【完結】余四郎さまの言うことにゃ

かずえ

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百三十一

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 伊良は、ぽん、ぽんとゆっくり行成の背を撫でながら、うん、うんと話を聞いた。実際、現場で何があったのかなど、話を聞いても分かりはせぬ。荒事に疎い伊良なれば尚更だ。伊良にできるのは、いつでも聞くことだけだった。
 真実というのは人の数だけあるものだ。見る場所、見る人が違えば、見える光景は違ってくるものだから。行成の見た此度の出来事はこうであるけれども、他の者から見えた光景が同じであるとは限らない。だから伊良はただ話を聞いた。いつものように、ただ静かに。

「私は、うっ。うぅ。時行さまさえご無事であれば、それで良かったのに……うぅ……」

 ただその言葉にだけは同意しかねた。
 それは違う。それでは駄目だ。時行さまが一人助かるのでは駄目なんだ。
 行成のたくさんの繰り言のうちの一つに、思わず伊良が否を告げそうになった時であった。

「それは違う……」

 掠れた声が耳に届き、伊良は慌てて振り向いた。行成も、泣き濡れた顔を伊良の肩から上げる。
 時行の、無事であった左の目が、ぽかりと開いていた。きょろ、と目だけを動かし抱き合う二人を見た時行は、ふ、と笑いの形に顔をゆがめる。それから、痛っと声を上げた。右半面に当てられた布にじわりと新しい血が滲む。ああ、と行成の悲痛な声が響いた。

「時行さま。あまり傷口は動かされませぬようお願いいたします」
「そりゃ、参ったな。ろくに笑えもせぬのか」

 伊良が、そっと行成を支えながら向きを変えて告げると、時行は軽い口調で応じた。何も大事は起こっていないかのように。
 時行の手が上がり、行成の頬へと伸びる。

「とき、ゆき、さま……。ひくっ。ときゆき、さま……う、あ……」
「届かん。もそっとこっちへ来い」

 素直に時行の方へ顔を寄せる行成の頬を、震える時行の手がなぞって下りた。

「……ひどい顔だ」

 また少し笑い顔を作ろうとして、痛っと言っている。そういえばこの方は、行成さまを見る際はいつも笑顔であった。

「あなたこそ……。ひくっ」
「はは。……あ、痛っ。いや、今は少々醜いかもしれんが、傷がふさがった後はなかなか格好良くなると思うぞ。なあ、伊良」
「ええ。きっと」

 伊良は、そっと時行が起き上がるのへ手を貸しながら答えた。名誉の負傷だ。一番大事なものを守った傷が格好良くないわけがない。

「こた」
「はい……うく」

 未だ止まらぬ涙を持て余しつつ、行成が答える。

「こたのいない世界で、私は何ほども生きられぬ」
「……っ」
「私だけが無事ではいけない。こたも無事でなければ」
「あなたは。あなたは無事ではなかった……!」
「無事だ。ほら、こうして……」

 こほこほと、時行がせき込んだ。

「行成さま。湯呑みを」

 行成ははっとして、置いてあった湯呑みを持ち上げ時行の口に添える。数日寝込んでいたとは思えぬ勢いで、時行は白湯を飲み干した。

「こたも飲め」

 行成の掠れた声と手つかずの握り飯に何かを察したのだろう。時行が言う。

「ずいぶんと水分を出してしまったようだからな」

 また、ははっと笑って痛っと言って。
 時行の傷がふさがるのには少し時間がかかるかもしれない。
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