、幼いグレウスは大好きな肉の串を差し出しながら叫んだ。
『俺、騎士になるよ! だから……大きくなったら俺とけっこんしてください!』
十歳になったばかりのグレウスは、お使い帰りの駄賃を握り締めて、屋台が立ち並ぶ街の繁華街を走っていた。
育ち盛りのグレウスは、とにかく体を動かすことと食べることが好きだ。
近頃のお気に入りは屋台で食べられる香辛料の効いた肉の串で、焼きたて熱々にかぶりつくのが一番の楽しみだった。
『……ッ!?』
ちゃんと前を見て走っていたはずなのに、グレウスは突然誰かにぶつかった。
勢いがついていたのでもろともに転ぶかと思ったが、相手は一瞬で体勢を立て直すと、手を伸ばして転びそうなグレウスを支えてくれた。
フード付きの黒いローブを身に纏った若者だった。
スッと離れていきそうなローブの裾を掴んで、グレウスは慌てて謝った。
『ぶつかって、ごめんなさい』
謝りながら、グレウスは恐々フードの中を覗いた。こんな黒いフードを頭から被っているのだから、怖い人かと思ったのだ。
目深に被ったフードの影からは、見たこともないような白く美しい顔が覗いていた。
意志の強そうな細い眉。長い睫毛とくっきりとした二重の大きな瞳。細く繊細な鼻筋と、小さく形のいい唇。
不審そうに細められた目が、大好きな朝焼けの色だと知って、少年だったグレウスは思わず声を上げていた。
『きれいな目! 朝のおひさまみたい!』
『……ッ!?……お前、私の姿が見えて……!?』
相手はひどく動揺したようだった。
言われてみれば、周りの大人たちはこの人の姿が見えないようだ。不吉だと言われている黒いローブを着ているのに、まるでここには誰も存在していないかのように、視線も向けずに通り過ぎていく。
フードの下で緋色の目が何度も瞬き、瞳の色が黒に赤にと揺れ動いた。
ローブを纏った体の周囲には、光の欠片のようなものがチカチカと煌めいて、姿が霞みそうになる。
険しい表情のまま遠ざかろうとするのを、グレウスはもう一度手を伸ばして捕まえた。
今度こそ本当に、相手が驚いた顔をした。まさかそんなはずはないと言いたげに。
背が高いから大人かと思ったが、びっくりした顔はまだ幼くて、グレウスよりほんの少し歳上なだけのようだ。
『ここ、ちあんが良くないから、としごろのびじんは一人で歩いちゃダメなんだって』
隣の宿屋のお姉さんがそう言われていたのを思い出して、グレウスはローブの中の手を探して握った。指が細くて繊細で、鍛冶仕事を手伝う母親の手とはずいぶん印象が違った。
グレウスはドキドキする。
『俺といっしょにいこ。俺はね、やたいのやきにくを買いにいくんだ。おいしいよ』
グレウスの父は鍛冶屋をしている。熊のような大男として街では有名だ。
まだ体は小さいが、自分は父親の次くらいに強いのだと、グレウスは思っていた。走るのも速いし、重い道具も運べる。いつもお客さんからすごいね、つよいねと、言われているから。
だから、こう言った。
『だいじょうぶだよ。俺がわるい奴から守ってあげる』
護衛騎士になったつもりで手を繋ぐと、呆気に取られた様子の相手が、ついに堪えきれなくなったように吹き出した。
『小さいのに、たいした騎士だ』
くく、と喉の奥で笑いを殺しながら、相手は手を繋いだまま歩き出した。
幼い子どもが治安の悪い繁華街にいることを案じて、安全な場所まで連れていこうと考えたのだろう。屋台で焼き肉の串を買い、それを食べながら歩くのに付き添ってくれた。
守るどころか、守ってもらったのだ。
だが当時のグレウスはそんなことには気づきもせず、騎士だと認められたことが誇らしくてたまらなかった。
フードの中の笑顔は本当に綺麗だった。
初めは少し冷たい印象だったのが、笑うとものすごく魅力的になって、体中の毛が逆立つかと思ったほどだ。
幼いグレウスは一目で心を奪われた。
このままどこまでも、手を繋いで一緒に歩きたい。きっと毎日楽しくてドキドキするだろう。
熊のような父が母と結婚できたのは、笑顔が優しい母親に惚れ込んで、好きだ好きだと毎日言い続けていたおかげらしい。酒に酔うたびに、いい嫁さんを貰うには男は恥ずかしがってちゃダメなんだと言っていた。
グレウスは意を決して、手を繋いだまま足を止める。
つられて足を止めた相手が、問いかけるように首を傾げてグレウスを振り返った。
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街中のどの女の人よりずっと綺麗で、瞳はグレウスの大好きな、朝一番のお日さまの色だ。
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