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第三章 けだものでも、まおうでも
特別任務
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「どうやら、大変な事態のようだな」
厳しい顔つきで、カッツェが言った。
先程から感じている不調が一層強くなっていくのを感じながら、グレウスは上官に問いかけた。
「すみません、話の内容がよくわからなくて……今から準備をしてバルバドス領のアッテカというところに行くんですか?」
まさか話を聞いていなかったとは言えずに、グレウスが訊ねると、
「ああ、そうだ」
カッツェは不審そうな顔もせず、皇帝直々の任務内容について教えてくれた。
「アッテカ山の中腹にある洞穴で魔力的な異常が観測されたとのお話だったな。バルバドスはうちの領地で、アッテカにも子どもの時からよく足を運んでいる。俺は道案内役と言うことらしい。……それにしても、わざわざ貴官を指名して洞穴の調査をせよとは、どういう理由からだろうな」
言われて初めて、グレウスは問題の場所がカッツェの所有する伯爵領であることに思い至った。
アッテカは、帝都から馬を駆けさせれば半日ほどのところにある山らしい。
一年中雪が溶けない山だと聞いたことがあるが、それほど険しい山なのだろうか。
「北風が吹き下ろすせいか、あの山は夏でもかなり冷える。夕刻の出立なら山の麓に着くのは夜中になるだろうから、一晩越して翌日の早朝から洞穴の調査だな。今の季節なら毛皮とまでは言わないが、山に入るなら厚手のマントは必須だ」
グレウスの肩を叩いて、カッツェは士官室に足を向けた。
「俺は皆に事情を伝えてから屋敷に戻って準備する。貴官は先に戻って旅装を整えて来るといい。準備出来次第、厩舎の前で待つ。奥方にもくれぐれもよろしくお伝えするように」
ラデナ国境の戦いでオルガが猛威を振るったことは、カッツェたち近衛騎士団の記憶からは消えているらしい。
しかしオルガの正体を知らないながらも、機嫌を損ねると災厄に見舞われるというのは、貴族階級の共通認識のようだ。
実際のところは災厄というよりオルガの魔法による実力行使なのだが、起こる事象としては何ら変わりない。
「わかりました……」
視界がぐらぐらと揺れるのを押し隠して、グレウスは上官の背中を見送った。
カッツェと別れた後、グレウスは厩舎へ向かおうとしたものの、目眩はだんだんひどくなるばかりだった。
子どもの頃から身体頑健で育ってきたためか、急な不調に襲われるとどうしていいのかわからない。そもそも大抵の怪我も病気も食べて寝れば解決していたので、体調が悪いという経験自体が乏しい。
こんな状態で任務に赴けるだろうかと不安がよぎる。
カッツェの弁によれば、アッテカの調査を命じられたのはグレウスの方らしい。騎士団長のカッツェは道案内のための同行だ。
洞穴には一体何があるのか。調査と言っても何を調べて、どう対処すればいいのか。
「う……」
体が熱い。
襟元を緩めながら、グレウスは風を入れるために回廊を逸れて、中庭へと足を踏み入れた。城の中には数多くの小さな庭園があり、折々に花をつける木々が植えられている。
風通しのいい木陰で立ち止まって、グレウスは襟元の留め金を二つ外した。
「――どうした、グレウス」
突然、ここにいるはずもない人間の声が間近で聞こえて、グレウスはギョッとなって振り返った。背後の木の陰に、今朝屋敷で別れてきたはずの妻の姿があった。
「オル、ガ……?」
動悸が一層激しくなる。
肩で息をつきながら、グレウスは訊ねた。
「どうして、ここに……?」
「先程の謁見の間にも居た。あの勅命は私がディルタスに出させたものだ」
幻惑の魔法を能く使うオルガは、自身の姿を認識不能にする魔法を使って、あの場にも同席していたようだ。
「アッテカに異常を感じたのでな。私が行ければいいのだが、近頃の城内は少々きな臭い気配がする。今はディルタスの側を離れるわけにはいかないだろう。私の他にあそこに入れるのは、お前しかいな――」
話しながら、木陰からオルガが一歩踏み出した。その姿が二重にぶれる。
「う、っ……!」
「グレウス!?」
息苦しさを覚えて、グレウスは上着の上から胸を掻きむしった。
動悸がする。息が苦しい。頭はぐらぐらと揺れ、手足は小刻みに震える。
それだけではない。
オルガの顔を見ると、異常が一層強くなるのだ。
「お前、まさか……!」
素早く距離を詰めたオルガが、グレウスの上着を探った。内側の隠しや両脇のスリットを確かめていたが、何もないとわかると中に着たシャツに手を掛ける。
胸や背中に手を触れて確かめていたが、ふと気づいたようにオルガはグレウスの襟元に指を入れた。襟の折り返しを探っていたオルガの指が、細長い銀の板を抓んで取り出す。
透かし彫りが刻まれた薄い銀板は、貴族や富裕層が用いる本の栞だ。
それ自体は珍しいものではないのだが、良く磨かれた表面に、今は錆のような黒い紋様が浮かび上がっていた。
「魔導具……」
オルガが赤い目を眇めた。幻の炎がその指先から広がって、浮かび上がった黒い紋様を焼き尽くす。
グレウスは後ろによろめいて、垣根の中の太い木の幹に背中を預けた。
魔導具は排除されたが、かけられた魔法の効力はまだ残っているらしく、立っているのも辛い。
「あれを、どこで誰に渡された?」
オルガの詰問に、グレウスは片手で顔を覆ったまま記憶を辿る。
今朝屋敷を出る際にあのシャツに着替えた。
午前中は通常業務で士官室を出ることもなく、昼の休憩で食堂に行き、その後は――。
「せ……聖教会、の……分室……?」
記憶が斑になって、所々が黒く欠けている。
聖教会の分室に行ったような気がするが、はっきりと思い出せない。グレウスはこめかみを押さえ、頭の芯に意識を集中した。
魔力の使い方をまったく知らなかったグレウスだが、オルガの指導を受けて、今まで無意識でしかなかった魔力防御の力を少しは自分の意志で使えるようになっている。
冷たく痺れるようなオルガの魔力を思い出しながら、頭の芯へと魔力を集中させる。
ぼんやりとしていた記憶が、徐々にはっきりした形をとり始めた。
厳しい顔つきで、カッツェが言った。
先程から感じている不調が一層強くなっていくのを感じながら、グレウスは上官に問いかけた。
「すみません、話の内容がよくわからなくて……今から準備をしてバルバドス領のアッテカというところに行くんですか?」
まさか話を聞いていなかったとは言えずに、グレウスが訊ねると、
「ああ、そうだ」
カッツェは不審そうな顔もせず、皇帝直々の任務内容について教えてくれた。
「アッテカ山の中腹にある洞穴で魔力的な異常が観測されたとのお話だったな。バルバドスはうちの領地で、アッテカにも子どもの時からよく足を運んでいる。俺は道案内役と言うことらしい。……それにしても、わざわざ貴官を指名して洞穴の調査をせよとは、どういう理由からだろうな」
言われて初めて、グレウスは問題の場所がカッツェの所有する伯爵領であることに思い至った。
アッテカは、帝都から馬を駆けさせれば半日ほどのところにある山らしい。
一年中雪が溶けない山だと聞いたことがあるが、それほど険しい山なのだろうか。
「北風が吹き下ろすせいか、あの山は夏でもかなり冷える。夕刻の出立なら山の麓に着くのは夜中になるだろうから、一晩越して翌日の早朝から洞穴の調査だな。今の季節なら毛皮とまでは言わないが、山に入るなら厚手のマントは必須だ」
グレウスの肩を叩いて、カッツェは士官室に足を向けた。
「俺は皆に事情を伝えてから屋敷に戻って準備する。貴官は先に戻って旅装を整えて来るといい。準備出来次第、厩舎の前で待つ。奥方にもくれぐれもよろしくお伝えするように」
ラデナ国境の戦いでオルガが猛威を振るったことは、カッツェたち近衛騎士団の記憶からは消えているらしい。
しかしオルガの正体を知らないながらも、機嫌を損ねると災厄に見舞われるというのは、貴族階級の共通認識のようだ。
実際のところは災厄というよりオルガの魔法による実力行使なのだが、起こる事象としては何ら変わりない。
「わかりました……」
視界がぐらぐらと揺れるのを押し隠して、グレウスは上官の背中を見送った。
カッツェと別れた後、グレウスは厩舎へ向かおうとしたものの、目眩はだんだんひどくなるばかりだった。
子どもの頃から身体頑健で育ってきたためか、急な不調に襲われるとどうしていいのかわからない。そもそも大抵の怪我も病気も食べて寝れば解決していたので、体調が悪いという経験自体が乏しい。
こんな状態で任務に赴けるだろうかと不安がよぎる。
カッツェの弁によれば、アッテカの調査を命じられたのはグレウスの方らしい。騎士団長のカッツェは道案内のための同行だ。
洞穴には一体何があるのか。調査と言っても何を調べて、どう対処すればいいのか。
「う……」
体が熱い。
襟元を緩めながら、グレウスは風を入れるために回廊を逸れて、中庭へと足を踏み入れた。城の中には数多くの小さな庭園があり、折々に花をつける木々が植えられている。
風通しのいい木陰で立ち止まって、グレウスは襟元の留め金を二つ外した。
「――どうした、グレウス」
突然、ここにいるはずもない人間の声が間近で聞こえて、グレウスはギョッとなって振り返った。背後の木の陰に、今朝屋敷で別れてきたはずの妻の姿があった。
「オル、ガ……?」
動悸が一層激しくなる。
肩で息をつきながら、グレウスは訊ねた。
「どうして、ここに……?」
「先程の謁見の間にも居た。あの勅命は私がディルタスに出させたものだ」
幻惑の魔法を能く使うオルガは、自身の姿を認識不能にする魔法を使って、あの場にも同席していたようだ。
「アッテカに異常を感じたのでな。私が行ければいいのだが、近頃の城内は少々きな臭い気配がする。今はディルタスの側を離れるわけにはいかないだろう。私の他にあそこに入れるのは、お前しかいな――」
話しながら、木陰からオルガが一歩踏み出した。その姿が二重にぶれる。
「う、っ……!」
「グレウス!?」
息苦しさを覚えて、グレウスは上着の上から胸を掻きむしった。
動悸がする。息が苦しい。頭はぐらぐらと揺れ、手足は小刻みに震える。
それだけではない。
オルガの顔を見ると、異常が一層強くなるのだ。
「お前、まさか……!」
素早く距離を詰めたオルガが、グレウスの上着を探った。内側の隠しや両脇のスリットを確かめていたが、何もないとわかると中に着たシャツに手を掛ける。
胸や背中に手を触れて確かめていたが、ふと気づいたようにオルガはグレウスの襟元に指を入れた。襟の折り返しを探っていたオルガの指が、細長い銀の板を抓んで取り出す。
透かし彫りが刻まれた薄い銀板は、貴族や富裕層が用いる本の栞だ。
それ自体は珍しいものではないのだが、良く磨かれた表面に、今は錆のような黒い紋様が浮かび上がっていた。
「魔導具……」
オルガが赤い目を眇めた。幻の炎がその指先から広がって、浮かび上がった黒い紋様を焼き尽くす。
グレウスは後ろによろめいて、垣根の中の太い木の幹に背中を預けた。
魔導具は排除されたが、かけられた魔法の効力はまだ残っているらしく、立っているのも辛い。
「あれを、どこで誰に渡された?」
オルガの詰問に、グレウスは片手で顔を覆ったまま記憶を辿る。
今朝屋敷を出る際にあのシャツに着替えた。
午前中は通常業務で士官室を出ることもなく、昼の休憩で食堂に行き、その後は――。
「せ……聖教会、の……分室……?」
記憶が斑になって、所々が黒く欠けている。
聖教会の分室に行ったような気がするが、はっきりと思い出せない。グレウスはこめかみを押さえ、頭の芯に意識を集中した。
魔力の使い方をまったく知らなかったグレウスだが、オルガの指導を受けて、今まで無意識でしかなかった魔力防御の力を少しは自分の意志で使えるようになっている。
冷たく痺れるようなオルガの魔力を思い出しながら、頭の芯へと魔力を集中させる。
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