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第六章 家族と暮らす
28 弟の不在 朱実
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「皇太子殿下。こちらの書類の認可だけ頂けますでしょうか」
「皇太子殿下。陛下が次の謁見には顔を出すようにとのことです」
「皇太子殿下。二日前にお伺いした贈り物の保管先について、少々詳しいお話を……」
皇太子殿下。皇太子殿下。皇太子殿下。
ずっと呼び掛けられているかのような錯覚に陥る。ふ、と振り返ると、
「どうかなさいましたか」
と、力丸の声が静かに響いた。
「いや」
思わず眉間に指を当てる。執務室近くはさすがに人が少なくて、気が抜けたのかもしれない。
もうすぐ昼だな。幾人かの客との会食となっていたか。
「朱実殿下。一度、静かな部屋で休憩しましょう」
侍従ではなく護衛である力丸に促されて、執務室横の小部屋で腰を下ろした。
「…………やっぱり迎えに行きましょうか?」
今日なら、すぐに居場所は分かるという。実際、見張りと護衛を兼ねて常に緋色の側に付けている一ノ瀬からの報告も、力丸の言葉通りの場所だった。
侍従が茶を入れて机に置く。何か言いたげな視線は感じたが、気付かぬふりで目を閉じると黙って部屋の隅に下がっていった。
あまりにも先回りされて構われることが鬱陶しくなり、侍従などいらないと反抗したのは幾つの時だったか。大きな体の護衛に囲まれて歩くことに嫌気がさし、離れて歩けと命じたのは幾つの時だったか。
皆が通る道だとそれすらも微笑ましく見守られ、諦めたのは早かったように思う。
それでも。
あまり構わなくていい、との厳命通りに、私付きの侍従たちは飲食の準備以外のことを口に出すことはない。私もまた、疲れた顔を晒す気も無かった。今までは……。
こういうときに、自ら望んで側に付けた若い護衛は遠慮がない。
「緋色殿下がいないと、仕事キツいですよね」
「…………」
キツい……。
そう、キツいのだ。
そこまで頼っているつもりは無かった。一人でもやれることを、分担していただけだ。緋色は有能だが、やる気に満ち溢れているわけでもない。たった一日二日の不在で、ここまで声を掛けられる頻度が上がるとは予想もしていなかったのだ。
だというのに、この、長い付き合いというわけでもない若い護衛は、よく分かる、という顔をしてそんなことを言う。しかも、私のことをよく分かっていてこれを言っているわけではない。
この子が、力丸が知っているのは緋色のことだ。物心ついた時には側にいて、兄のように弟のように育った相手のことが分かるのだ。そして、必ず緋色と共にいる血の繋がった兄と、これまた子どもの頃から共にいる義姉、親友だと言ってはばからないあの人形のことを分かるのだ。
「緋色殿下、めっちゃ優秀ですから」
「そんなことは知っている!」
自分の声量に驚いて、肩を落とす。湯呑みのふたを開けて、茶を持ち上げた。熱いくらいの茶が好きだ。
口をつけると、好みの熱さにほっと息を吐く。
「お前が迎えに行ったら、帰ってくるのか?」
「無理です」
「は?」
「魔王が俺の言うことなんて聞くわけないでしょ」
「魔王……?じゃあ、迎えに行くってのは?」
「そうですね。成人に、緋色殿下がいなくて朱実殿下が如何に困っているかを切々と訴えて、帰ってあげよう、と言わせることで一日二日の旅程の短縮はできるんじゃないかと目論んでるんですけど、結婚したら結婚休暇が七日間取れるから大丈夫なんだ、と緋色殿下に言われてしまうと負けるかもしれません」
「…………」
つまり、迎えに行くと言っているが、すぐに連れて帰ってこれるなんて一ミリも思ってはいないということだな。その場合、お前も行ったまま帰ってこないということか。
「迎えは、別の者に頼むことにする」
「残念……」
緋色には気心の知れた力丸が行くより、正式な使者の方が話を聞いてもらえるかもしれない。
いや……。
力丸以外は、話をすることもできないのか?
鈍く痛む目の奥。
まだ一日目か。
「皇太子殿下。陛下が次の謁見には顔を出すようにとのことです」
「皇太子殿下。二日前にお伺いした贈り物の保管先について、少々詳しいお話を……」
皇太子殿下。皇太子殿下。皇太子殿下。
ずっと呼び掛けられているかのような錯覚に陥る。ふ、と振り返ると、
「どうかなさいましたか」
と、力丸の声が静かに響いた。
「いや」
思わず眉間に指を当てる。執務室近くはさすがに人が少なくて、気が抜けたのかもしれない。
もうすぐ昼だな。幾人かの客との会食となっていたか。
「朱実殿下。一度、静かな部屋で休憩しましょう」
侍従ではなく護衛である力丸に促されて、執務室横の小部屋で腰を下ろした。
「…………やっぱり迎えに行きましょうか?」
今日なら、すぐに居場所は分かるという。実際、見張りと護衛を兼ねて常に緋色の側に付けている一ノ瀬からの報告も、力丸の言葉通りの場所だった。
侍従が茶を入れて机に置く。何か言いたげな視線は感じたが、気付かぬふりで目を閉じると黙って部屋の隅に下がっていった。
あまりにも先回りされて構われることが鬱陶しくなり、侍従などいらないと反抗したのは幾つの時だったか。大きな体の護衛に囲まれて歩くことに嫌気がさし、離れて歩けと命じたのは幾つの時だったか。
皆が通る道だとそれすらも微笑ましく見守られ、諦めたのは早かったように思う。
それでも。
あまり構わなくていい、との厳命通りに、私付きの侍従たちは飲食の準備以外のことを口に出すことはない。私もまた、疲れた顔を晒す気も無かった。今までは……。
こういうときに、自ら望んで側に付けた若い護衛は遠慮がない。
「緋色殿下がいないと、仕事キツいですよね」
「…………」
キツい……。
そう、キツいのだ。
そこまで頼っているつもりは無かった。一人でもやれることを、分担していただけだ。緋色は有能だが、やる気に満ち溢れているわけでもない。たった一日二日の不在で、ここまで声を掛けられる頻度が上がるとは予想もしていなかったのだ。
だというのに、この、長い付き合いというわけでもない若い護衛は、よく分かる、という顔をしてそんなことを言う。しかも、私のことをよく分かっていてこれを言っているわけではない。
この子が、力丸が知っているのは緋色のことだ。物心ついた時には側にいて、兄のように弟のように育った相手のことが分かるのだ。そして、必ず緋色と共にいる血の繋がった兄と、これまた子どもの頃から共にいる義姉、親友だと言ってはばからないあの人形のことを分かるのだ。
「緋色殿下、めっちゃ優秀ですから」
「そんなことは知っている!」
自分の声量に驚いて、肩を落とす。湯呑みのふたを開けて、茶を持ち上げた。熱いくらいの茶が好きだ。
口をつけると、好みの熱さにほっと息を吐く。
「お前が迎えに行ったら、帰ってくるのか?」
「無理です」
「は?」
「魔王が俺の言うことなんて聞くわけないでしょ」
「魔王……?じゃあ、迎えに行くってのは?」
「そうですね。成人に、緋色殿下がいなくて朱実殿下が如何に困っているかを切々と訴えて、帰ってあげよう、と言わせることで一日二日の旅程の短縮はできるんじゃないかと目論んでるんですけど、結婚したら結婚休暇が七日間取れるから大丈夫なんだ、と緋色殿下に言われてしまうと負けるかもしれません」
「…………」
つまり、迎えに行くと言っているが、すぐに連れて帰ってこれるなんて一ミリも思ってはいないということだな。その場合、お前も行ったまま帰ってこないということか。
「迎えは、別の者に頼むことにする」
「残念……」
緋色には気心の知れた力丸が行くより、正式な使者の方が話を聞いてもらえるかもしれない。
いや……。
力丸以外は、話をすることもできないのか?
鈍く痛む目の奥。
まだ一日目か。
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