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第八章 郷に入っては郷に従え
159 ささやかな願いのかげに 朱実
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しばらく沈黙が落ちた。私たちの前に茶を出して、侍従は隣の部屋へと下がっていった。
「緋色は、なんと?」
「会えたか、とは聞かれないのですね」
「会えたから、来たのであろう?」
「ええ」
赤璃は、茶を持ち上げて少し息を吹きかけ、一口飲んだ。それから口を開く。
「伝えることができました。私たちはもとより、陛下も皇妃殿下も緋色殿下の食べ方が汚いなどと思っていないこと。教師たちが、緋色殿下の食事の作法には何の問題も無いと言っていたことも」
「そうか」
「申し訳なかった、と私からの謝罪を伝えました」
父が、私の言葉に少し目を見開く。
「緋色の食べ方には何の問題もない、とはっきり伝えていなかったこと、緋色の胸の内に気付かず、安易に食事に誘っていたことを、申し訳なかったと謝罪しました」
「そうか……」
父は、視線を落として茶を飲んだ。
「緋色殿下は、そうかとだけ仰ったのですけれど」
「……」
「また食事を共にしてくれますか、との問いには、微かに頷いてくださったように見えました」
赤璃の言葉に、父がはっきりと目を見開く。
「私にもそのように見えましたので、見間違いではないと思われます」
「……良かった」
父の口から吐息と共に吐き出された言葉。
「そのように思われますか」
「ああ」
「そうでしたか」
父上は、そんなにも緋色と食事を共にしたいと願っていたのか。やはり人の胸の内とは聞かねば分からぬものだ。
「これで、これからも雫石が緋色と食事を共にしたいと願った時に呼ぶことができる」
「え……?」
母上の願いを……?
「良かった」
「失礼ですが、そのようなお考えのままではまた、緋色殿下はご不快な思いをされるのではないかと推測致します」
私が何かを思う前に、赤璃が声を上げていた。父が、ほんのわずか眉を寄せる。
「皇妃殿下の気分に左右される食卓のままでは、いつまた同じようなことが起こるか分かりません」
「気分、とは随分な言いぐさだ、赤璃。雫石は病気なのだよ。仕方なかろう?もう皆、いい大人だ。子ども時分のような失敗をすることもない。大丈夫だ」
「……では、朱音が子どものうちは、食卓に出ることは叶いませんね」
赤璃は、何かを堪えるように言った。
父が軽く目を見開いたのが分かった。
「私は、子どもと共に食事をとりたい、いえ、とります。朱音が食事の練習を始めたら、その様子を傍らで見守るつもりでおります。どんな失敗もきっと、良い思い出となることでしょう。けれど皇妃殿下は、些細な失敗も病気の所為で許せないのだとしたら、朱音が失敗しなくなるまで、あの食卓にはもう参ることができません」
「父上。私も、妻と子と食事をすることを望みます。私たちはしばらく、共に食卓を囲むことは難しいでしょう」
「……雫石は、皆と食事を共にしたいと望むだろう」
「申し訳ございませんが、できません。陛下から、朱音の食事の作法がまだ至らず、皇妃殿下と食事を共にすることはできないことをお伝え頂けますか?」
「雫石は、そのようなこと気にはせぬと言う」
けれど母は、幼い緋色の些細な失敗を許せなかった。
「母上は、以前気にしたことがおありなのだと伝えてください」
「雫石は覚えていない」
「母上が覚えていなくとも!」
思わず声が上擦る。
「緋色が覚えている。私も父上も覚えている。たぶん赤虎も。そこに居た使用人や料理人も、皆覚えています。母上にも、こんな事があったのだと伝えておくべきです。伝えておくべきだったのです」
「黙れ、朱実。伝えて病状が悪化したら何とする。ようやく、部屋から出られるようになったのだ。心穏やかに過ごせるようになったのだ。家族と共に食事をしたいという母のささやかな願いを、叶えてやろうとは思わぬのか」
そのささやかな願いのかげで、緋色はずっと心痛めていたのだと気付いてしまえば。
「思いません。私は朱音に、食事は楽しいものだと思ってほしいと願っています」
答えは、一つだけだった。
「緋色は、なんと?」
「会えたか、とは聞かれないのですね」
「会えたから、来たのであろう?」
「ええ」
赤璃は、茶を持ち上げて少し息を吹きかけ、一口飲んだ。それから口を開く。
「伝えることができました。私たちはもとより、陛下も皇妃殿下も緋色殿下の食べ方が汚いなどと思っていないこと。教師たちが、緋色殿下の食事の作法には何の問題も無いと言っていたことも」
「そうか」
「申し訳なかった、と私からの謝罪を伝えました」
父が、私の言葉に少し目を見開く。
「緋色の食べ方には何の問題もない、とはっきり伝えていなかったこと、緋色の胸の内に気付かず、安易に食事に誘っていたことを、申し訳なかったと謝罪しました」
「そうか……」
父は、視線を落として茶を飲んだ。
「緋色殿下は、そうかとだけ仰ったのですけれど」
「……」
「また食事を共にしてくれますか、との問いには、微かに頷いてくださったように見えました」
赤璃の言葉に、父がはっきりと目を見開く。
「私にもそのように見えましたので、見間違いではないと思われます」
「……良かった」
父の口から吐息と共に吐き出された言葉。
「そのように思われますか」
「ああ」
「そうでしたか」
父上は、そんなにも緋色と食事を共にしたいと願っていたのか。やはり人の胸の内とは聞かねば分からぬものだ。
「これで、これからも雫石が緋色と食事を共にしたいと願った時に呼ぶことができる」
「え……?」
母上の願いを……?
「良かった」
「失礼ですが、そのようなお考えのままではまた、緋色殿下はご不快な思いをされるのではないかと推測致します」
私が何かを思う前に、赤璃が声を上げていた。父が、ほんのわずか眉を寄せる。
「皇妃殿下の気分に左右される食卓のままでは、いつまた同じようなことが起こるか分かりません」
「気分、とは随分な言いぐさだ、赤璃。雫石は病気なのだよ。仕方なかろう?もう皆、いい大人だ。子ども時分のような失敗をすることもない。大丈夫だ」
「……では、朱音が子どものうちは、食卓に出ることは叶いませんね」
赤璃は、何かを堪えるように言った。
父が軽く目を見開いたのが分かった。
「私は、子どもと共に食事をとりたい、いえ、とります。朱音が食事の練習を始めたら、その様子を傍らで見守るつもりでおります。どんな失敗もきっと、良い思い出となることでしょう。けれど皇妃殿下は、些細な失敗も病気の所為で許せないのだとしたら、朱音が失敗しなくなるまで、あの食卓にはもう参ることができません」
「父上。私も、妻と子と食事をすることを望みます。私たちはしばらく、共に食卓を囲むことは難しいでしょう」
「……雫石は、皆と食事を共にしたいと望むだろう」
「申し訳ございませんが、できません。陛下から、朱音の食事の作法がまだ至らず、皇妃殿下と食事を共にすることはできないことをお伝え頂けますか?」
「雫石は、そのようなこと気にはせぬと言う」
けれど母は、幼い緋色の些細な失敗を許せなかった。
「母上は、以前気にしたことがおありなのだと伝えてください」
「雫石は覚えていない」
「母上が覚えていなくとも!」
思わず声が上擦る。
「緋色が覚えている。私も父上も覚えている。たぶん赤虎も。そこに居た使用人や料理人も、皆覚えています。母上にも、こんな事があったのだと伝えておくべきです。伝えておくべきだったのです」
「黙れ、朱実。伝えて病状が悪化したら何とする。ようやく、部屋から出られるようになったのだ。心穏やかに過ごせるようになったのだ。家族と共に食事をしたいという母のささやかな願いを、叶えてやろうとは思わぬのか」
そのささやかな願いのかげで、緋色はずっと心痛めていたのだと気付いてしまえば。
「思いません。私は朱音に、食事は楽しいものだと思ってほしいと願っています」
答えは、一つだけだった。
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