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第十章 されど幸せな日々
21 今日は寒かった 寿々丸
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恐い。
心の底から思ったんは、生まれて初めてかもしれん。
十四年生きてきて感じとった恐い思いなんて、生ぬるかった。平和な世の平和な恐さやったんやと、今分かった。分かったと同時に、この世とおさらばするかもしれんけど。
ごめん、父上、母上。うちら、猪は倒したんやけど。天と地がひっくり返っても敵いそうにないお人の向かい側に立ってしもうた。
いや、あの銃はうちを狙とるんやない。あの方は敵やない。分かっとる。分かっとるはずやのに。
恐い。
撃つんやろか。
撃つやろな。
止める理由がない。あるとしたら、一個だけや。人を殺してはいけません、っていう当たり前の教えだけ。
このおっちゃんは、攻撃してきた訳やない。けど、あかんことをした。勝手に動くわ勝手に喋るわ、不敬が過ぎる。その上、話した内容があれや。うちかて、腹が立っとる。思い出したら、どうぞ撃ってくださいって言うてしまいそうや。
習ってないんやろか。
確かうちで預かることになっとるのは、西中国の元殿様とその前の殿様と元重臣たちやったはず。
ほな、礼儀は大事やろ。まず、習うやろ。身分の高い方々と、万が一でも関わり合うことがあるかもしれん生まれなんやから礼儀はちゃんとせなあかんって、跡取りの一族でもなかったうちらでもしっかり習ったで? ちゃんとやってて良かったぁって、たった今思たとこや。ちゃんとできて、挨拶は受けたよって成人殿下は言ってくださった。にこにこと笑いかけて話してくださった。
……そや。優しく笑ってくださった成人殿下なら、人を殺すのはあかんって、止めてくださるかもしれん。
あ。
酷い臭いがする。
おっちゃん、粗相しよった。
「緋色」
あ。やっぱりや。緋色殿下を止められるんは……。
「バスが汚れた」
え?
「みたいだな。寿々丸」
「はいっ」
少し声が裏返ったのは勘弁してほしい。
「その男、外に放り出せるか」
「はいっ」
かなり重そうやけど、できんなんて返事はない。
おっちゃんのぶ厚い肩に置いとった手をわきの下に入れて、何とか立たせる。座席に膝を付けた姿勢やったから、粗相のほとんどは床に垂れていた。布張りの座席に被害が少なそうで、ちょっとほっとした。
「おっちゃん、聞こえとったか。外に出るで」
話しかけた相手は、口を開いても声も出んようで、返事は聞こえんかった。まあええ、とがくがくと震える体をぐいぐいと扉に向かって押す。へたり込むなら引き摺るしかないと思っとったけど、何とか足を動かしてくれて助かった。今動かな死ぬって、本能が働いとんかな。
固まっとった姉上と目が合うと、慌てて手伝いに来てくれた。姉上がおって良かった、ってこんなに心の底から思たんも、十四年生きてきて初めてや。
閉まっとるバスの扉の前に着いて開け方が分からず戸惑っとると、後ろから付いて来られた緋色殿下と成人殿下が、ボタンを押して開いてくださった。緋色殿下の手には、変わらず銃が握られとる。構えとってないけど、いつでも撃てる状態なんやろな、きっと。
「若!」
「何ともない」
「……けど」
「朔。うちらは、何ともない」
「……はい」
外で待っとった、うちの護衛で従者の朔は臨戦態勢やった。扉が閉まっとったから、飛び込んで来れんかったんやな。扉が閉まっとって良かった。
姉上と二人で、何とかおっちゃんをバスから下ろす。おっちゃんはその場にへたり込んだ。濡れた着物が冷たないんかな。ま、それどころやないか。
外に出ると、さっきまでは気にならんかった寒さを感じて、ぶるっと震えてしまった。
今日、こんな寒かったっけ?
心の底から思ったんは、生まれて初めてかもしれん。
十四年生きてきて感じとった恐い思いなんて、生ぬるかった。平和な世の平和な恐さやったんやと、今分かった。分かったと同時に、この世とおさらばするかもしれんけど。
ごめん、父上、母上。うちら、猪は倒したんやけど。天と地がひっくり返っても敵いそうにないお人の向かい側に立ってしもうた。
いや、あの銃はうちを狙とるんやない。あの方は敵やない。分かっとる。分かっとるはずやのに。
恐い。
撃つんやろか。
撃つやろな。
止める理由がない。あるとしたら、一個だけや。人を殺してはいけません、っていう当たり前の教えだけ。
このおっちゃんは、攻撃してきた訳やない。けど、あかんことをした。勝手に動くわ勝手に喋るわ、不敬が過ぎる。その上、話した内容があれや。うちかて、腹が立っとる。思い出したら、どうぞ撃ってくださいって言うてしまいそうや。
習ってないんやろか。
確かうちで預かることになっとるのは、西中国の元殿様とその前の殿様と元重臣たちやったはず。
ほな、礼儀は大事やろ。まず、習うやろ。身分の高い方々と、万が一でも関わり合うことがあるかもしれん生まれなんやから礼儀はちゃんとせなあかんって、跡取りの一族でもなかったうちらでもしっかり習ったで? ちゃんとやってて良かったぁって、たった今思たとこや。ちゃんとできて、挨拶は受けたよって成人殿下は言ってくださった。にこにこと笑いかけて話してくださった。
……そや。優しく笑ってくださった成人殿下なら、人を殺すのはあかんって、止めてくださるかもしれん。
あ。
酷い臭いがする。
おっちゃん、粗相しよった。
「緋色」
あ。やっぱりや。緋色殿下を止められるんは……。
「バスが汚れた」
え?
「みたいだな。寿々丸」
「はいっ」
少し声が裏返ったのは勘弁してほしい。
「その男、外に放り出せるか」
「はいっ」
かなり重そうやけど、できんなんて返事はない。
おっちゃんのぶ厚い肩に置いとった手をわきの下に入れて、何とか立たせる。座席に膝を付けた姿勢やったから、粗相のほとんどは床に垂れていた。布張りの座席に被害が少なそうで、ちょっとほっとした。
「おっちゃん、聞こえとったか。外に出るで」
話しかけた相手は、口を開いても声も出んようで、返事は聞こえんかった。まあええ、とがくがくと震える体をぐいぐいと扉に向かって押す。へたり込むなら引き摺るしかないと思っとったけど、何とか足を動かしてくれて助かった。今動かな死ぬって、本能が働いとんかな。
固まっとった姉上と目が合うと、慌てて手伝いに来てくれた。姉上がおって良かった、ってこんなに心の底から思たんも、十四年生きてきて初めてや。
閉まっとるバスの扉の前に着いて開け方が分からず戸惑っとると、後ろから付いて来られた緋色殿下と成人殿下が、ボタンを押して開いてくださった。緋色殿下の手には、変わらず銃が握られとる。構えとってないけど、いつでも撃てる状態なんやろな、きっと。
「若!」
「何ともない」
「……けど」
「朔。うちらは、何ともない」
「……はい」
外で待っとった、うちの護衛で従者の朔は臨戦態勢やった。扉が閉まっとったから、飛び込んで来れんかったんやな。扉が閉まっとって良かった。
姉上と二人で、何とかおっちゃんをバスから下ろす。おっちゃんはその場にへたり込んだ。濡れた着物が冷たないんかな。ま、それどころやないか。
外に出ると、さっきまでは気にならんかった寒さを感じて、ぶるっと震えてしまった。
今日、こんな寒かったっけ?
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