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117 普通の会話の仕方というマニュアルが欲しい
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「村瀬くん」
一年生は、実習のために実家に帰った者が多い。そのまま学校が冬休みに入ったため、大学内は随分と人が少なかった。レポートの提出も、パソコンから送信して終えることができるから、そのまま実家で冬休みを過ごす者が多いようだ。
そんな人の少ない学内で名前を呼ばれて、一太は驚いて振り返った。晃は今、家でレポートを書いている。友達の安倍と岸田は、実家に帰っている。一太には他に、声を掛けられる心当たりが無かった。
パソコンを持っていないので大学へ来て、今日も学内のパソコン室を借りていた。
晃は、使ったらいいよと、いつも自身のパソコンを気軽に一太に貸してくれようとするのだが、晃も同じようにレポートを書かなくてはいけないのに邪魔をしたくはなくて、一太はなるべく学校で借りることにしている。
そうして作成したレポートをパソコンから送信した上で、紙でも印刷して帰る所だった。
「北村さん。こんにちは」
「あ、うん。こんにちは」
「……」
声を掛けてきたのは、金曜まで二週間、同じ幼稚園で実習をしていた北村だ。
とはいえ、挨拶の後、一太からは特に話すことはなくて、そのまま立ち去っていいのかどうかを迷う。人との関わり方に自信がない。どうせ聞いて貰えないから、と諦めて、自分から口を開くことなんてほとんど無かったし、話をする相手もそんなにいなかったから、普通の会話というものが分からないのだ。下手に口を開いて、普通でない、と思われることを一太はひどく恐れていた。
普通の会話の仕方、というマニュアルがあれば、買って熟読したい。
「あの! 金曜日のことなんだけど」
「金曜日?」
一太は、答えられそうな話題にほっとした。
「実習、お疲れ様でした。ご飯、誘ってくれてありがとう」
誘ってもらって入ったファミリーレストランは、そんなに高くなかった。あれなら、ご飯を食べに行こう、といつかまた誰かに誘われた時に、気軽に、いいよと返事ができる。注文の仕方も分かったし、とても美味しかった。実習の話も有意義だった。
「あ、うん。お疲れ様でした。……あの! 聞きたいことがあって」
「うん?」
「村瀬くんと松島くんって、付き合ってるの?」
あれ? 言ってなかったっけ?
晃くんは、好きな人がいて、その人と付き合ってるから北村さんとは付き合えない、って言っていた。名前は出していなかったな。
「うん」
僕たちは好き同士で、色んな所に二人で出かけたりする間柄だから付き合っているんだ、と晃はよく一太に言っている。
安倍くんと岸田さんと同じように、特別仲良し。晃くんが付き合っている相手は、一太で間違いないだろう。
だから、一太は普通に頷いた。
自分から言ったりはしないけれど、安倍くんと付き合ってるの? って聞かれたら、うんって答えるよ、と岸田も言っていたから。
「え……? 本当に……?」
だから、そんなに驚かれるようなことを言った覚えは全くなくて戸惑う。
「え? うん……」
「…………」
やっぱり、会話のマニュアルが欲しい。なんだろう、この沈黙。
一太が不安になる頃、ようやく北村が口を開いた。
「……村瀬くんって、男の人が好きなの?」
一太は、北村の言葉の意味が分からなくて首を傾げる。どうしよう。どういう事? 男の人が好きなの? ってどういう意味? どう答えるのが正解?
「あの。恋愛的な意味で男の人が好きな人?」
「……」
答えられずにいると、更に質問が重なる。
恋愛的な意味って?
分からない。
女の人が好きじゃないのか、と聞かれているのだろうか?
そりゃ、どちらかといえば苦手だ。特に、ある一定の年齢の、非常に整った容姿で化粧をばっちりしている女の人は怖い。母に似た人。
でも、晃の母の陽子や岸田は好きだ。昔、世話をしてくれた児童養護施設の先生も、幼稚園や、夏休みの託児室でお世話になった先生たちも。大学の教授たちのなかには苦手なタイプがいるが、これだけ長くお世話になっていれば、母とは違うのだと分かってくる。
「……」
「あの。恋愛的って言うのがよく分からないんだけど、別に、女の人も好きだけど……」
北村も黙ってしまったので、一太は仕方なく口を開く。好きな女の人を幾人か思い浮かべて、とりあえず女の人も嫌いじゃないことを伝えて。でも、この返事に自信が無いので、だんだん声は小さくなってしまう。
「ええ、と、そうじゃなくて! 村瀬くんの付き合う相手は、女の人じゃなくて男の人がいいのかってことを聞いてて!」
「付き合う相手……」
は、晃しかいない。
が、どうやらこれは、言ったらいけないことなのか?
北村の語気の強さに驚いて、一太は言葉を飲み込む。
「普通は! 男の人と女の人で付き合うでしょ! でも、村瀬くんと松島くんは二人とも男でしょ!」
「……」
一太は、北村の勢いに飲まれて、目をぱちくりと瞬いた。
「だから! 普通じゃない人だったのかな、と思って!」
普通じゃない。
え?
俺と晃くんが付き合うのは、普通じゃないことだったのか。
一太は、呆然と北村を見下ろしていた。
好きだ、と晃に告白されて、一太が、俺も晃くんが好きだ、と返事をしたら、付き合いたい、と言われた。付き合う、ということがどういうことか分からなかった一太が聞いてみたら、お互いを大好きな者同士が二人で一緒にいて、色んな所に出かけたりご飯を食べたりする事だと言われた。誰よりも長く一緒にいることだと。
それなら、それまでもそうしていたのだから、とっくに付き合っていたね、と言ったら、晃はものすごく嬉しそうな顔をした。
だから、晃と一太は付き合っている。
でも、それは、普通じゃない?
「な、なんで……?」
「え、だって、おかしい……でしょ?」
おかしい。
そこまで言われるほど、普通じゃないことなのか……。
一太は、ぐるぐると目眩がするのを感じた。
村瀬くんおかしい、と言われまくっていた子ども時代。何でそんなこと知らないの、とよく言われた。疑問を口に出せなくなり、曖昧に笑って身を引きながら生きてきた。できる限りそう言われないようにしたいと、頑張って勉強して、本を読んだ。
でも、人と人が付き合うことについての本なんて、読んだことなかった。
記憶を漁って考えてみる。そういえば、古典の、源氏物語の光源氏は、女の人を取っかえ引っ変え付き合っていた。光源氏は男で、相手はみんな女の人だった。いや、あんなのは嫌だ。本当に大事な相手は一人でいい。
ああ、違う。大事なのはそこじゃない。
……普通じゃないのか。
そうか。
今までそう指摘された時、いつも俺はどうしていたっけ?
そうだ。
普通になるように。できる範囲で、普通じゃない部分を改善して……。
つまり?
つまりこの場合、晃くんと付き合うのをやめる、ということなんだろうか……。
一年生は、実習のために実家に帰った者が多い。そのまま学校が冬休みに入ったため、大学内は随分と人が少なかった。レポートの提出も、パソコンから送信して終えることができるから、そのまま実家で冬休みを過ごす者が多いようだ。
そんな人の少ない学内で名前を呼ばれて、一太は驚いて振り返った。晃は今、家でレポートを書いている。友達の安倍と岸田は、実家に帰っている。一太には他に、声を掛けられる心当たりが無かった。
パソコンを持っていないので大学へ来て、今日も学内のパソコン室を借りていた。
晃は、使ったらいいよと、いつも自身のパソコンを気軽に一太に貸してくれようとするのだが、晃も同じようにレポートを書かなくてはいけないのに邪魔をしたくはなくて、一太はなるべく学校で借りることにしている。
そうして作成したレポートをパソコンから送信した上で、紙でも印刷して帰る所だった。
「北村さん。こんにちは」
「あ、うん。こんにちは」
「……」
声を掛けてきたのは、金曜まで二週間、同じ幼稚園で実習をしていた北村だ。
とはいえ、挨拶の後、一太からは特に話すことはなくて、そのまま立ち去っていいのかどうかを迷う。人との関わり方に自信がない。どうせ聞いて貰えないから、と諦めて、自分から口を開くことなんてほとんど無かったし、話をする相手もそんなにいなかったから、普通の会話というものが分からないのだ。下手に口を開いて、普通でない、と思われることを一太はひどく恐れていた。
普通の会話の仕方、というマニュアルがあれば、買って熟読したい。
「あの! 金曜日のことなんだけど」
「金曜日?」
一太は、答えられそうな話題にほっとした。
「実習、お疲れ様でした。ご飯、誘ってくれてありがとう」
誘ってもらって入ったファミリーレストランは、そんなに高くなかった。あれなら、ご飯を食べに行こう、といつかまた誰かに誘われた時に、気軽に、いいよと返事ができる。注文の仕方も分かったし、とても美味しかった。実習の話も有意義だった。
「あ、うん。お疲れ様でした。……あの! 聞きたいことがあって」
「うん?」
「村瀬くんと松島くんって、付き合ってるの?」
あれ? 言ってなかったっけ?
晃くんは、好きな人がいて、その人と付き合ってるから北村さんとは付き合えない、って言っていた。名前は出していなかったな。
「うん」
僕たちは好き同士で、色んな所に二人で出かけたりする間柄だから付き合っているんだ、と晃はよく一太に言っている。
安倍くんと岸田さんと同じように、特別仲良し。晃くんが付き合っている相手は、一太で間違いないだろう。
だから、一太は普通に頷いた。
自分から言ったりはしないけれど、安倍くんと付き合ってるの? って聞かれたら、うんって答えるよ、と岸田も言っていたから。
「え……? 本当に……?」
だから、そんなに驚かれるようなことを言った覚えは全くなくて戸惑う。
「え? うん……」
「…………」
やっぱり、会話のマニュアルが欲しい。なんだろう、この沈黙。
一太が不安になる頃、ようやく北村が口を開いた。
「……村瀬くんって、男の人が好きなの?」
一太は、北村の言葉の意味が分からなくて首を傾げる。どうしよう。どういう事? 男の人が好きなの? ってどういう意味? どう答えるのが正解?
「あの。恋愛的な意味で男の人が好きな人?」
「……」
答えられずにいると、更に質問が重なる。
恋愛的な意味って?
分からない。
女の人が好きじゃないのか、と聞かれているのだろうか?
そりゃ、どちらかといえば苦手だ。特に、ある一定の年齢の、非常に整った容姿で化粧をばっちりしている女の人は怖い。母に似た人。
でも、晃の母の陽子や岸田は好きだ。昔、世話をしてくれた児童養護施設の先生も、幼稚園や、夏休みの託児室でお世話になった先生たちも。大学の教授たちのなかには苦手なタイプがいるが、これだけ長くお世話になっていれば、母とは違うのだと分かってくる。
「……」
「あの。恋愛的って言うのがよく分からないんだけど、別に、女の人も好きだけど……」
北村も黙ってしまったので、一太は仕方なく口を開く。好きな女の人を幾人か思い浮かべて、とりあえず女の人も嫌いじゃないことを伝えて。でも、この返事に自信が無いので、だんだん声は小さくなってしまう。
「ええ、と、そうじゃなくて! 村瀬くんの付き合う相手は、女の人じゃなくて男の人がいいのかってことを聞いてて!」
「付き合う相手……」
は、晃しかいない。
が、どうやらこれは、言ったらいけないことなのか?
北村の語気の強さに驚いて、一太は言葉を飲み込む。
「普通は! 男の人と女の人で付き合うでしょ! でも、村瀬くんと松島くんは二人とも男でしょ!」
「……」
一太は、北村の勢いに飲まれて、目をぱちくりと瞬いた。
「だから! 普通じゃない人だったのかな、と思って!」
普通じゃない。
え?
俺と晃くんが付き合うのは、普通じゃないことだったのか。
一太は、呆然と北村を見下ろしていた。
好きだ、と晃に告白されて、一太が、俺も晃くんが好きだ、と返事をしたら、付き合いたい、と言われた。付き合う、ということがどういうことか分からなかった一太が聞いてみたら、お互いを大好きな者同士が二人で一緒にいて、色んな所に出かけたりご飯を食べたりする事だと言われた。誰よりも長く一緒にいることだと。
それなら、それまでもそうしていたのだから、とっくに付き合っていたね、と言ったら、晃はものすごく嬉しそうな顔をした。
だから、晃と一太は付き合っている。
でも、それは、普通じゃない?
「な、なんで……?」
「え、だって、おかしい……でしょ?」
おかしい。
そこまで言われるほど、普通じゃないことなのか……。
一太は、ぐるぐると目眩がするのを感じた。
村瀬くんおかしい、と言われまくっていた子ども時代。何でそんなこと知らないの、とよく言われた。疑問を口に出せなくなり、曖昧に笑って身を引きながら生きてきた。できる限りそう言われないようにしたいと、頑張って勉強して、本を読んだ。
でも、人と人が付き合うことについての本なんて、読んだことなかった。
記憶を漁って考えてみる。そういえば、古典の、源氏物語の光源氏は、女の人を取っかえ引っ変え付き合っていた。光源氏は男で、相手はみんな女の人だった。いや、あんなのは嫌だ。本当に大事な相手は一人でいい。
ああ、違う。大事なのはそこじゃない。
……普通じゃないのか。
そうか。
今までそう指摘された時、いつも俺はどうしていたっけ?
そうだ。
普通になるように。できる範囲で、普通じゃない部分を改善して……。
つまり?
つまりこの場合、晃くんと付き合うのをやめる、ということなんだろうか……。
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