【完結】『月の影、刃の舞 ~女武芸者の隠された使命~』

月影 朔

文字の大きさ
48 / 95
第三章:京への帰還、迫る刺客の刃

第七話:第二の刺客「紅蜘蛛」

しおりを挟む
 奉行所の庭での戦いは、皐月の新たな剣技によって、怪力の僧兵・鉄斎を打ち破るという形で幕を閉じた。

 右京は、捕縛された鉄斎を厳重に尋問するため、奉行所内の牢へと送らせた。
しかし、さつきたちの心には、新たな警戒感が生まれていた。黒曜会は、一度の失敗で諦めるような組織ではない。

「鉄斎は、ただの力任せの男ではなかった。奴らの送り込む刺客は、一人として同じ手合いではないだろう」
 さつきは、鞘に収めた刀の柄に手を置き、静かに呟いた。

「そうだな。あの鉄斎も、一筋縄ではいかねぇ相手だった。次はどんな奴が来るのやら…」

 藤次郎が、肩を回しながら言った。まだ完全に癒えていない傷が、時折彼を苦しめているようだった。

 その日の夜、京の町は、闇に深く包まれていた。奉行所の周囲は、鉄斎の一件以来、右京の指示で厳重な警戒が敷かれていたが、闇に潜む影は、人間の目を嘲笑うかのように、巧みに忍び寄っていた。

 小夜は、情報収集のため、町で聞き込みをしていた。最近、京の町では、原因不明の体調不良を訴える者が増えているという噂が広まっていた。それは、一条兼定の症状と酷似しており、小夜の胸には、嫌な予感がよぎっていた。

「おかしいな…。何かが、町に…」

 小夜は、路地裏の影に身を潜めながら、周囲の空気を探っていた。普段ならば感じ取れるはずの、京の町の活気が、どこか澱んでいるように感じられたのだ。

 その時、小夜の鼻腔を、微かに甘く、しかし、どこか異様な香りが掠めた。それは、以前、琵琶湖で黒曜会の連絡役が所持していた、毒の匂いに似ていた。

「この匂いは…まさか!」
 小夜は、ハッと顔を上げた。彼女の目は、暗闇の中を鋭く見つめる。

 次の瞬間、彼女の背後から、風を切るような音がした。小夜は、とっさに身を翻したが、その腕に、チクリとした痛みが走った。見れば、腕には、細い針のようなものが刺さっていた。

「くっ…!」

 小夜は、刺さった針を引き抜いた。針の先には、わずかに光る液体が付着していた。その液体からは、先ほど感じた甘い匂いが、より一層強く放たれている。

 そこには、闇に溶け込むような黒装束の女が立っていた。その女は、まるで蜘蛛のように、しなやかで身軽な動きで、小夜の背後に忍び寄ったのだ。彼女の指先には、毒々しい色の爪が伸びており、その指の間に、さらに何本かの細い針が挟まれているのが見えた。

「見つけたわね、小さな鼠。黒曜会の秘密を探る者は、生かしてはおけないの」

 女は、冷たい声で言い放った。その声には、一切の感情が感じられない。

「貴様…紅蜘蛛(べにぐも)か!」

 小夜は、口元を押さえ、女の名を呟いた。彼女は、以前、抜け忍から黒曜会に毒使いのくノ一「紅蜘蛛」がいるという話を聞いていたのだ。

「よく知っていたわね。ご褒美に、地獄の苦しみを与えてあげる」

 紅蜘蛛は、そう言うと、残りの針を小夜めがけて投げつけた。針は、風を切って小夜の全身に襲いかかる。

 小夜は、素早い身のこなしで針をかわしたが、そのうちの一本が、彼女の太ももを掠めた。ほんのわずかな傷であったが、そこから再び、あの甘い匂いが立ち上った。

「くっ…毒が…!」

 小夜の視界が、グラグラと揺れ始めた。全身が痺れ、力が抜けていく。紅蜘蛛の毒は、想像以上に強力であった。

「逃がさないわ。その幼い命、ここで絶たせてあげる」

 紅蜘蛛は、冷酷な笑みを浮かべ、小夜に近づいてくる。彼女は、再び指先に毒針を挟み込んだ。

 小夜は、必死に意識を保とうとした。
頭の中に、さつきや藤次郎の顔が浮かぶ。ここで倒れるわけにはいかない。まだ、伝えなければならない情報がある。

 しかし、毒は確実に小夜の体を蝕んでいた。彼女の体は、すでに彼女の意志に反して、地面に倒れ込もうとしていた。

 その時、小夜の脳裏に、かつてさつきに命を救われた日の記憶が蘇った。あの時、さつきは、誰よりも強く、そして温かい光を放っていた。

「さつき姉ちゃん…!」
 小夜は、か細い声で、さつきの名を呼んだ。

 奉行所の一室にいたさつきは、突然、小夜から放たれる危機感を察知した。
それは、言葉や音ではない。長きにわたる旅で培われた、仲間との間の確かな絆が、彼女に危険を知らせていたのだ。

「小夜…!」
 さつきは、弾かれたように立ち上がった。藤次郎も、その気配を感じ取っていた。

「小夜の奴、何かあったのか!?」
 藤次郎が、慌てて部屋を飛び出した。さつきも、刀を手に、その後を追う。

 路地裏に駆けつけたさつきたちが目にしたのは、地面に倒れ、苦しそうにうめく小夜の姿と、その傍らに立つ黒装束の女、紅蜘蛛であった。

「小夜!」
 さつきは、駆け寄ろうとしたが、紅蜘蛛がその前に立ちはだかった。

「邪魔よ。この小娘の命は、私が頂く」
 紅蜘蛛は、そう言い放ち、再び小夜に毒針を放とうとした。

「させるか!」
 さつきは、抜刀し、その刀で毒針を弾き飛ばした。そして、紅蜘蛛へと斬りかかった。

 紅蜘蛛は、さつきの剣をかわしながら、素早く毒針を連射する。毒針は、風を切ってさつきの全身に襲いかかる。さつきは、その全てを剣で弾き飛ばし、紅蜘蛛へと迫る。

 その間にも、小夜の容態は悪化していく。彼女の顔色は青ざめ、呼吸は乱れ、全身を痙攣させていた。

「小夜! しっかりしろ!」
 藤次郎が、小夜に駆け寄り、その体を支えた。小夜は、藤次郎の腕の中で、苦しそうに息をしていた。

「この毒…恐ろしく効き目が早い! このままでは、小夜の命が危ない!」

 藤次郎は、小夜の尋常ではない容態に、焦りを隠せない。彼の顔には、怒りと、そして深い悲しみが浮かんでいた。過去に何かを失った影を持つ藤次郎にとって、小夜の存在は、かけがえのないものであったのだ。

 さつきは、紅蜘蛛との激しい攻防を繰り広げながらも、小夜の苦しむ姿に、心が引き裂かれそうになっていた。

 彼女の剣は、怒りに燃え、紅蜘蛛へと向けられる。しかし、紅蜘蛛は、毒を巧みに利用しながら、さつきの攻撃をかわし、距離を取ろうとする。

 第二の刺客、毒使いのくノ一・紅蜘蛛。その毒は、さつきたちの想像を遥かに超えるものであった。

 小夜の命は、今、風前の灯火。さつきは、愛する仲間を救うため、この強敵に打ち勝つことができるのか。そして、その毒の解毒薬は、どこにあるのか。

 京の夜に、絶望の影が深く落ちていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】『紅蓮の算盤〜天明飢饉、米問屋女房の戦い〜』

月影 朔
歴史・時代
江戸、天明三年。未曽有の大飢饉が、大坂を地獄に変えた――。 飢え死にする民を嘲笑うかのように、権力と結託した悪徳商人は、米を買い占め私腹を肥やす。 大坂の米問屋「稲穂屋」の女房、お凛は、天才的な算術の才と、決して諦めない胆力を持つ女だった。 愛する夫と店を守るため、算盤を武器に立ち向かうが、悪徳商人の罠と権力の横暴により、稲穂屋は全てを失う。米蔵は空、夫は獄へ、裏切りにも遭い、お凛は絶望の淵へ。 だが、彼女は、立ち上がる! 人々の絆と夫からの希望を胸に、お凛は紅蓮の炎を宿した算盤を手に、たった一人で巨大な悪へ挑むことを決意する。 奪われた命綱を、踏みにじられた正義を、算盤で奪い返せ! これは、絶望から奇跡を起こした、一人の女房の壮絶な歴史活劇!知略と勇気で巨悪を討つ、圧巻の大逆転ドラマ!  ――今、紅蓮の算盤が、不正を断罪する鉄槌となる!

『五感の調べ〜女按摩師異聞帖〜』

月影 朔
歴史・時代
江戸。盲目の女按摩師・市には、音、匂い、感触、全てが真実を語りかける。 失われた視覚と引き換えに得た、驚異の五感。 その力が、江戸の闇に起きた難事件の扉をこじ開ける。 裏社会に潜む謎の敵、視覚を欺く巧妙な罠。 市は「聴く」「嗅ぐ」「触れる」独自の捜査で、事件の核心に迫る。 癒やしの薬膳、そして人情の機微も鮮やかに、『この五感が、江戸を変える』 ――新感覚時代ミステリー開幕!

戦国終わらず ~家康、夏の陣で討死~

川野遥
歴史・時代
長きに渡る戦国時代も大坂・夏の陣をもって終わりを告げる …はずだった。 まさかの大逆転、豊臣勢が真田の活躍もありまさかの逆襲で徳川家康と秀忠を討ち果たし、大坂の陣の勝者に。果たして彼らは新たな秩序を作ることができるのか? 敗北した徳川勢も何とか巻き返しを図ろうとするが、徳川に臣従したはずの大名達が新たな野心を抱き始める。 文治系藩主は頼りなし? 暴れん坊藩主がまさかの活躍? 参考情報一切なし、全てゼロから切り開く戦国ifストーリーが始まる。 更新は週5~6予定です。 ※ノベルアップ+とカクヨムにも掲載しています。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

【完結】『江戸めぐり ご馳走道中 ~お香と文吉の東海道味巡り~』

月影 朔
歴史・時代
読めばお腹が減る!食と人情の東海道味巡り、開幕! 自由を求め家を飛び出した、食い道楽で腕っぷし自慢の元武家娘・お香。 料理の知識は確かだが、とある事件で自信を失った気弱な元料理人・文吉。 正反対の二人が偶然出会い、共に旅を始めたのは、天下の街道・東海道! 行く先々の宿場町で二人が出会うのは、その土地ならではの絶品ご当地料理や豊かな食材、そして様々な悩みを抱えた人々。 料理を巡る親子喧嘩、失われた秘伝の味、食材に隠された秘密、旅人たちの些細な揉め事まで―― お香の持ち前の豪快な行動力と、文吉の豊富な食の知識、そして二人の「料理」の力が、人々の閉ざされた心を開き、事件を解決へと導いていきます。時にはお香の隠された剣の腕が炸裂することも…!? 読めば目の前に湯気立つ料理が見えるよう! 香りまで伝わるような鮮やかな料理描写、笑いと涙あふれる人情ドラマ、そして個性豊かなお香と文吉のやり取りに、ページをめくる手が止まらない! 旅の目的は美味しいものを食べること? それとも過去を乗り越えること? 二人の絆はどのように深まっていくのか。そして、それぞれが抱える過去の謎も、旅と共に少しずつ明らかになっていきます。 笑って泣けて、お腹が空く――新たな食時代劇ロードムービー、ここに開幕! さあ、お香と文吉と一緒に、舌と腹で東海道五十三次を旅しましょう!

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

処理中です...