追放された香りの令嬢は、氷の宰相に溺愛されています ~政略結婚のはずが、心まで奪われました~

深山きらら

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第一章 追放 ― 令嬢は都を追われる

差し出された選択肢

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 時間が、止まった。
 叔父の息を呑む音が、やけに大きく響いた。
 屋敷の空気そのものが固まったかのような沈黙。

「……はい?」

 自分の口から漏れた間の抜けた声が、まるで他人のもののように聞こえる。

 バートラムは微動だにせず、冷静な口調で続けた。

「誤解のないように言っておくが、これは恋愛感情に基づくものではない。必要なのは、君の『香りの魔法』だ、リシェル嬢」

 氷のような言葉。
 しかしその奥に、鉄の意志がある。

「王都は今や嘘と陰謀の匂いで満ちている。君の力は、それを見抜く鍵となる。だから私は、君を妻として迎えたい。──これは、国のための提案だ」

 リシェルは、息をすることも忘れて彼を見つめた。
 焦げた鉄と檜の香りが、ゆっくりと近付いてくる。

「その代わり私は、持てるすべての力をもって、君と君のご家族を守る。グランベール家を取りつぶさせたりはしない。たとえ敵がどれだけ強大でも、だ。……何者かが、君の調合した香水に毒を入れたのだ。君に疑いをかけようとして。君に対して、あるいはグランベール家に対して、悪意を抱いている者が王宮内にいる。その者をあぶり出すことは……私の目的でもある」

 こちらをみつめる、冷たい意志に満ちたまなざし。感情のこもらない声。
 しかし、彼の言葉が、リシェルの中の何かに火をつけた。

 いつものように背筋を伸ばし、まっすぐな視線で彼をみつめ返した。

「その、共通の『敵』に対抗するために、手を組む、ということですか」

 「敵」という語が口になじまなくて、つい、ためらってしまう。
 バートラムがほんの少しだけ眉を上げた。感心した様子が伝わってくる。

「話が早くて助かる」

「……もしわたしがお断りしたら、どうなりますか?」

「君はこのまま、この地で『病気療養』を続けるだろう。何年も……都の人々が君のことを忘れ去るまで。だが、君や君のご家族が再び標的にされないという保証はない。それに──」

 彼は、わずかに声を低くした。

「君にかけられた濡れ衣は、永遠に晴れない」

 その一言が、リシェルの心臓を射抜いた。

 グランベール家の名。
 調香師としての誇り。
 二度と、王都に戻ることのできない未来。

 リシェルは、静かに目を伏せる。
 胸の奥で、白百合の香りが揺れた気がした。

「契約だ、リシェル・グランベール嬢」

 バートラムの声が、真っ直ぐに届く。

「期限は一年。
 その間、君は宰相夫人として王都に戻り、私と共に陰謀の匂いを嗅ぎ分ける。
 一年が過ぎた後どうするかは……そのとき改めて選べばいい」

 選べばいい、と彼は言った。
 だが、選択肢は本当にあるのだろうか。

(わたしはもう、一度目の選択に失敗している)

 王妃の命に従い、香りを作り、結果として王太子を危険にさらした。
 何も言わずに、追放を受け入れた。
 すべて、受け身で、流されるままだった。

 これからも、そうやって生きるのか。それとも──。

 リシェルは、ゆっくりと顔を上げた。
 灰色の瞳と、まっすぐに視線がぶつかる。

 辺境の空気の中に、檜と鉄と、そして自分の白百合の香りが混ざる。
 追放された令嬢と、氷の宰相。
 交わるはずのなかった二つの香りが、静かに混ざり始めていた。

「……分かりました、宰相閣下」

 リシェルは、ゆっくりと頭を垂れた。

「わたしを、あなたの妻としてお迎えください」



 それが、リシェルの二度目の選択。
 それが正しいのかどうかは、まだ誰にもわからないことだった。
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