【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ

文字の大きさ
192 / 252

192 そんな仕事は初めて聞いた

しおりを挟む
 頭が痛い。
 これは一番困るやつだ、と一太は思った。素早く動けない。体がしんどい時よりも、無理がきかないのだ。どんな動きをしても頭は動いてしまって、痛みはずっと引かない。それを堪えて動こうとすると、目の前が真っ白になって何も見えなくなってしまったり、目が開けられなくなってしまったりする。見えないと、仕事ができない。
 起きた後の手順を余程しっかりと考えなくてはいけない、と一太は思った。そうして痛む頭で考えて、今日の日付けや曜日が分からないことに愕然とした。
 曜日が分からなければ、ごみ出しの日かどうかが分からない。曜日を忘れるなんて、一太は今まで一度も無かった。覚えていて、可燃ごみの日だから可燃ごみをまとめなければいけないな、などと考えながら起きるのがいつもの朝だったから。不燃ごみの日は、少し離れた集積所まで持っていくのに時間がかかるから、早起きしないといけない。今日、学校はあったっけ? 仕事は?
 そうした、起きてすぐの行動に直結する情報が今、一太の頭に何も入っていなかった。
 なんで?
 なんで、なんで、なんで?
 熱い息を吐きながら必死で考えるけれど、頭がずきずきと痛むばかり。
 昨日の行動を思い出そうとするが、もやがかかったようによく思い出せなかった。
 とりあえず、このままベッドにいても何も進まない。
 一太は、痛む頭をこれ以上刺激しないように気をつけながら、ゆっくりゆっくり起き上がった。体までだるい。どうやら、今日は最悪の体調らしい。何か体調を崩すようなことをしただろうか、と考えるが、昨日の行動がよく思い出せなかった。
 目を使うと頭痛が酷くなることは経験から知っているので、体を起こすまで目は閉じていた。本当に困ったことになったぞ、と気持ちは焦る。素早く動きそうになっては酷くなる頭痛に苛まれ、だいぶ時間をかけて体を起こした。そっと目を開け、また愕然とした。
 曜日が分からないのは痛手だが、とりあえず洗濯、それから朝食の準備、風呂洗い、部屋の掃除、それらの手順は変わらない。一太は、ずっとずっと、そうしてきた。動かず考えていても何も終わらないのだから、とりあえず動きながら、今日の予定と昨日の行動を思い出すしか無い。
 そう思って、やっと起きる体勢に入ったというのに。なのに、カーテンの引かれた薄暗い部屋が、どこなのか分からない。

「え?」

 きょろ、と頭を動かして、痛みの強さに頭を抱えて呻く。
 ああ。本当に、自分はどうしてしまったのだろう。
 朝の仕事をしなければ、と最後にはそればかりが一太の頭を占めていた。

「いっちゃん? どうしたの? 頭痛い? トイレ行っておく? 寝てなきゃ駄目だよ」

 看病セットを持って部屋に戻った晃に無理やりベッドに戻されるまでずっと、一太は痛む頭を抱えて、朝の仕事の手順ばかり考えていた。
 寝た姿勢に戻されると、くたりと体の力が抜ける。これでは、もう一度起き上がるのに大変な力がいる。なんてことをしてくれたんだ、と一太は少しいらいらした。
 仕事が進まない……。
 
「いっちゃん。ちょっと電気付けるね」

 部屋の電気がついて、一太は眩しさにまた目を閉じた。ああ。頭が痛い……。

「頭痛い? あれかな? 熱が高いから痛いのかな。熱冷ましの薬も持ってきたんだけど、これで痛いのも止まるかな。ご飯とか食べてない時間に飲んでもいいんだっけ?」

 ぶつぶつと声がする。

「いっちゃん。とりあえず、熱を測ろう。これ、脇の下に……って、あ、目はつぶってていいよ。僕がやるから、じっとしてて」

 横になった一太の腕が持ち上げられて、体温計が挟まれた。入院している時に、毎朝測らされたものと同じものだ。入院……。いや、まさか。でもそういえば、床に敷いた布団ではなく高さのある寝具にいるような……。
 まさか、また?
 二十年生きてきて、病院のお世話になることなど一度も無かったのに。まあ、体調を崩しても病院に連れて行ってもらえなかったのだけれども。それにしても、この一年半で一体何度……。
 あれ?
 いや、でも今……。

「あきら……くん?」
「うん?」

 その時、こんこんとノックの音がした。

「晃? いっちゃん? 何かあった?」

 女の人の声が言う。一太の頭にずっと響いていた、あの嫌な甲高い声ではない。抑えた声は、いっちゃん、と優しく一太を呼んだ。

「あ……」
「開けるわよ」

 一太が目を開けると、パジャマの上に上着を羽織った陽子が部屋の中に入ってくるのが見えた。
 陽子さん。陽子さんがいる。なんで?
 ピピッと体温計の音がした。

「まあ。いっちゃん?」

 近寄ってきた陽子が、晃の手に移った体温計を覗き見て声を上げた。

「三十九・六度……」
「うわ……」

 顔を見合わせた二人は、ばたばたと動き出した。

「晃。なんですぐに母さんを呼ばないの。体温計の他は何を持ってきたの? 飲み物は?」
「あ、飲み物。持ってきてない……。薬箱から薬と冷却シートと体温計探してきて」
「そういう時は、薬箱ごと持ってくるのよ。ここで、いっちゃんの様子を見ながら探せるでしょ」
「そうか……」
「とりあえず、晃。あなた、上着を羽織りなさい。こんな寒い時に、寝起きのパジャマでうろうろして。あなたまで風邪を引いたら、いっちゃんが気にしちゃうでしょ。上着着て、スポーツドリンクを冷蔵庫から持ってきて。寝たまま飲みやすいように、ストローを取り付けるのよ。覚えてる?」

 陽子が言いながら、部屋の暖房のスイッチを入れた。

「覚えてる」

 返事をした晃が、勉強机の前の椅子に掛けていた上着を羽織り、部屋を出ていく。

「ベッドに寝かしててくれたのは正解だったわ。お世話しやすいし、足音が頭痛に響きにくいしね。いっちゃん、今、寒い? 暑い?」

 あれ? と一太は布団の中で考える。俺は、今から起きて洗濯機を回して、朝食を準備して……。

「いっちゃん? 聞こえてるかな? 今、寒い? 暑い?」

 ごう、という暖房の音。暖かくて柔らかい生地のパジャマ。軽くて暖かい布団。

「あ、あつい、です……」
「ん、そうか」

 陽子は、冷却シートをぴたりと一太のおでこに貼ってくれた。ひんやりとして、気持ちいい……。少しだけ、頭痛がマシになったような気がする。
 陽子は、一太の上に掛かっていた毛布を抜いて、タオルケットと冬布団だけをかけ直した。
 暑すぎて苦しかった体が楽になった。
 
「あ。俺、あの、洗濯……」
「何言ってんの、いっちゃん。体調悪い時に動いてたら、治るものも治らないわよ」
「でも。でも、仕事、しないと……」
「今は、寝るのが仕事」

 一太は、陽子の言葉に衝撃を受ける。

「寝るのが、仕事……」
「そうよ」

 陽子は、当たり前のように言い切った。
 一太が驚いているうちに、晃の持ってきた口当たりの良い飲み物と、薬を一つ口に入れられる。飲み込んだら、よくできました、と頭を撫でられた。
 一太は、俺は、何がよくできたんだろう……と首を傾げつつ、撫でられる手が気持ち良くて、思わずうっとりと目を閉じた。そのまま、もう一度目を開けることはできなかった。
しおりを挟む
感想 682

あなたにおすすめの小説

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

【完結】君を上手に振る方法

社菘
BL
「んー、じゃあ俺と付き合う?」 「………はいっ?」 ひょんなことから、入学して早々距離感バグな見知らぬ先輩にそう言われた。 スクールカーストの上位というより、もはや王座にいるような学園のアイドルは『告白を断る理由が面倒だから、付き合っている人がほしい』のだそう。 お互いに利害が一致していたので、付き合ってみたのだが―― 「……だめだ。僕、先輩のことを本気で……」 偽物の恋人から始まった不思議な関係。 デートはしたことないのに、キスだけが上手くなる。 この関係って、一体なに? 「……宇佐美くん。俺のこと、上手に振ってね」 年下うさぎ顔純粋男子(高1)×精神的優位美人男子(高3)の甘酸っぱくじれったい、少しだけ切ない恋の話。 ✧毎日2回更新中!ボーナスタイムに更新予定✧ ✧お気に入り登録・各話♡・エール📣作者大歓喜します✧

平凡な男子高校生が、素敵な、ある意味必然的な運命をつかむお話。

しゅ
BL
平凡な男子高校生が、非凡な男子高校生にベタベタで甘々に可愛がられて、ただただ幸せになる話です。 基本主人公目線で進行しますが、1部友人達の目線になることがあります。 一部ファンタジー。基本ありきたりな話です。 それでも宜しければどうぞ。

前世が教師だった少年は辺境で愛される

結衣可
BL
雪深い帝国北端の地で、傷つき行き倒れていた少年ミカを拾ったのは、寡黙な辺境伯ダリウスだった。妻を亡くし、幼い息子リアムと静かに暮らしていた彼は、ミカの知識と優しさに驚きつつも、次第にその穏やかな笑顔に心を癒されていく。 ミカは実は異世界からの転生者。前世の記憶を抱え、この世界でどう生きるべきか迷っていたが、リアムの教育係として過ごすうちに、“誰かに必要とされる”温もりを思い出していく。 雪の館で共に過ごす日々は、やがてお互いにとってかけがえのない時間となり、新しい日々へと続いていく――。

【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】

古森きり
BL
【書籍化決定しました!】 詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります! たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました! アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。 政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。 男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。 自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。 行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。 冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。 カクヨムに書き溜め。 小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。

本気になった幼なじみがメロすぎます!

文月あお
BL
同じマンションに住む年下の幼なじみ・玲央は、イケメンで、生意気だけど根はいいやつだし、とてもモテる。 俺は失恋するたびに「玲央みたいな男に生まれたかったなぁ」なんて思う。 いいなぁ玲央は。きっと俺より経験豊富なんだろうな――と、つい出来心で聞いてしまったんだ。 「やっぱ唇ってさ、やわらけーの?」 その軽率な質問が、俺と玲央の幼なじみライフを、まるっと変えてしまった。 「忘れないでよ、今日のこと」 「唯くんは俺の隣しかだめだから」 「なんで邪魔してたか、わかんねーの?」 俺と玲央は幼なじみで。男同士で。生まれたときからずっと一緒で。 俺の恋の相手は女の子のはずだし、玲央の恋の相手は、もっと素敵な人であるはずなのに。 「素数でも数えてなきゃ、俺はふつーにこうなんだよ、唯くんといたら」 そんな必死な顔で迫ってくんなよ……メロすぎんだろーが……! 【攻め】倉田玲央(高一)×【受け】五十嵐唯(高三)

転生DKは、オーガさんのお気に入り~姉の婚約者に嫁ぐことになったんだが、こんなに溺愛されるとは聞いてない!~

トモモト ヨシユキ
BL
魔物の国との和議の証に結ばれた公爵家同士の婚約。だが、婚約することになった姉が拒んだため6男のシャル(俺)が代わりに婚約することになった。 突然、オーガ(鬼)の嫁になることがきまった俺は、ショックで前世を思い出す。 有名進学校に通うDKだった俺は、前世の知識と根性で自分の身を守るための剣と魔法の鍛練を始める。 約束の10年後。 俺は、人類最強の魔法剣士になっていた。 どこからでもかかってこいや! と思っていたら、婚約者のオーガ公爵は、全くの塩対応で。 そんなある日、魔王国のバーティーで絡んできた魔物を俺は、こてんぱんにのしてやったんだが、それ以来、旦那様の様子が変? 急に花とか贈ってきたり、デートに誘われたり。 慣れない溺愛にこっちまで調子が狂うし! このまま、俺は、絆されてしまうのか!? カイタ、エブリスタにも掲載しています。

処理中です...