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第三章 けだものでも、まおうでも
雪積もる山、アッテカ
出立の準備は思ったよりも早く整い、グレウスとカッツェはまだ日が高いうちに帝都の城門を出ることができた。
カッツェが治めるバルバドス伯爵領は、帝都の北側に位置している。
街道沿いに馬を進めて宿場町を一つ越し、大きな河を渡った先がその領地だ。
河を過ぎてしばらくすると、街道は細くなり、緩やかな上り傾斜になっていく。
切り取られたような黒い山の稜線が見えたのは、陽が落ちて空が暗い青に変わっていく頃合いだった。
「思ったよりは早く着いたが、さすがに今日の探索は無理だな」
暗くなった山を見上げてカッツェが言う。
年中雪が溶けないと聞いていたので、さぞかし高い山かと思っていたのだが、アッテカ山は意外となだらかで低い山だった。あれなら子どもでも頂上まで登れそうだ。
「今日はこのあたりで野営にしよう。これ以上山に入るとかなり冷えるからな」
自身の領地だけあって、カッツェはこの山にも詳しいようだ。麓のあたりの多少開けた場所で、馬から降りて野営の準備を始める。
グレウスも荷物を下して馬を身軽にしてやってから、乾いた枝を集めた。
「それにしても、洞穴で何を調べてくればいいんでしょうか」
枝を組み、火を起こしながらポツリと尋ねると、カッツェが驚いたように振り返った。
「知っているんじゃなかったのか!? 陛下が洞穴の中へは貴官一人で入るようにと仰っていたから、てっきり内々で聞いているものだと思っていたぞ」
「いえ、すみません……実はあの勅命の時、とある事情で意識がもうろうとしていて……俺の方こそ団長が詳しい話をご存じだと思っていました」
「本当か……」
火を囲みながら、二人の近衛騎士は沈黙した。
まさか二人きりの特殊任務で、二人ともが任務の詳細を把握していないとは思いもよらない事態だ。
「まぁ……ひとまず見に行くしかあるまい。何か異常があればすぐに知らせよと仰っていたからな……」
「そう、ですね……パッと見て異常かどうかわかると良いんですが……」
「……」
「……」
「寝るか」
「はい。明日、早く出発しましょう」
厚手の外套を体に巻き付けて、カッツェが火の側に寝転がった。
周囲には獣避けの簡単な結界を張ったと教えられたが、グレウスが側にいるので、おそらくその結界は無効だろう。
幸い、グレウスは体力にだけは自信がある。
座ったまま目を閉じる程度で、二晩や三晩は十分に持つ。今夜は寝ずの番をするつもりだ。
大きくなってきた火に枝をくべながら、グレウスは帝都がある方の空を眺めた。
後数か月で結婚して一年になるが、オルガと離れて眠った夜はほとんどない。城に残らねばならないと言っていたオルガは、今夜はちゃんと眠れているのだろうか。
あの肌が恋しい――。
山から吹き下ろす冷たい風に身を竦めながら、グレウスは愛しい伴侶の姿を思い浮かべた。
日が昇るよりも早い時間にカッツェは目を覚ました。
二人は薄暗がりの中、携帯食で手早く朝食を済ませ、火の始末をして馬に跨った。
地元の人間が踏み均したらしい道を、馬に乗ったまま登っていく。
野営した麓のあたりは風さえなければ寒いとも思わなかったのだが、山に登り始めると明らかに気温が低くなった。上の方から吹き下ろしてくる風が冷たい。馬が吐く息も徐々に白さを増している。
「本当にこの山の中は寒いんですね」
「ああ、子どもの頃はよく保冷用の雪を取りに行かされたよ。洞穴の中は昔から立ち入り禁止なので入らなかったが、その近くまで登ると結構雪や氷が残って……」
と、カッツェが言葉を途切れさせた。
グレウスも耳を澄ませる。上の方から、人の気配と声がした。
声を潜めて、グレウスは訊ねる。
「地元の子どもですかね……?」
「いや……魔導師、か……」
カッツェの言う通り、途切れ途切れに聞こえる声は呪文を唱えているようだ。しかもかなりの人数で唱和している。
「……馬を」
グレウスが視線で林の中を示すと、カッツェも頷いた。
これ以上馬で進めば、上にいる魔導師たちに存在を知らせることになる。
夏至の事件の真相も明らかにならないままだ。万が一聖教会がディルタスへの反乱でも企んでいるのなら、慎重に進むべきだろう。
二人は馬を降りて、山道を外れた林の中に手綱を繋いだ。動きの邪魔になる外套も脱ぎ、馬の背に括りつける。
動きやすい姿になって剣帯を締め直した時、グレウスは気づいた。
先程まで登ってきた道と比べて、明らかに空気が温かいのだ。
熱は上の方から降りてくる。
「火の魔法だな……」
上を睨みながら、カッツェが言った。
標高のわりにやけに寒い山と、その山で唱えられる火の魔法。
カッツェは狼煙の用意を確認していた。
色のついた粉で、何かあればカッツェがこれを風魔法で上空に打ち上げる。帝都では塔に上った近衛騎士が、遠眼鏡を使ってこちらを監視しているはずだ。
「俺が先に行きます。団長は狼煙の準備を」
グレウスも普通に煙の出る狼煙を持たされてはいるが、魔法を使えない分、準備に時間がかかる。敵か味方かもわからない集団が上にいるのだから、ぐずぐずしている暇はない。
どのみち洞穴の中の調査はグレウス一人に任されていたのだ。カッツェには連絡係としての任を果たしてもらいたい。
「わかった。洞穴まではそれほど遠くない。道を行かずに斜面を登っていこう」
「はい」
相手に見つかるのを避けるため、二人は道のない斜面を登ることにした。木々に掴まりながら上を目指す。
幸いこの山はさほど切り立っているわけでもなく、足場もしっかりしている。上で使われている火魔法の影響か、雪もほとんど見当たらない。
カッツェが方角を指し示し、グレウスが先行して登っていく。
しばらく登ると、上から明らかに不自然な熱風が感じられるようになった。魔導師たちの唱和の声もはっきりと聞こえる。
もう少しで斜面を登りきるというあたりまで進んだ時――。
不意に唱和が途切れた。
その代わりに聞こえてきたのは、耳にしたこともないような低い唸り声だ。
グルルルル……。
大きな唸り声が腹に響く。
かなり大きな獣がいるのかと警戒した時、
「――竜だ!」
魔導師たちの悲鳴が聞こえた。
カッツェが治めるバルバドス伯爵領は、帝都の北側に位置している。
街道沿いに馬を進めて宿場町を一つ越し、大きな河を渡った先がその領地だ。
河を過ぎてしばらくすると、街道は細くなり、緩やかな上り傾斜になっていく。
切り取られたような黒い山の稜線が見えたのは、陽が落ちて空が暗い青に変わっていく頃合いだった。
「思ったよりは早く着いたが、さすがに今日の探索は無理だな」
暗くなった山を見上げてカッツェが言う。
年中雪が溶けないと聞いていたので、さぞかし高い山かと思っていたのだが、アッテカ山は意外となだらかで低い山だった。あれなら子どもでも頂上まで登れそうだ。
「今日はこのあたりで野営にしよう。これ以上山に入るとかなり冷えるからな」
自身の領地だけあって、カッツェはこの山にも詳しいようだ。麓のあたりの多少開けた場所で、馬から降りて野営の準備を始める。
グレウスも荷物を下して馬を身軽にしてやってから、乾いた枝を集めた。
「それにしても、洞穴で何を調べてくればいいんでしょうか」
枝を組み、火を起こしながらポツリと尋ねると、カッツェが驚いたように振り返った。
「知っているんじゃなかったのか!? 陛下が洞穴の中へは貴官一人で入るようにと仰っていたから、てっきり内々で聞いているものだと思っていたぞ」
「いえ、すみません……実はあの勅命の時、とある事情で意識がもうろうとしていて……俺の方こそ団長が詳しい話をご存じだと思っていました」
「本当か……」
火を囲みながら、二人の近衛騎士は沈黙した。
まさか二人きりの特殊任務で、二人ともが任務の詳細を把握していないとは思いもよらない事態だ。
「まぁ……ひとまず見に行くしかあるまい。何か異常があればすぐに知らせよと仰っていたからな……」
「そう、ですね……パッと見て異常かどうかわかると良いんですが……」
「……」
「……」
「寝るか」
「はい。明日、早く出発しましょう」
厚手の外套を体に巻き付けて、カッツェが火の側に寝転がった。
周囲には獣避けの簡単な結界を張ったと教えられたが、グレウスが側にいるので、おそらくその結界は無効だろう。
幸い、グレウスは体力にだけは自信がある。
座ったまま目を閉じる程度で、二晩や三晩は十分に持つ。今夜は寝ずの番をするつもりだ。
大きくなってきた火に枝をくべながら、グレウスは帝都がある方の空を眺めた。
後数か月で結婚して一年になるが、オルガと離れて眠った夜はほとんどない。城に残らねばならないと言っていたオルガは、今夜はちゃんと眠れているのだろうか。
あの肌が恋しい――。
山から吹き下ろす冷たい風に身を竦めながら、グレウスは愛しい伴侶の姿を思い浮かべた。
日が昇るよりも早い時間にカッツェは目を覚ました。
二人は薄暗がりの中、携帯食で手早く朝食を済ませ、火の始末をして馬に跨った。
地元の人間が踏み均したらしい道を、馬に乗ったまま登っていく。
野営した麓のあたりは風さえなければ寒いとも思わなかったのだが、山に登り始めると明らかに気温が低くなった。上の方から吹き下ろしてくる風が冷たい。馬が吐く息も徐々に白さを増している。
「本当にこの山の中は寒いんですね」
「ああ、子どもの頃はよく保冷用の雪を取りに行かされたよ。洞穴の中は昔から立ち入り禁止なので入らなかったが、その近くまで登ると結構雪や氷が残って……」
と、カッツェが言葉を途切れさせた。
グレウスも耳を澄ませる。上の方から、人の気配と声がした。
声を潜めて、グレウスは訊ねる。
「地元の子どもですかね……?」
「いや……魔導師、か……」
カッツェの言う通り、途切れ途切れに聞こえる声は呪文を唱えているようだ。しかもかなりの人数で唱和している。
「……馬を」
グレウスが視線で林の中を示すと、カッツェも頷いた。
これ以上馬で進めば、上にいる魔導師たちに存在を知らせることになる。
夏至の事件の真相も明らかにならないままだ。万が一聖教会がディルタスへの反乱でも企んでいるのなら、慎重に進むべきだろう。
二人は馬を降りて、山道を外れた林の中に手綱を繋いだ。動きの邪魔になる外套も脱ぎ、馬の背に括りつける。
動きやすい姿になって剣帯を締め直した時、グレウスは気づいた。
先程まで登ってきた道と比べて、明らかに空気が温かいのだ。
熱は上の方から降りてくる。
「火の魔法だな……」
上を睨みながら、カッツェが言った。
標高のわりにやけに寒い山と、その山で唱えられる火の魔法。
カッツェは狼煙の用意を確認していた。
色のついた粉で、何かあればカッツェがこれを風魔法で上空に打ち上げる。帝都では塔に上った近衛騎士が、遠眼鏡を使ってこちらを監視しているはずだ。
「俺が先に行きます。団長は狼煙の準備を」
グレウスも普通に煙の出る狼煙を持たされてはいるが、魔法を使えない分、準備に時間がかかる。敵か味方かもわからない集団が上にいるのだから、ぐずぐずしている暇はない。
どのみち洞穴の中の調査はグレウス一人に任されていたのだ。カッツェには連絡係としての任を果たしてもらいたい。
「わかった。洞穴まではそれほど遠くない。道を行かずに斜面を登っていこう」
「はい」
相手に見つかるのを避けるため、二人は道のない斜面を登ることにした。木々に掴まりながら上を目指す。
幸いこの山はさほど切り立っているわけでもなく、足場もしっかりしている。上で使われている火魔法の影響か、雪もほとんど見当たらない。
カッツェが方角を指し示し、グレウスが先行して登っていく。
しばらく登ると、上から明らかに不自然な熱風が感じられるようになった。魔導師たちの唱和の声もはっきりと聞こえる。
もう少しで斜面を登りきるというあたりまで進んだ時――。
不意に唱和が途切れた。
その代わりに聞こえてきたのは、耳にしたこともないような低い唸り声だ。
グルルルル……。
大きな唸り声が腹に響く。
かなり大きな獣がいるのかと警戒した時、
「――竜だ!」
魔導師たちの悲鳴が聞こえた。
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