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永遠の香り-約束の朝
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春の光が王都を包むころ、
香水商会《ラ・ルミエール》はすっかり街の象徴となっていた。
店の前を通れば、必ずふんわりと優しい香りが漂う。
それは「恋を呼ぶ香り」とも「成功を運ぶ香り」とも噂され、
王族から平民までが訪れるようになっていた。
イザベラ・ヘルヴィッツ――
かつて婚約破棄され、名誉を失った貴族令嬢。
今や“王都で最も注目される女性実業家”として知られている。
朝の店内。
陽光がショーケースの瓶を照らし、
ガラスの中で虹色の光が踊っていた。
「……今日もいい香り」
イザベラは小さく微笑み、カウンターに並ぶ瓶を整える。
従業員の少女が、少し照れたように言った。
「新作の“黎明”、評判すごいですよ!
貴婦人たち、皆『心が軽くなる香り』って」
「嬉しいわね。
でも、本当に素敵なのは――それを作ってくれたみんなの努力よ」
イザベラはそう言って、静かに瓶に触れた。
あの頃、何もかも失って絶望していた自分を思い出す。
でも、今は違う。
この香りを通して、人の笑顔を見られることが何より嬉しかった。
午後になると、王立議会からの来客があった。
黒い外套をまとい、落ち着いた瞳を持つ男性――カイル・フェルナー。
「イザベラ、仕事中か?」
「ええ。でも、あなたが来てくれるなら、少しくらい休憩します」
彼は軽く笑い、テーブルに一枚の封書を置いた。
「正式な通達だ。
君の商会、《王立商業連盟》の加盟が承認された」
イザベラは目を丸くした。
「それって……!」
「ああ。これで、王国全土での販売が可能になる」
胸の奥からこみ上げるものを抑えきれず、
イザベラは思わず彼に駆け寄った。
「ありがとう、カイル……!」
「礼を言うのは俺の方だ。
君が諦めなかったから、ここまで来られた」
イザベラが彼を見上げる。
あの夜、彼の腕に抱かれた時の温もりが蘇る。
「あなたがいなかったら、私は――」
「俺がいなくても、君はきっと立ち上がってたさ」
彼は少し照れたように目を伏せ、
それから静かに言った。
「でも、俺は……その瞬間を隣で見ていたかったんだ」
イザベラの胸がじんわりと熱くなる。
彼の言葉は、どんな香りよりも温かく、優しかった。
夕暮れ。
店を閉めたあと、二人は王都の外れにある丘へと向かった。
かつて“月のしずく”の花を見つけた場所だ。
丘の上には、夜風に揺れる花々。
淡い銀の光が、二人を包んでいた。
「……最初にここへ来たとき、
あなたは“香りには人の心を変える力がある”って言ったわね」
「ああ」
「本当にその通りだった」
イザベラは夜空を見上げる。
あの時、理不尽に婚約を破棄され、すべてを失った自分が――
今はこうして、未来を見つめている。
「香りも、人も……きっと変われるのね」
「そうだな。君がそれを証明した」
カイルがそっと彼女の肩を抱く。
イザベラはその腕に身を預け、静かに言った。
「ねえ、カイル。
この丘に“約束の香り”を作りたいの」
「約束の香り?」
「ええ。私たちの始まりを忘れないように。
誰かがこの香りを嗅いだ時、
“信じる力”を思い出せるような香りを」
カイルは微笑み、彼女の髪を撫でた。
「それなら、俺も調香に協力しよう」
「ふふ、官僚さんが香料を?」
「公務のあとでな。……副業は禁止されてないだろ?」
二人は笑い合い、風がやさしく吹き抜けた。
そして――翌朝。
新しい瓶に“約束の香り”が詰められた。
それは透明で、ほのかに光を帯びている。
甘すぎず、凛としていて、
まるで“希望”そのもののような香りだった。
「完成ね」
「ああ。君にぴったりの香りだ」
カイルが瓶を手に取り、
彼女の耳元に囁く。
「この香りが消えるころ、またここで会おう」
「……またって、何度でも?」
「何度でも」
イザベラは微笑み、そっと彼の胸に顔を寄せた。
風が二人の間を通り抜ける。
香りが空へと溶けていく――
永遠に続く、約束のように。
――それから幾年。
王都では今も、《ラ・ルミエール》の香りが人々を包んでいる。
恋に悩む者、夢に迷う者、
その誰もが「希望の香り」を求めて、店を訪れるという。
そして店の奥、ガラス棚の最上段には、
今もひとつの瓶が飾られている。
名は、《約束の香り》。
――創業者イザベラと、その伴侶カイルによって調香された、
王国で最も永く愛される香り。
彼女は今日も、店の扉を開けて言う。
「ようこそ、《ラ・ルミエール》へ。
あなたの“新しい朝”を探しに来たのね?」
その微笑みは、
どんな香りよりも、あたたかかった。【完】
香水商会《ラ・ルミエール》はすっかり街の象徴となっていた。
店の前を通れば、必ずふんわりと優しい香りが漂う。
それは「恋を呼ぶ香り」とも「成功を運ぶ香り」とも噂され、
王族から平民までが訪れるようになっていた。
イザベラ・ヘルヴィッツ――
かつて婚約破棄され、名誉を失った貴族令嬢。
今や“王都で最も注目される女性実業家”として知られている。
朝の店内。
陽光がショーケースの瓶を照らし、
ガラスの中で虹色の光が踊っていた。
「……今日もいい香り」
イザベラは小さく微笑み、カウンターに並ぶ瓶を整える。
従業員の少女が、少し照れたように言った。
「新作の“黎明”、評判すごいですよ!
貴婦人たち、皆『心が軽くなる香り』って」
「嬉しいわね。
でも、本当に素敵なのは――それを作ってくれたみんなの努力よ」
イザベラはそう言って、静かに瓶に触れた。
あの頃、何もかも失って絶望していた自分を思い出す。
でも、今は違う。
この香りを通して、人の笑顔を見られることが何より嬉しかった。
午後になると、王立議会からの来客があった。
黒い外套をまとい、落ち着いた瞳を持つ男性――カイル・フェルナー。
「イザベラ、仕事中か?」
「ええ。でも、あなたが来てくれるなら、少しくらい休憩します」
彼は軽く笑い、テーブルに一枚の封書を置いた。
「正式な通達だ。
君の商会、《王立商業連盟》の加盟が承認された」
イザベラは目を丸くした。
「それって……!」
「ああ。これで、王国全土での販売が可能になる」
胸の奥からこみ上げるものを抑えきれず、
イザベラは思わず彼に駆け寄った。
「ありがとう、カイル……!」
「礼を言うのは俺の方だ。
君が諦めなかったから、ここまで来られた」
イザベラが彼を見上げる。
あの夜、彼の腕に抱かれた時の温もりが蘇る。
「あなたがいなかったら、私は――」
「俺がいなくても、君はきっと立ち上がってたさ」
彼は少し照れたように目を伏せ、
それから静かに言った。
「でも、俺は……その瞬間を隣で見ていたかったんだ」
イザベラの胸がじんわりと熱くなる。
彼の言葉は、どんな香りよりも温かく、優しかった。
夕暮れ。
店を閉めたあと、二人は王都の外れにある丘へと向かった。
かつて“月のしずく”の花を見つけた場所だ。
丘の上には、夜風に揺れる花々。
淡い銀の光が、二人を包んでいた。
「……最初にここへ来たとき、
あなたは“香りには人の心を変える力がある”って言ったわね」
「ああ」
「本当にその通りだった」
イザベラは夜空を見上げる。
あの時、理不尽に婚約を破棄され、すべてを失った自分が――
今はこうして、未来を見つめている。
「香りも、人も……きっと変われるのね」
「そうだな。君がそれを証明した」
カイルがそっと彼女の肩を抱く。
イザベラはその腕に身を預け、静かに言った。
「ねえ、カイル。
この丘に“約束の香り”を作りたいの」
「約束の香り?」
「ええ。私たちの始まりを忘れないように。
誰かがこの香りを嗅いだ時、
“信じる力”を思い出せるような香りを」
カイルは微笑み、彼女の髪を撫でた。
「それなら、俺も調香に協力しよう」
「ふふ、官僚さんが香料を?」
「公務のあとでな。……副業は禁止されてないだろ?」
二人は笑い合い、風がやさしく吹き抜けた。
そして――翌朝。
新しい瓶に“約束の香り”が詰められた。
それは透明で、ほのかに光を帯びている。
甘すぎず、凛としていて、
まるで“希望”そのもののような香りだった。
「完成ね」
「ああ。君にぴったりの香りだ」
カイルが瓶を手に取り、
彼女の耳元に囁く。
「この香りが消えるころ、またここで会おう」
「……またって、何度でも?」
「何度でも」
イザベラは微笑み、そっと彼の胸に顔を寄せた。
風が二人の間を通り抜ける。
香りが空へと溶けていく――
永遠に続く、約束のように。
――それから幾年。
王都では今も、《ラ・ルミエール》の香りが人々を包んでいる。
恋に悩む者、夢に迷う者、
その誰もが「希望の香り」を求めて、店を訪れるという。
そして店の奥、ガラス棚の最上段には、
今もひとつの瓶が飾られている。
名は、《約束の香り》。
――創業者イザベラと、その伴侶カイルによって調香された、
王国で最も永く愛される香り。
彼女は今日も、店の扉を開けて言う。
「ようこそ、《ラ・ルミエール》へ。
あなたの“新しい朝”を探しに来たのね?」
その微笑みは、
どんな香りよりも、あたたかかった。【完】
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