【完結】恋人になりたかった

ivy

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価値観

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「……ここ?」

 大地に案内されて辿り着いたのは、洗練された雰囲気のデザイナーズマンションだった。

「……僕の家なんて、築四十年のボロアパートなのに」

「でも、内装はリノベーションされてて綺麗だったじゃないか。……どうぞ、入って」

「まあ、そうだけど……お邪魔します」

 靴を脱いで部屋に入ると、広めのリビングが目に入る。
 中央にテーブルが置かれ、その周りを囲むように大きなソファが三つも並んでいた。

「……座るところ、たくさんあるね」

「ああ。友達がよく集まるんだ」

「そっか」

 そう答えながら、勧められるままにソファの一つに腰を下ろし、部屋を見渡す。
 シンプルで家具は少ないが、棚には酒瓶がやたらと多い。
 そして、隅にまとめて置かれた、いくつかの化粧品。

(大地が使う……?いや、違うよな)

 胸の奥が、ざわりと揺れた。
 けれど、嫉妬だなんて――そんな立場でもないと、すぐに自分を戒める。

「ちょっと隣の部屋で資料だけまとめてくる。待っててくれる? 部屋のものは自由に使っていいし、冷蔵庫に飲み物もあるから」

「うん、ありがとう」

 パタン、とドアが閉まる。
 手持ち無沙汰になった僕は、カーテンを開けて窓の外を眺めた。

 それなりの高層階で、見晴らしは申し分ない。

「……水でももらおうかな」

 そう思って洗面所へ向かい、手を洗おうとしたところで、可愛らしい歯ブラシ立てに目が止まった。
 そこには、色とりどりの歯ブラシが何本も並んでいる。

(……まさか、僕以外にも)

 先ほど目にした化粧品のことが、頭をよぎる。

(いや……やましいことがあれば、僕を部屋に連れてきたりしない。友達がよく来るって言ってたし、そのせいだよな)

 そう思おうとするのに、気持ちは晴れない。

 歯ブラシがあるということは――
 自分以外の誰かが、この部屋に来て、泊まっているということだ。

(……落ち着け。僕に友達がいないから、理解できないだけだ)

 友達とは、そういうものなのだろう。
 僕は無理やり、そう自分に納得させた。

「……律?どこ?」

「あっ」

 いつの間にか考え込んでいたらしい。
 慌てて洗面所を出る。

「ごめん、待たせて。こっちにおいで」

「あ、うん」

 ソファに呼ばれ、肩を抱かれる。
 そっと触れる唇。優しいキス。

 シャツの裾から入り込む指先が、迷いなく、僕の弱いところを探ってくる。

「……大地」

「寝室、行く?」

「……ん」





 寝室はリビングよりもずっと静かだった。
 落ち着いた色合いのベッドと、間接照明の柔らかな光。
 ここでも生活感は整っていて、誰かの匂いは残っていない。

 安心しかけた、そのときだった。

 ベッドボードの隅の方、銀色の光が落ちているのが目に入った。

「……これ」

 指先でつまみ上げたのは、小ぶりなピアス。
 それも片方だけ。

 胸の奥が、ひやりと冷えた。

「どうした?」

 大地は気づくと、特に驚いた様子もなく覗き込んだ。

「ああ……元カノのだと思う。忘れてったんだろうね」

 軽い声だった。
 本当に、それだけの出来事のように。

「……元、カノ」

 その言葉を繰り返した瞬間、今まで積み重ねてきた違和感が、大きく膨らんだ。

「ねえ、大地……」

 喉が詰まって、うまく声が出ない。

「この部屋……歯ブラシもたくさんあったし、化粧品もあって……」

 自分でも驚くほど、声が震えていた。

「もしかして、僕……特別じゃない?」

 一瞬、空気が止まる。

 けれど大地は、困ったように笑っただけだった。

「ああ……ごめん。先に言っておけばよかったね」

 責める様子も、焦る様子もない。

「俺、自由恋愛なんだ」

「……自由、恋愛?」

「うん。男でも女でも好きになるし、誰か一人に縛られない。そういう付き合い方をしてきた」

 胸が、ぎゅっと締めつけられる。

「……じゃあ、僕とは」

「律のことは大好きだよ。バーで見かけてずっといいなって思ってた」

 即答だった。
 迷いも、嘘も感じられない。

「でも、恋人って形にこだわってないだけ」

 その言葉は、僕の心に鋭く突き刺さった。

「……ごめん、そういうの嫌だった?」

 大地は、静かにそう聞いた。

「律が嫌なら、他の人とセックスはしない。そこはセンシティブな問題だからお互いのすり合わせが大事だと思ってる。病気の心配もあるだろうし」

 選択肢を渡された気がした。
 けれど、そこにあるのは感情ではなく事務的な確認。

(それでも嫌だって言ったら……この人はいなくなる)

 そんな考えが、先に浮かんでしまう。

「……分かった。大地が僕を尊重してくれるなら僕も大地を理解したい」

 大地は一瞬だけ目を細めて、それ以上何も言わなかった。
 ただ、そっと抱き寄せられる。

「ありがとう」

 囁く声は、変わらず優しい。

 そのまま、思考は流されていった。

 ――その夜のことを、律は後になっても、うまく思い出せなかった。
 温もりも、キスも、言葉も、全部が自分であって、自分ではなかった気がした。
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