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第三章 けだものでも、まおうでも
聖教皇ヴァルファーレン
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グレウスは一気に斜面を駆け上がった。
開けた山の中腹に躍り出ると、そこには聖教会のローブを纏った十人近い魔導師たちが、恐慌状態になって逃げ惑っていた。
地面の上には、まだ光を瞬かせる巨大な魔法陣が描かれている。熱はそこから発していたようだ。
「……ッ!?」
急に風が冷たくなった。
グレウスは低く生えた木々の間から、洞穴の入り口に目を凝らす。
入り口には人が出入りできないように結界が張られていたようだが、その拠り所となるはずの古びた縄は真っ二つに断たれていた。
――そしてその暗い穴の中から、首を伸ばした岩のような生き物の頭部が。
「……なんだ、あれは……」
グレウスは我が目を疑った。
野生の鹿の頭でも見間違えているのだろうか。
瞬きを繰り返すが、その頭はグレウスが知る、どの獣とも違う。敢えて言うならば巨大な蜥蜴に似ていた。
だが顔つきの凶暴さは、蜥蜴などの比ではない。
顔はごつごつとした固そうな鱗に覆われていて、ところどころが棘のように鋭く尖っている。頭は角のように見える突起に守られていた。生半可な武器では、あの角に弾かれてしまいそうだ。
鼻息は今目覚めたばかりのように荒々しく、真紅の目はぎょろりと光っている。口元には肉を食い千切るための鋭い牙が、ぞろりと奥まで生え揃っているのが見えた。
その口が大きく開く。
『ギャウッ!』
威嚇の声と同時に首が伸びた。
黒々とした鎧のような鱗に覆われた長い首、鉤爪を備えた二本の前足。続けて、引き締まって筋肉質な胴と下半身、長い尾が洞穴から姿を見せる。
『ギャッ、ギャッ!』
叫びながら、黒い竜は折り畳んでいた翼を広げた。体の何倍もある大きな皮膜を広げ、四本足で駆けながら襲い掛かっていく。
洞穴の正面に立つ、白い法衣の男へと。
「逃げろ――ッ!」
とっさにグレウスは剣を抜いた。
大声を上げて威嚇しながら、全速力で男と竜の間に走り込む。
『……ッ!?』
死角から突進してきたグレウスに竜は驚いたらしい。
黒い巨体がたたらを踏むように後ろに下がった。と、後ろ脚で立ち上がり上体が高々と持ち上がる。
グレウスの剣でも届かぬ高い位置から、赤い目玉が獲物を見定めるように見下ろしてきた。
長い首がしなり、口を開けた顔が眼前に迫ってくる。その鼻息を浴びて、グレウスは背後の男を庇いながら後ずさった。
「下がれッ! もっと後ろに下がるんだッ!」
後ろ脚で立ち上がった竜は、遠目に見ていた時より遥かに大きく恐ろしい生き物だった。
体躯は大柄な牛の三倍以上は優にある。
この生き物は犬のように四足で走るだけでなく、二本足でも行動できるらしい。後ろ脚で大地を踏みしめて立つ姿は安定していた。
鋭い鉤爪がついた前脚は強靭な腕のような形をしている。四本の指と向かい合う形に五本目の指があるのは、あの鉤爪がついた手が物を掴めることを示していた。
後ろ脚は猫や犬のように爪先立ちだ。大きく開いた長い指が鉤爪で大地を掴んでいる。
頭は体躯の割には小さかった。それでも、口はグレウスの頭などすっぽりと咥えて噛み砕くことができる大きさだ。
長い首は品定めするようにゆらゆらと揺れ、長く太い尾が鞭のようにしなりながら左右に振られている。飛び掛かる機会をうかがっているようだ。
冷たい風が吹きつける。
『ギャ……ギャァアアアッ!』
竜が叫び声を発した。獲物を見つけたと歓喜しているのか、巨大な翼が羽ばたく。
木々の枝が揺れ、砂煙がグレウスを襲った。
「下がれッ」
竜を見据えたまま、グレウスはさらに後ろに下がろうとした。
しかしその隣をすり抜けて、白い法衣の男が竜へと近づいていく。
「おい、戻れッ! 危ないッ!」
引き戻そうとしたグレウスに、男が振り返った。
銀糸で装飾された白い法衣の肩に、白に近い金の髪が散っている。
背は高く、体はすらりとして均整がとれていた。振り返った顔は皺深く老いてはいるが、目を見張るほど端正だ。
透き通るような青い瞳が、グレウスを見て細められた。
「近衛騎士グレウス・ロアか。なるほど、確かに魔王崩れの手先にしておくには惜しい逸材だ」
老人とも思えない、朗々とした声が発せられた。
グレウスは法衣の胸元に掛かっている紋章を目にして、目を見開く。
聖教会で最高位を表す銀の装飾――。
その姿を目にしたことがなくとも、それを身に着けている人物が何者であるかは、アスファロスの国民ならば子どもでも知っている。
「――聖教皇、ヴァルファーレン……」
茫然とその名を口にすると、人前に姿を現さない聖教会の長は、ニヤリと笑った。
ヴァルファーレンは頭を下げた黒い竜に手を伸ばし、鋭い棘を持つ顔を怖れる様子もなく撫でる。
透明な黒竜の瞼が、目を細めるように赤い眼球を覆った。
「もうすぐ真の皇帝がお目覚めになる。輝かしき銀のエルフ――我らが魔導皇アスファロト陛下が、転生の秘術により復活を果たされるのだ!」
ふわりとその体が宙を舞ったかと思うと、ヴァルファーレンの痩躯は黒竜の背にあった。
巨大な黒馬に騎乗するかのように、首の付け根に足をかけて跨ぐ。
まさか――、と見守る前で、竜が羽ばたきを始めた。白金の髪が風にたなびき、鋭く尖った耳を露わにする。
浮上し始めた黒竜の背で、ヴァルファーレンが高らかに宣言した。
「神代の復活だ! まずはこの竜が先触れとなって、玉座の汚れを払おうぞ!」
その声を合図に、黒い翼が大きく広がった。
強靭な尾が大地を叩き、一気に上空へ飛び立たんとする。
「う、ぅうおおおおお……ッ!」
その爪先が地を離れる直前、グレウスは剣を投げ捨てて黒竜の後ろ脚に飛びついた。
ものともせずに、竜は天へと舞い上がる。
「ロア――――ッ!」
駆け寄ってきたカッツェが地上で叫んでいる。だがもはや剣を投げても届かない距離だ。
「知らせを! 城に知らせを出してください――ッ!」
グレウスは叫んだ。
ほどなくして、カッツェが風魔法であげた煙玉の狼煙が広がる頃には、空を往く黒竜の体は山を見下ろす高さを飛んでいた。
開けた山の中腹に躍り出ると、そこには聖教会のローブを纏った十人近い魔導師たちが、恐慌状態になって逃げ惑っていた。
地面の上には、まだ光を瞬かせる巨大な魔法陣が描かれている。熱はそこから発していたようだ。
「……ッ!?」
急に風が冷たくなった。
グレウスは低く生えた木々の間から、洞穴の入り口に目を凝らす。
入り口には人が出入りできないように結界が張られていたようだが、その拠り所となるはずの古びた縄は真っ二つに断たれていた。
――そしてその暗い穴の中から、首を伸ばした岩のような生き物の頭部が。
「……なんだ、あれは……」
グレウスは我が目を疑った。
野生の鹿の頭でも見間違えているのだろうか。
瞬きを繰り返すが、その頭はグレウスが知る、どの獣とも違う。敢えて言うならば巨大な蜥蜴に似ていた。
だが顔つきの凶暴さは、蜥蜴などの比ではない。
顔はごつごつとした固そうな鱗に覆われていて、ところどころが棘のように鋭く尖っている。頭は角のように見える突起に守られていた。生半可な武器では、あの角に弾かれてしまいそうだ。
鼻息は今目覚めたばかりのように荒々しく、真紅の目はぎょろりと光っている。口元には肉を食い千切るための鋭い牙が、ぞろりと奥まで生え揃っているのが見えた。
その口が大きく開く。
『ギャウッ!』
威嚇の声と同時に首が伸びた。
黒々とした鎧のような鱗に覆われた長い首、鉤爪を備えた二本の前足。続けて、引き締まって筋肉質な胴と下半身、長い尾が洞穴から姿を見せる。
『ギャッ、ギャッ!』
叫びながら、黒い竜は折り畳んでいた翼を広げた。体の何倍もある大きな皮膜を広げ、四本足で駆けながら襲い掛かっていく。
洞穴の正面に立つ、白い法衣の男へと。
「逃げろ――ッ!」
とっさにグレウスは剣を抜いた。
大声を上げて威嚇しながら、全速力で男と竜の間に走り込む。
『……ッ!?』
死角から突進してきたグレウスに竜は驚いたらしい。
黒い巨体がたたらを踏むように後ろに下がった。と、後ろ脚で立ち上がり上体が高々と持ち上がる。
グレウスの剣でも届かぬ高い位置から、赤い目玉が獲物を見定めるように見下ろしてきた。
長い首がしなり、口を開けた顔が眼前に迫ってくる。その鼻息を浴びて、グレウスは背後の男を庇いながら後ずさった。
「下がれッ! もっと後ろに下がるんだッ!」
後ろ脚で立ち上がった竜は、遠目に見ていた時より遥かに大きく恐ろしい生き物だった。
体躯は大柄な牛の三倍以上は優にある。
この生き物は犬のように四足で走るだけでなく、二本足でも行動できるらしい。後ろ脚で大地を踏みしめて立つ姿は安定していた。
鋭い鉤爪がついた前脚は強靭な腕のような形をしている。四本の指と向かい合う形に五本目の指があるのは、あの鉤爪がついた手が物を掴めることを示していた。
後ろ脚は猫や犬のように爪先立ちだ。大きく開いた長い指が鉤爪で大地を掴んでいる。
頭は体躯の割には小さかった。それでも、口はグレウスの頭などすっぽりと咥えて噛み砕くことができる大きさだ。
長い首は品定めするようにゆらゆらと揺れ、長く太い尾が鞭のようにしなりながら左右に振られている。飛び掛かる機会をうかがっているようだ。
冷たい風が吹きつける。
『ギャ……ギャァアアアッ!』
竜が叫び声を発した。獲物を見つけたと歓喜しているのか、巨大な翼が羽ばたく。
木々の枝が揺れ、砂煙がグレウスを襲った。
「下がれッ」
竜を見据えたまま、グレウスはさらに後ろに下がろうとした。
しかしその隣をすり抜けて、白い法衣の男が竜へと近づいていく。
「おい、戻れッ! 危ないッ!」
引き戻そうとしたグレウスに、男が振り返った。
銀糸で装飾された白い法衣の肩に、白に近い金の髪が散っている。
背は高く、体はすらりとして均整がとれていた。振り返った顔は皺深く老いてはいるが、目を見張るほど端正だ。
透き通るような青い瞳が、グレウスを見て細められた。
「近衛騎士グレウス・ロアか。なるほど、確かに魔王崩れの手先にしておくには惜しい逸材だ」
老人とも思えない、朗々とした声が発せられた。
グレウスは法衣の胸元に掛かっている紋章を目にして、目を見開く。
聖教会で最高位を表す銀の装飾――。
その姿を目にしたことがなくとも、それを身に着けている人物が何者であるかは、アスファロスの国民ならば子どもでも知っている。
「――聖教皇、ヴァルファーレン……」
茫然とその名を口にすると、人前に姿を現さない聖教会の長は、ニヤリと笑った。
ヴァルファーレンは頭を下げた黒い竜に手を伸ばし、鋭い棘を持つ顔を怖れる様子もなく撫でる。
透明な黒竜の瞼が、目を細めるように赤い眼球を覆った。
「もうすぐ真の皇帝がお目覚めになる。輝かしき銀のエルフ――我らが魔導皇アスファロト陛下が、転生の秘術により復活を果たされるのだ!」
ふわりとその体が宙を舞ったかと思うと、ヴァルファーレンの痩躯は黒竜の背にあった。
巨大な黒馬に騎乗するかのように、首の付け根に足をかけて跨ぐ。
まさか――、と見守る前で、竜が羽ばたきを始めた。白金の髪が風にたなびき、鋭く尖った耳を露わにする。
浮上し始めた黒竜の背で、ヴァルファーレンが高らかに宣言した。
「神代の復活だ! まずはこの竜が先触れとなって、玉座の汚れを払おうぞ!」
その声を合図に、黒い翼が大きく広がった。
強靭な尾が大地を叩き、一気に上空へ飛び立たんとする。
「う、ぅうおおおおお……ッ!」
その爪先が地を離れる直前、グレウスは剣を投げ捨てて黒竜の後ろ脚に飛びついた。
ものともせずに、竜は天へと舞い上がる。
「ロア――――ッ!」
駆け寄ってきたカッツェが地上で叫んでいる。だがもはや剣を投げても届かない距離だ。
「知らせを! 城に知らせを出してください――ッ!」
グレウスは叫んだ。
ほどなくして、カッツェが風魔法であげた煙玉の狼煙が広がる頃には、空を往く黒竜の体は山を見下ろす高さを飛んでいた。
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