聖女の力を姉に譲渡し国を出て行った元聖女は実は賢者でした~隣国の後宮で自重せずに生きていこうと思います~

高井繭来

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【25話】

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 シトシトと雨が降る。
 空にはどんよりとした雲が太陽の光を閉ざしていた。
 裏の広場に1人サイヒは居た。
 足元にはモフモフな猫たちもいる。
 【対物理結界】を張ってあるので雨に濡れる事は無い。
 だがサイヒの心は曇天の空そのものの如く、黒く重いものが伸し掛かっていた。

「今日も来ない、か…」

 サイヒはポツリと呟いた。

 シュマロ少年の件から1週間。
 ルークは後宮を訪れなくなった。

「私の言動が許せなかったのかもな。ルークは優しい奴だから」

 はぁ、と小さく溜息を吐く。
 クオンはお忍びで後宮に来てサイヒにルークの状態を報告しに来てくれているので、ルークが倒れたとかといった心配はしていない。
 毒に対しても”解毒”のポーションを食後に服用しているらしく、体に負担はかかっていないようだ。
 今までがおかしかったのだ。
 ルークに盛られていた毒は微量であるし何処ででも手に入る様なシンプルなモノだ。
 特別に調合して作られた解毒が困難な毒とは種類が違う。
 備蓄性ではあるがわざわざ後宮にまで足を運び、サイヒに解毒の法術をかけて貰う必要性など一切なかったのだ。

 それでもルークは毎日サイヒの元を訪れて、サイヒの腕の中で幸せそうに眠っていた。
 その寝顔を見るのが好きだったとサイヒは思う。

 赤子の様に無防備な寝顔。
 心から安心して身を任せる様に胸に暖かな灯がともる。
 時折柔らかく微笑む様。
 甘えるように頬をサイヒに擦り付けてくる仕種がたまらなく愛おしかった。

「あの時間を楽しみにしていたのは私の方だったのだな…こうして胸に穴が開いたように感じるぐらいに、私はあの時間が大切だったのか……」

 あんなに人の体温を感じる時間は、子供の頃姉と同じベッドで寝ていた時以来だった。
 他人の体温が心地良いものだとルークが思い出させてくれた。
 それももう全て終わった事だ。
 これからは”あの時間”は訪れない。

「来るもの拒まず去るもの追わず主義だったのだが、何時の間に私は1人の人間に対してこうも執着するようになっていたのだろうか?我ながら己の女々しさに辟易する」

 それは女々しいのではなく、1人の人間に寄り添えるだけの大きな愛情を持てるようになった”成長”なのだと、今のサイヒに教えてくれるものは存在しなかった。

 :::

「殿下、何時まで引き籠るおつもりですか?」

 呆れた声でクオンがベッドに沈んでいるルークに言葉をかけた。

「別に引き籠っているわけでは無い…」

 シーツをかぶったミノムシがのそりと動く。
 そこから出て来たのは瞼を真っ赤に腫らしたルークだった。

「いい加減泣き止んで貰えないでしょうか?業務に差し障ります」

「仕事はこなしている。私の気持ちの問題を其方にとやかく言われる筋合いはない」

「ありますよ。毎日その腫れた瞼のケアを誰がしているとお思いで?」

 グッ、とルークが言葉に詰まる。

「とっとと座って下さい。目のケアをしますよ」

「分かっている…」

 ルークがベッドに腰かける。
 フカフカなベッドに体は沈むが、ルークの長い脚は床について更に長さを余らせる。

 クオンは手に持っていた”回復”のポーションをコットンに染み込ませ、そのコットンでルークの閉じられた瞼の上にトントンと規則正しく叩いていく。
 やがてポーションの効果かルークの瞼の腫れは引いていった。
 だが目の下のクマ迄は消えていない。
 ルークのクマを見るのは久しぶりだとクオンは思う。
 サイヒと出会ってからのルークは何時も安眠で来ていたので、ここ3ヵ月クマなどなかった。
 
 陰鬱な雰囲気を醸し出すルークを、王宮の侍女たちは”久しぶりに憂いを帯びた皇太子様も素敵”などとふざけた事を言っている。

 クオンにすれば「何が素敵だ」と問い質したい。

 サイヒに出会ってからルークは笑顔を浮かべるようになった。
 人を寄せ付けない冷たさが消えた。
 傍にいて、会話して、そうしてクオンはルークが心の凍ったお綺麗な人形で無い事を思い出させた。

 なのに今、ルークは再び心を閉ざそうとしている。
 原因は分かっている。
 サイヒを責める言葉を吐いてしまった事だろう。
 あの場でルークはサイヒの言葉を無意識に糾弾した。
 サイヒなら何とか出来ると思い込んでいたために。
 だがサイヒは奇跡を起こせる存在では無いのだ。
 ルークやクオンと同じ人間だ。
 怪我をすれば血を流すし、心を病めば胸が痛む。
 そんな普通の人間とさし変わりのない人間だと言うことを、ルークもクオンも失念していた。

 ルークはサイヒの水に揺れた青銀の瞳が頭から離れない。

 涙は零していなかった。
 悲しみの表情は浮かべていなかった。
 でも確かに、あの時サイヒは胸の中で泣いていたのだとその瞳を見てルークは気づいた。

 なのに、全ての事をサイヒにさせてしまった。

 あの少年-シュマロに言葉を投げかけなければいけないのはルークだった。
 皇太子の自分が決断しなければいけなかった。
 他人を傷つけても、それでも前へ進むために心を凍らせないといけなかったのは自分のはずだった。

「きっとサイヒは私など失望して、会いたくないと思っているだろう……」

 考える傍から涙が出そうだ。
 だがこの後執務がある。
 再び涙で瞼を腫らすのは愚かな行いでしかない。
 その瞼をケアするのだって、ポーションを消費し時間をかけるのだ。
 全くもって無意味な行為ではないか。

「さぁ、今日の分の執務をしようか……」

 扉を開けて出ていく主の姿を見て、クオンは何も言えず奥歯を噛む事しか出来い自分が歯痒かった。
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