【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ

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207 ◇何の予定もない一日

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「晃くん。朝だよ! 晃くん、起きて~」
「んん?」

 かなり声が近い。いつもみたいに体を揺さぶられてはいなくて、何だかもぞもぞしている感がある。
 
「晃くんってば!」

 目を開けたら、一太がいた。

「んん?」
「あ、起きた。良かった。寝過ぎだよ、寝過ぎ!」
「寝過ぎ……。何時?」
「八時!」

 八時……八時か。晃にとっては全然、寝過ぎという程ではない。でも、一太にはとんでもない朝寝坊だろう。一太がこんな遅くまで布団にいた事は、晃が知る限りないから。
 ふふ、と一太を抱いている腕に力を込めると、もー、と抗議の声が上がった。でも、起き上がる気配はない。

「おはよ」

 本気で抜け出そうと思えば抜け出せるだろうに、そのまま腕の中にいてくれたことに晃の頬は緩んだ。寝起きが良いってのはこういう感じか、と晃は思う。ま、まだ眠いけど。

「俺は起きたい」

 腕の中にすっぽりおさまったまま言われてもなあ、と抱きしめる手に力を入れてみる。悪くなかった。
 昨夜、早い時間から眠たそうにしていた一太が、晃の服を離さないまま寝てしまったのをいいことに、腕の中に抱き込んで同じ布団で寝た。特に問題は無かったようだ。わりと敏感な一太だが、この姿勢で眠れなかった、ということは無さそうに見える。晃も、いつも通りよく寝た。なら、これからもこうやって寝てもいいかもしれない。

「いっちゃん、ごめんね。調子はどう? 晃、まだ寝てるんでしょ?」

 このままもう一度眠れそう、と晃が思っていたら、部屋の扉がノックされた。母の声に、一太が飛び起きる。

「起きてます。すみません!」
「ううん。全然いいのよ。たくさん寝てていいんだけど、ごめんね。私、八時半には仕事に出るから、晃を起こしてそう言っておいてくれる?」
「は、はいっ。あ、仕事。あの、あの、俺。俺、できることやっときます。洗濯物とか置いていってください」
「いいのよ、そんなの。お知らせだけ」

 母は、晃が起きているとは一ミリも思っていないようだ。そして、一太がまだ寝ているとも一ミリも思っていないらしい。
 一太は、慌てて部屋の外へ飛び出す。

「こんなに遅くまで寝てて、すみませんでした」

 のそりと布団から体を起こした晃の目に、一太がぺこぺこと母に頭を下げる姿が映った。

「何言ってんの。別にそんなこといいのよ。熱は? 今朝は、汗はかいてなかった?」
「はい。もう治りました。ご迷惑をおかけしました」
「全然、迷惑じゃないし寝ててもいいんだけど、朝ご飯と昼ご飯はちゃんと食べてね。私からのお願いはそれだけ。食べ物のある場所は晃が知ってるから」

 一太が、へ? と口を開けたのが見える。何を驚いているのか。母が留守番の人間に言うのは、いつも一つだけだ。
 
「晃、聞こえてる? もう起きた? ご飯をちゃんと食べておいてね」
「はーい。いってらっしゃい」
「いってきまーす」
 
 何もしないでいることに耐えられない一太のことは分かっているから、食事の準備はお任せした。一太と共に暮らし始めてからは、晃もちょくちょく手伝ってはいるのだが、どうにも料理の腕は上達しない。人には得手不得手というものがあるのだろう、と晃は少々諦めの境地にいる。父も料理は苦手としていたから、きっと父に似たのだろう。
 昔、一度だけ父に作ってもらった炒飯は、何をどれだけ入れたのか、とんでもなくしょっぱかった。光里と二人で、しょっぱいしょっぱいと騒いで、出来上がった炒飯に白米を混ぜて何とか食べた。母と明里はいなくて、三人だった。晃が心臓の手術を終えて、何でも食べられるようになった直後だったような気がする。その頃の晃は、様々な制限が少しずつ解除されて食べていいものが増え、濃い味のものが美味しくて堪らなかった。ほどほどにしなさいよ、と取り上げられるくらい、濃い味のお菓子やハンバーガー屋のハンバーガーやポテトに虜になっていた頃に、そのままでは食べられないくらいしょっぱかったのだから、相当な味付けだ。それ以来、父が何か料理しているのを見たことはない。
 晃の一人調理といえば、以前、一太が体調を崩した時に雑炊の素を使って作った雑炊だけかもしれない。箱に書いてある通りに作ったはずが、自分の覚えている雑炊とかけ離れた品ができてしまった。なんというか、最後に入れた卵が、ぼろぼろと固まってダマのようになっていたのだ。
 一太は、美味しいよと笑って食べてくれたが、味見した晃がどうにも納得いかなかった。母に聞いたら、卵を入れてすぐにぐるぐると混ぜたのがいけなかったらしい。鍋に流した卵がふわりと浮いてくるのを、じっと待たなければいけなかったようだ。それについては、覚えた。覚えたけれど、あの簡単な雑炊でこれでは、どうにも上手くできる気がしない。
 父と同じで、自分が料理を準備しなければいけなくなった時には、何か買いに出るか届けてもらうことになりそうだ。

「フレンチトースト、作っていいかなあ」
「食べたい!」
「私もー」

 重なった声に晃が、は? と振り向けば、起きたばかりの光里が欠伸をしながら手を挙げていた。

「あ、はい。じゃ三つ」
「んー。私、二枚食べようかなあ。晃もでしょ?」
「あ、うん。ええっと……」
「はい。じゃ五つ作りますね」
「ありがとー」
「じゃないだろ、光里姉ちゃん。自分の分は自分で作れよ」
「え? いいよ。何枚でも手間は一緒だし。晃くん、光里さん、座って待っててください」
「ありがとー」

 光里は、気にした風もなく洗面所に行ってしまう。

「ごめん、いっちゃん。光里姉ちゃんが今日休みなの忘れてた。いつもああやって、すぐに何か用事を頼んでくるんだ」
「え? いいよ?」
「こき使われるんだよ」
「え? ご飯くらい作るよ」

 一太にいい笑顔で言われると、何が駄目だったか晃にも分からなくなってきた。こうして人のご飯を作ることで、一太が自分もしっかりご飯を食べるのなら、それでいい気がする。
 そうして、朝ご飯を食べて、昨日、明里夫婦と四人でしたボードゲームを今日は光里と三人でやった。カードゲームも出してきてやり、昼ご飯も当然のように一太が作ってくれた豚肉の丼を三人で食べてまた遊んで、一日が過ぎた。一太は、すっかり熱は下がったようで、食欲も戻り、きちんと一人前食べていた。
 一太と二人で洗濯物を畳んでおいたら、母に大げさに感謝された。当たり前の事をしただけなのに、と母に頭を撫でられた一太はひどく驚いていた。同じように頭を撫でられた晃は、こんな簡単なことで、母はこんなに喜んでくれるのか、と驚いた。
 そんな一日だった。
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