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第十章 されど幸せな日々
94 すまない 朱実
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「どうして緋色さんはいないの?」
夕食時、母は考えていた通りの反応を見せた。
「私は、緋色さんの要望通りに誓約書を書いたのよ。そうしたら、食事を共にできるのでしょう?」
「いいえ、母上。緋色は、誓約書を書いてくれたなら、共に食事をとることを考えると言ったのです。誓約書を書いて、母上から、食事を共にしませんか、と招待をして、緋色から、お伺いします、と返事が来てはじめて、母上と緋色は食卓を共にできるのですよ。本日は、招待もしていないでしょう? 緋色は、招待もされていない皇城の食卓へ押しかけるような粗忽者ではありません」
「おかしな事を言うのね、朱実さん。家族で食事をするのは、当たり前のことだわ」
「お忘れですか? 緋色は、すでに自分の家を持ち、そちらで生活をしています。わざわざこちらへ来る理由がありません」
母は、むっと口を尖らせた。緋色の家がすでにここでは無いことは、納得済みのようだ。
「私、知っているのよ。緋色さんは、お仕事でこちらに来ているのでしょう?」
「そういう日もあります。家で仕事をしている日の方が多いですが」
「ほら。来ているじゃない」
「そういう日でも、緋色は、昼食も家に食べに帰りますよ。成人と共に食べたいのでしょう」
「あら。成人ちゃんならいつでも一緒に来たらいいのよ。緋色さんは成人ちゃんがいると、たくさん話したり笑ったりしてくれるでしょう? 楽しくていいわ。そうだ。まずは成人ちゃんを呼びましょう。緋色さんは、成人ちゃんの居る場所には必ず来てくれるわ」
はあ、とため息をこぼしそうになって堪える。それでは、まるで人質だ。身分的には断れない成人に誘いをかけて、緋色をおびき出すなんて。
「成人は、まだまだ食べられるものが限られていますから、それらをよく分かっている家の料理人が作った料理の方が安心でしょう。緋色のいない場所へ呼んで食事をした成人が体調を崩すような事があれば、緋色はもう二度と、皇城へは足を運んでくれなくなりますよ」
皇城へ来ないだけで済めばいいが。
「やあね、朱実さん。そんなこと、ある訳ないじゃない」
「母上。有り得ない、なんてことは有り得ないんです」
母は口を尖らせたまま、きゅうっと眉間に皺を寄せた。ひどく、幼い顔に見えた。
「あなたはいつもそう。ああ言えばこう言う」
「正しいことを述べているだけなのですがね」
「朱実」
父がようやく口を挟む。
「母上には優しい言葉遣いをしろ、と常々言っていたはずだが」
「ええ、父上。私は、私のできる精一杯で優しく話しているつもりです。これで駄目なら、もう母上とは口がきけない」
「朱実!」
「父上。あまり大きな声を出すと、母上が怯えられるのではありませんか」
「む。あ、いや、雫石、これは」
胸を押さえる母の背を、父が優しくさする。
「すまない。大きな声を出してしまったな」
「いいえ。必要なことだったのでしょう? 大丈夫よ」
「父上。お気づきですか? 母上のこの状態では、とても朱音とは共にいることはできない、と」
落ち着いてきた状態、でこれだ。これだったのだ。母は、朱音となんら変わらない状態だった。急に泣き出したり、機嫌が良くなったりすることがあり、大きな音や声、動きに怯える。
急に泣き出すことのある赤ん坊と共にいる事など、症状の酷かった母上にはとても無理だっただろう。緋色は、周りの手によって母から離されて育てられ、母の症状が落ち着いたと見れば気まぐれに呼ばれた。ふと、会いたくなった母に呼ばれて。幼い緋色から見れば母は、よく知らない者だ。幼子が、気を使って話すことなどできるだろうか。いや、きっと緋色は頑張っただろう。だが、母上の感じ方一つで、その頑張りは無にされた。そしてまた、混乱状態になった母から引き離されて。
緋色の所為で症状が酷くなった、と言われた。周りで母を守る者たちに。
ああ。
すまない、緋色。
長い間、本当にすまなかった。
夕食時、母は考えていた通りの反応を見せた。
「私は、緋色さんの要望通りに誓約書を書いたのよ。そうしたら、食事を共にできるのでしょう?」
「いいえ、母上。緋色は、誓約書を書いてくれたなら、共に食事をとることを考えると言ったのです。誓約書を書いて、母上から、食事を共にしませんか、と招待をして、緋色から、お伺いします、と返事が来てはじめて、母上と緋色は食卓を共にできるのですよ。本日は、招待もしていないでしょう? 緋色は、招待もされていない皇城の食卓へ押しかけるような粗忽者ではありません」
「おかしな事を言うのね、朱実さん。家族で食事をするのは、当たり前のことだわ」
「お忘れですか? 緋色は、すでに自分の家を持ち、そちらで生活をしています。わざわざこちらへ来る理由がありません」
母は、むっと口を尖らせた。緋色の家がすでにここでは無いことは、納得済みのようだ。
「私、知っているのよ。緋色さんは、お仕事でこちらに来ているのでしょう?」
「そういう日もあります。家で仕事をしている日の方が多いですが」
「ほら。来ているじゃない」
「そういう日でも、緋色は、昼食も家に食べに帰りますよ。成人と共に食べたいのでしょう」
「あら。成人ちゃんならいつでも一緒に来たらいいのよ。緋色さんは成人ちゃんがいると、たくさん話したり笑ったりしてくれるでしょう? 楽しくていいわ。そうだ。まずは成人ちゃんを呼びましょう。緋色さんは、成人ちゃんの居る場所には必ず来てくれるわ」
はあ、とため息をこぼしそうになって堪える。それでは、まるで人質だ。身分的には断れない成人に誘いをかけて、緋色をおびき出すなんて。
「成人は、まだまだ食べられるものが限られていますから、それらをよく分かっている家の料理人が作った料理の方が安心でしょう。緋色のいない場所へ呼んで食事をした成人が体調を崩すような事があれば、緋色はもう二度と、皇城へは足を運んでくれなくなりますよ」
皇城へ来ないだけで済めばいいが。
「やあね、朱実さん。そんなこと、ある訳ないじゃない」
「母上。有り得ない、なんてことは有り得ないんです」
母は口を尖らせたまま、きゅうっと眉間に皺を寄せた。ひどく、幼い顔に見えた。
「あなたはいつもそう。ああ言えばこう言う」
「正しいことを述べているだけなのですがね」
「朱実」
父がようやく口を挟む。
「母上には優しい言葉遣いをしろ、と常々言っていたはずだが」
「ええ、父上。私は、私のできる精一杯で優しく話しているつもりです。これで駄目なら、もう母上とは口がきけない」
「朱実!」
「父上。あまり大きな声を出すと、母上が怯えられるのではありませんか」
「む。あ、いや、雫石、これは」
胸を押さえる母の背を、父が優しくさする。
「すまない。大きな声を出してしまったな」
「いいえ。必要なことだったのでしょう? 大丈夫よ」
「父上。お気づきですか? 母上のこの状態では、とても朱音とは共にいることはできない、と」
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緋色の所為で症状が酷くなった、と言われた。周りで母を守る者たちに。
ああ。
すまない、緋色。
長い間、本当にすまなかった。
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